歌 と こころ と 心 の さんぽ

2015/01/20(火)14:44

 ◆ マッサンとニッカウィスキー

一日一首(550)

♪ レッドありブラックもあり青春の熱を溶かしき夢を語りき ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  2014年は、国産ウイスキーの祖として知られる竹鶴政孝の生誕120年であり、自身のウイスキー蒸溜所であるニッカウヰスキーを創業して80周年を迎えた記念すべき年だという。  折しも放映中のNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」は、竹鶴政孝と妻のリタをモデルにした物語である。タイトルは、「政孝さん」の発音が難しく、リタが政孝をこう呼んだことにちなんでいる。  スコットランドで出会ったリタとともに1920年(昭和15年)に帰国し、紆余曲折を経て1923年に寿屋(現・サントリー)に10年契約で入社し、スコットランド式の蒸溜所を大阪の山崎に設立。サントリーウイスキー「白札」の発売までにこぎつけた。  しかし、政孝の夢は、スコットランドと風土や気候が似ている北海道に本物のウイスキーをつくる蒸溜所を建て、ウイスキーづくりをすること。  1934年(昭和29年)に寿屋を円満退社すると北海道に渡り、「大日本果汁株式会社」を設立する。途中、会社が経営難に陥ったこともあったが、1940年(昭和35年)、宿願のウイスキーが完成した。社名の「日」と「果」をとり、「ニッカウヰスキー」と命名。スコットランドへ渡ってから実に22年の歳月が流れていた。 余市蒸留所  今、ウイスキーが世界的なブームとなっていて、世界一ウイスキーを消費していた国は長らくアメリカだったが、ここ数年はインドだそう(土屋守「ウイスキー通」新潮選書より)で、経済成長著しい中国も消費を伸ばしているらしい。  日本においては戦後、一貫して消費量を伸ばしていたが、1980年台に入ると一気に減少。ようやく増加に転じたのは2000年代に入ってからのこと。  ハイボールがブームになったのは記憶にあたらしい。美味しい作り方は、「グラスに氷をたっぷり入れ、ウイスキーを注ぐ。この時ほんの少しだけウイスキーを残しておく。泡立たないようにソーダを注ぎ、マドラーで軽くステアする。そして、最後にとっておいた少量のウイスキーを静かに注ぐ。」  こうすることで、ソーダとウイスキーの比重の違いで表面にウイスキーが浮いた状態になり、香りをより強く感じる事が出来る。ストレートでウイスキーを味わったときのような鮮烈な香りを感じながらも、ハイボールらしい清涼感と共によりいっそう美味しさを楽しめるという。  こういう飲み方は日本独特のもので、水割りにしても本場ではこんな飲み方は邪道とされている。あまりキツイ酒をストレートで飲む習慣がない日本人が考え出したものだ。  私も若いころ、安いサントリー・レッドとかブラック・ニッカなどを水割りで飲んでいた。その後は少しグレードを上げて、オンザロックかストレートで飲むようになった。そうでないとウィスキーの味がしないからだ。ダルマの愛称で人気があった「サントリー・オールド」なんて嫌いで、「角瓶」の方がどちらかと言えば好きだった。  スコッチなどの輸入品は高い関税のせいで、とても手が出なかったのも事実。「ジョニ黒」なんて今考えると大したウィスキーでもないのに御大層に海外旅行の土産によく買って帰ったものだ。  日本のウイスキーが世界に通用するようになったのは、ここ10年ほどのこと。2001年にイギリスのウイスキーマガジンによるコンペでニッカウヰスキーの『シングルカスク余市10年』がベストオブベストに選ばれ、2008年、ウイスキーの国際的コンテストであるワールドウイスキーアワードのシングルモルト部門で、『シングルモルト余市1987』が世界中の名だたる蒸溜所の中でトップに立ち、ワールドベストを受賞した。  海外で熱狂的な人気を集めているらしく、少し高級なバーに行けば『山崎』(サントリー)『余市』『竹鶴』(ニッカ)といったジャパニーズウイスキーをよく見かけるという。  ウイスキーには、諸説あるものの「五大生産地」と言われるものがあり、現在、スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキー、そしてジャパニーズウイスキーとなっているんだとか。要するに、ウイスキー産地として世界で認められたということ。 参考価格 竹鶴ピュアモルト(3,000円)、竹鶴21年ピュアモルト(10,000円)竹鶴17年ピュアモルト(5,500円)、竹鶴25年ピュアモルト(54,000円)  ウイスキーマガジンのブラインド・テイスティングでも常に高評価を獲得し、今年の「世界ウイスキーアワード(WWA)2014」においても、ニッカウヰスキーの『竹鶴17年ピュアモルト』が“ブレンデッドモルトウイスキー世界最優秀賞”を受賞している。  ある記事によるとニッカのウイスキー輸出量は2006年から2012年のあいだに18倍になったそうだ。  この様な状況が背景にあって、このタイミングで「マッサン」が放映されているのはニッカにとっては追い風になるのは間違いない。1954年(昭和29年)に朝日麦酒グループの傘下に入り、販売はアサヒビール株式会社が行っている。  国産に比べて”さすがにスコッチは旨い”とずっと思ってきたが、”ニッカウヰスキーを飲んでみたくなった”という人は、私以外にも沢山いるのではないだろうか。 ブラックニッカとホワイトニッカ  右手に大麦の穂を、左手にウイスキーのテイスティング用グラスを持つ男は、事実上、ニッカのマスコットキャラクターになっている。この男の絵は、1965年、ブラックニッカのラベルで初めて使用され、その後も数種のニッカ製ウイスキーのラベルに印刷され続けている。  像の向きは当初向かって右向きであったが、後に向かって左向きに変えられた。 ◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。 ◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。 ★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月) ☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行 ●「手軽で簡単絞り染め」

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る