♪ マジョルカの光あふるるカンバスの余白なづさふ時を味わふ
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"ベラスケスの再来"、"20世紀最後の印象派"、"光の収集家"と評されたという、スペインを代表する印象派の画家ホアキン・トレンツ・リャド。大回顧展が名古屋であり、最終日の23日(月)に観に行って来た。
1946年生まれというから存命なら今年74歳になるはずだが、1993年に47歳で夭折してしまったらしい。
絵の具を叩きつけるようにして飛沫を飛び散らせる、スプラッシングという手法を使い、印象派の伝統を受け継ぎながらモダンでスピード感のある絵を描いた。かなりのデッサン力と修練の上に成り立つもので、その明るくコントラストの強い配色と大胆な筆致は見事。近くで見るとまるで殴り書きのように荒々しいが、距離を取ってみると生き生きと風景が浮き上がって躍動を始める。
中心に四角いフレームを設けてその中にモチーフを描く。皿の空間を活かしたフランス料理の盛り付けのように、空間を取ることで一層モチーフに意識が誘導される。
デンマーク王室の著名な人物やスペイン国王夫妻の肖像画を描き世界を虜にした彼が、既成概念を打ち破りだれも挑戦し得ない技法で鮮やかに、地中海の時間と光を描いて見せていく。単に記録するのではなく画布の上に躍動させること。原画が、真似が出来そうで絶体に出来ないことを思い知らされ、圧倒される。やはり原画に勝るものはない。
原画は3-4点あるのみで、あとはみんなシルクスクリーン。アクリル絵の具で加筆してあり、絵具のタッチが強調されている。こちらのは最新作ですという言うのを聞いて、亡くなったはずなので訝っていると、奥さんと娘が彼の技法を受け継いで作品を作っているという。これにはぶっ飛んだ。
「ロルカの詩II」
同じはずのものが2種類のシルクスクリーンになって売られている。下の方が本物でリャドの直筆サインが入っている。
上のは奥さんか娘の手で再生されたもので、会場に新作として展示されていたものの一つ。世界中の画商がこれらはみんな「リャド作品」として販売しているわけだ。
本物の方は、1993年にリリースされたというから亡くなった年だ。自分が関与している最後の作品なのかも知れない。レギュラーエディション295枚、ローマ数字によるエディション95枚、AP版(作家保存版)60枚、PP版(刷り師保存版)10枚のトータル460枚のシルクスクリーンの版画が制作されている。5本の指に入るほどの人気作品で、一番価格が高い時代には300万円を超えていたらしい。
新作はバラの絵が殆どだが、どうりで絵が小さくまとまっていて躍動感がないと感じたわけだ。真似たものが本物に肉薄するなんてことは無いし、どう転んでも偽物でしかあり得ない。しかし、偽物ではない証しとして、サインの頭文字が変えてあるという。聞かなければ顧客にそんな説明はしないかも知れない。奥さんや娘を加担させて、こういう形で商売にするのは画商の得意とするところだろう。
そういえば受付に座っていた男の態度がいやに横柄で、客を値踏みしている様な感じを受けたのは、あながち見当違いなことではなかったようだ。
当然ながら写真撮影は出来ないので、展示されていた絵の画像が手元にない。ネットから拝借したが、肝心の展示されていた原画の画像が見つからなかった。
15歳でバルセロナの名門アカデミア・バルスに入学。’61年よりバルセロナのサン・ホルヘ高等学校絵画科で学びつつ、在学中から数多くの賞を受賞する。その卓越したデッサン力で教師陣を驚かせ、弱冠19歳にして助教授に任命される。その後、自分の絵の研鑽のためか地中海のマヨルカ島に移住し、独自の絵の世界を築きあげて描き続けた。1977年には絵画学校「地中海自由学校」なるものを創立しているんだね。
’90年に日本で初来日し、個展を開催して初のシルクスクリーンを発表している。’91年、スペインで開催された”セビリア・フィエスタ”の公式ポスター『ヒラルダの塔』を制作。’92年、オランダ、花のオリンピック”フロリアード1992″日本公式ポスターおよび記念版画『ゲーテの詩と共に』を製作。3度目の来日個展のあと、同年10月、マジョルカ島で大動脈瘤破裂のため急逝してしまった。
東京江戸川区新小岩の「杉山美術館」は、リャドの原画が見られる我が国唯一の美術館だそうです。原画14点 油彩13点 水彩1点と版画を展示。
「カンピン嬢」「倒れ木(静寂の湖水)」「ヴィラベルディーの池」 「バガテルの薔薇」 「カネット」 「サンタアガタの湖」「バガテルの湖」 「エルベストンの早 「エルベストンの早瀬」 「睡蓮」(水彩)、他
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