歌 と こころ と 心 の さんぽ
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♪ 口移しのスコッチに顔歪めつつ満ち足りてゆくボックスシート
昔、名古屋駅前にラテンクォーターというジャズ・ライブハウスが有った。格的なジャズを聴かせる良い店で、ここからナベサダ・コンボのドラマ―が出たりした。 ジャズの人気が落ちるにしたがって客が減り、久しぶりに行ったら内装がモデルチェンジされ、以前とは全く違うものになっていた。 ステージが壁側の中央にあったものが、部屋の真ん中に移動し、客席がすべてボックス席になっていた。ジャズのライブはやっていたが客層が変わり、ムードサロンかナイトクラブの様な雰囲気になった。店内にはアベックの多く、とてもジャズを聴きに来ているとは思えない。 二三度行ったか、それ以降は自然に足が遠のいた。嗚呼また好きな場所が減ってしまったと、時代の変遷に取り残されていくような寂しさを感じたものだ。 藤田学園( 藤田保健衛生大学病院)の精神科の先生が経営していたジャズ喫茶も、お客から「音量を下げてくれませんか!」と言われたのを機に時代の波に押し流されるように閉店してしまった。 この病院には凄いコンサートホール(フジタホール2000)があり、古沢巌(ヴァイオリン)のリサイタルを観に行ったことがある。 岡崎市在住のドクター内田こと内田修さんも、昨年12月(87歳)亡くなってしまった。若いジャズミュージシャンの演奏する場を創出しようと、何百回とライブを企画し、今や誰もが知るトランペッターの日野皓正さんや、ジャズピアニストの山下洋輔さんなど当時まだ若かったミュージシャンを東京から招き、新しいジャズの発信の場を名古屋につくった、知る人ぞ知るジャズ界の名物スポンサーだった人。 当時の内田病院のドクターズスタジオ 内田先生の発案で1964年(昭和39年)に始まった「ヤマハ・ジャズクラブ」は、名古屋で生のジャズを聴ける貴重なライブコンサートの場だった。その後33年間、合計 150回も開催され、私も何回か聴きに行った。途中の休憩時間には部屋がオープンになり、階段からだとタダでもぐり込むことが出来た。 ジャズ月刊誌『スイング・ジャーナル』も2010年に休刊になっている。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。 ◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。 ◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。 ◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。 ★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月) ☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行 ●「手軽で簡単絞り染め」
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sunkyu
日本の四季と日本語の美しさ、面白さ、不可思議さ、多様性はとても奥が深い。日々感じたことを「風におよぎ 水にあそぶ」の心持ちで短歌と共に綴っています。 本業は染色作家
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