♪ かげろうや羽化登仙の砂の山登るをやめて薫風のそら
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外出禁止で家飲みをするようになった呑み助たちが、依存症になるんじゃないかと心配されている。昼間っから飲むことになったり、エンドレスで飲み続けたり。飲まざざるをえない心境とけじめがつけにくい状況とが
重なって、気が付けばビールの空き缶が山になっていたりする。
酒は一時的には良い気分になったり憂さを忘れさせてくれるが、脳を麻痺させていることの副作用が多かれ少なかれ必ずついて回る。大量に、そして長期間飲めば当然だが、少量でも害があることが最近の研究で分かって来ている。
この記事が出たのがちょうど私も禁酒断行をした矢先のことだったし、好きな作家の町田康のことなのでより親近感を持って読んだ。単に身体に悪いからという理由じゃないところに作家らしいし、その洞察する姿勢が興味深い。物書きという生き物は、何にでも興味を持ち真相に迫ろうとする孤独のエクスプローラーだ。
酒を止めたことで、自分を客観視できるようになりその心理的背景を探っていくことで、はたと気付く。“楽しく生きなければ負け” という強迫観念から、酒という麻薬に手を出していたと。
その強迫観念から下りるには、「自分は普通の人間である。」と認めて、「普通の人間の普通の人生はそもそも楽しくないものである。」と考える。そして、低めのところに自分を「ずっぽりと普通」と設定するのがいいという結論を引き出す。
私は、毎日が自分のために使えて誰にも文句を言われない。大酒のみ程ではないにしても、気分が悪い時など昼間っから酒をひっかけることがあった。精神安定剤としてとても良いものだし、気分が良くなる妙薬だ。何か有ればすぐに手を出す状況は酒依存症に限りなく近い。飲み出すと一杯が二杯に三杯にと、止まらなくなる。それが一番問題なわけだ。
最近、飲んでもあまり酔わなくなってきていて、それを喜ぶどころか危ない兆候じゃないかと心配になってきた。肝硬変で死んだ知人はアル中で、毎晩、焼酎2ℓも飲んでいたというのを聞いていた。酒量が多くなるのは酔わなくなるからで、それを続けていれば脂肪肝から肝硬変か肝臓がんに至るのは必至のこと。
そういう危険が近づいていることに気付いていた。そして血液検査の結果に、酒に原因があるとアラームを鳴らしている項目があると知った。気づいたからには、そりゃあ普通の人間である私は、考えざるをえない。
血液検査 Fib4 は肝線維化を予測するスコア。2.68がリミット
それで。断酒ではなくあくまでも「禁酒」という、軟弱な落としどころに。飲まなくなくなって(一週間後にワイン1本空けたが)、タバコをやめた時と同じように気づくことがあった。
タバコを吸うのは単なるきっかけを口実に習慣化していただけだし、酒もそれと同じで単なる癖でしかなかったことを知った。逃げ場と思い込み、依存するのが癖になっていただけ。
好きでやっているにしても多少の罪悪感があるもので、それから解放され爽快感をもたらしてくれる。幸いアル中ではないので禁断症状など無いし、酒で得られるものとは違う突き抜けた心地よさだ。
小理屈、屁理屈は町田康に任せるとして、飲まずとも存分酔えるようになりたい。もしなれれば、もう普通の人間じゃないかも知れない。
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