2015/04/12(日)14:40
◆ 森繁と「屋根の上のヴァイオリン弾き」
♪ テヴィエ演(や)りし森繁は今の吾(わ)と同じ歳と知りて畏むばかり
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先日借りて来た随筆集に森繁久彌が書いたものが有って、読んで驚いた。「屋根の上の拳闘家」と題するそれは、森繁久彌のライフワークともいえる「屋根の上のヴァイオリン弾き」のエピソードを書いたもの。
夜中にびっしょりと汗をかいて、声が出ない夢に苛まれるという。一幕が幕なしで2時間、寸刻の休み無く続く。それが終わって漸く25分の休憩。心臓の薬を2錠飲んでぐったり。続いて第二幕が1時間半ぶっ続けで行われる。まるでボクシングの試合をしている様な状況だと。終わって緞帳が下りれば、アンコールの波が聞こえてくる。延々20分間を出たり入ったりの挨拶でへとへとに。
声が出なくなる夢、舞台でぎっくり腰になり起き上がれない夢を、三日に一度は見てうなされ、深夜に目が覚めるのだという。9月の一か月の大阪公演のあとひと月休んで、11月から12月にかけて70数回、二か月に及ぶ帝劇の舞台。ホテル住まいで芯から休まることが無いという生活だから大変だ。
何とこの時、森繁は65歳だという。今の私と同じではないか、これには驚いた。この歳であの舞台を演じていたなんて・・・。
この文章は1978年と記述があり、この二か月に及ぶ公演を終えると321回となり、日本での長期上演記録となると書いている。
映画「Fiddler on the Roof」
「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、私が20代の後半に観て感動したミュージカル。名古屋公演・中日劇場の最終日で、感動して泣いてしまい、その興奮が収まるのを待って劇場を出た。その時に乗ったエレベーターに途中の階から、どどっと大勢の人が乗り込んできた。出演した俳優たちで、「お疲れ様」とか言われて、不意の事ゆえ何も言葉が出ず、ただ茫然としていた。倍賞千恵子、益田喜頓の顔は分かったが他はよく覚えていない。
最終日という事で打ち上げにでも行くところだったのか、随分早くに役者が化粧を落として、私服姿で出てきたことに驚いた。今でもよく覚えている。
中日劇場・神戸文化会館 1976年5・6~5・22
調べてみると私が見たのは、1976年5月の13日ごろのようだ。私が27歳の時。このころは演劇が好きで、今のカミさんと一緒に観に行ったのだった。まだ若かった彼女は私がなぜ泣いたのかを理解できず、笑ってからかわれた事を良く覚えている。
森繁がエッセイを書いたのは、これより2年半後という事になるので63歳の舞台か。チェロ奏者のロストロポービッチ(大の親日家)が、森繁の舞台を観て「ユダヤ人でもないのに、どうしてそんなにユダヤ人の心が分かるのか」と言った逸話がある。
1967年9月6日の帝国劇場での初演以降、西田敏行にバトンタッチする1994年までの間に900回にわたって演じ続けた。65歳の帝劇の舞台から数えて、何と16年間に及びその過酷な舞台で演じ続けたのだ。役者恐るべし。森繁恐るべし。ただただ畏むしかない。
現在は、主役のテビエを市村正親が演じている。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行
●「手軽で簡単絞り染め」