歌 と こころ と 心 の さんぽ

2018/04/11(水)07:08

● 何を支えに生きてゆくのか

みそひともじ(404)

♪ 一刻でたぶん変人丘の上に雲を眺める一匹狼(ひつじ)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 冤罪が後を絶たない。  布川事件。1967年(昭和42年)に茨城県で発生した強盗殺人事件。犯人として近隣に住む青年2人を逮捕・起訴し、無期懲役が確定したが、証拠は被告人の自白と現場の目撃証言のみで、当初から冤罪の可能性が指摘されており、2009年、再審が開始され、2011年5月24日、水戸地方裁判所土浦支部にて無罪判決が下された。  仮釈放まで29年、それから再審無罪まで15年。44年間にわたって戦い続けた桜井さん。どんな経験も(獄中生活さえも)決して無駄なものではなかったと言い切る強さ。 朝日新聞 2018年3月29日  「えん罪「布川事件」 桜井昌司さんに聞く」   再審判決前の2011年5月12日に「ふらっと」による対談形式のインタビューが行われている。  果たして私は、こんな不当な取り調べに耐えられるだろうか。正しいことが受け入れられず、理不尽なことがまかり通る人間社会に嫌気がさして、自ら命を絶つのが関の山のような気がする。  森友事件で改ざんを強要され、絶対に自分の正義と矜持を曲げることが出来ずに自死した、近畿財務局の職員の気持ちが痛いほどよくわかる。  桜井昌司さんは、獄中で沢山の詩を書き続けてきたそうです。また、作詞・作曲もこなし、クラシック歌手の佐藤光政さんの支援で十数年前からコンサートも開かれているという。 『 記 念 日 』   1967年10月10日  夜風に金木犀は香って  初めての手錠は冷たかった   1967年10月15日  人をだました心が自分をも裏切って  嘘の自白をした   1970年10月 6日  嘘が真実に変わった  人殺しの犯人だと裁判官が言った   1973年12月20日  寒い季節よりも冷たい言葉で  裁判官が誤りを重ねた   1977年 3月20日  母が逝った  それでも春風が吹いた   1978年 7月 3日  看守の鋭い足音が  最高裁判所の決定を運んできた  刑務所生活が始まった   1983年12月23日  再審請求書を提出した父が  一度で認めてほしいと言った   1987年 3月31日  年度末の整理だった  棄却決定があった   1988年 2月22日  冬の続きのような言葉が  またも棄却を言った   1992年 2月11日  父が逝った  オヤジのバカヤローとつぶやき続けた   1992年 9月 9日  25年間の無実の叫びが  たった176文字で退けられた  20歳の秋に始まった記念日  オレの記念日は まだ続く        ( 1992. 9 ) 『 指 紋 』  この世には同じ顔をした人が、  必ず何人かいると言われる  でも、どんなに瓜二つでも  指紋は違う  この世に何十億人がいても  絶対に同じ型の人はいない  だから犯罪があれば  必ず指紋の存在を捜査するし  決定的な犯人の証拠ともなる  他人の家に侵入して  人を殺して金を奪ったりすれば  指紋が残らないのが不思議だが  強盗殺人犯とされた私には  何の証拠もない  私の指紋は体質があって  物に触れても残らないものか実験をしたらば  何のことはない  どんな触れ方をしても  私が私の証明である指紋は  ちゃんと残される  鮮やかに現れる  無実の私に証拠がないのは  ごく当たり前のことだ  何度有罪判決があっても  誰が犯人だといったところで  変わるものではないが  実験で現れた指紋は  その当たり前のことを  明確に証明してくれた  私が私の証明である  指紋実験をした日のことを  あの喜びが  きっと勝利の喜びにつながる  そう信じている       ( 1997. 9 )  一人で戦うのではなく、必ず支援者が現れる。そのことに救われる。  頑固一徹、信念を貫き通す。それでしか自分という存在を維持することはできない。  他人の悪事のために自分を犠牲にし、恋々として地位に固執する生き方は、必ずどこかで破綻する。そんな人間はしょせん、いつか淘汰される運命にある。佐川元理財局長はそのことが分かっていないようだ。  何のために、誰のために生きているのかを考えれば、自ずから選ぶべき道は示される。  天の一点を凝視して見つめるがいい。空前絶後の奇跡のような存在である唯一無二の、その自分の命を・・・

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