♪ おもむろに涙湧ききて目を閉じてなを溢れきてうろたえにけり
朝、電車の中でいつものように本を読んでいた。
新潮新書・五木寛之の「人間の覚悟」の残り7~8頁のあたりを読んでいて、何だか知らないうちに涙が溢れ出てきた。
文章に感動したとか琴線に触れたというのでもなく、悲しい話でもないのに。
それは、ある実験で、一本のライ麦の苗が、三か月の間に砂だけ入れた木箱の中に延べ一万一二〇〇キロメートルもの根を張っていた、という記述の部分だった。
水だけを頼りに六十日間生き続けるために、懸命に根を張って命を支えていたライ麦。
その麦に対して、色が冴えないとか、穂が付いていないとか文句を言う気にはなれない。生きつづけるというだけで、ものすごい努力があったのだと彼は言います。
一本の麦でさえ、それくらいの根を張って必死で生きている事を思えば、私たち人間が今日一日を生きるためにどのくらいの根を人間関係に、世の中に、宇宙にはりめぐらせているかと。
この辺りへきて、無性に生きている事への愛しさというか、喜びとも感謝とも違う嬉しさのような真綿で心を包んでいるような心持が湧きあがってきた。それで自然に涙が湧いてきて、それ以上読むことができなくなってしまった。
本を閉じ、目を閉じると、なをいっそうその感覚か湧きあがって来て涙が溢れそうになるので、目を開けて必死で涙をこらえる始末。
ほほぼ満員の電車の中で、座席についてはいるものの隣にも人がいます。何だか恥ずかしいし、そんな事で涙が溢れて来たことに内心とまどい少々うろたえました。
先日の、「すずめ」がやけに可愛く愛しく輝いて見えたこと、と繋がっているような同じところから湧きあがってくるような感覚。
しばらくは放心状態でぼーっとしていた。
憑きのものが取れたような感じもあり、心がすごく軽くなっているのが分かる。
最近は、物事に対して許せる範囲が広がっている事も確かで、以前なら訝しげに見ていたものでも、彼等は彼等なりに一生懸命生きてるんだと思える。
そして、あまり腹も立たない自分がいて、それをもう一人の自分が見ている感覚がある。
何かが、自分の中に起こっているような気がします。普通の人にとっては大したことではないかも知れませんが、私にとっては非常に大きな出来事です。
最近は、全くと言っていいぐらいストレスのない生活をしているので、それがいい方向へ向かっていくことになっているのかも知れません。
本はこのあと、人は水も空気も酸素も消費して、さらに精神的なきずなも必要、孤独感を癒すことも、喜びも悲しみも必要だ。そうやって八方に見えない根を広げて生きている。
眠っている間でも免疫の体系は生きつづけて、体は働き心臓を動かし、体を維持している。一日生きるだけでものすごいことをしている。生きているだけで偉大なことなのだと思います。
その人が貧しくて無名で、生き甲斐がないように思えても、一日、一カ月、一年、もし三十年生きたとすれば、それだけでものすごい重みがあるのです、と。
「人はいかに生きるかを問わない」と、最終章に向かって文章は進んでいきます。 |
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プロフィール
sunkyu
日本の四季と日本語の美しさ、面白さ、不可思議さ、多様性はとても奥が深い。日々感じたことを「風におよぎ 水にあそぶ」の心持ちで短歌と共に綴っています。 本業は染色作家
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