♪ 見返りを求めることを奢りとは思わぬやつが吐く「礼を言え」
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今の人間達は、ものが溢れているのに幸せ感が少なくて、たくさんの人と繋がっているのに孤独を感じているように見える。とても猫には理解できない不思議な世界だ。
集団行動をするのは「弱い」からであって、人間の弱さがこういうところにも顔を出しているんだねぇ。初めっから動物は孤独な生き物だと思っていれば、落ち込む度合いも小さくて済むのにそれが出来ないらしい。
猫を見てごらんよ。いつだって一匹だ。たしかに仲間がそばにいれば楽しいし、気も紛れるけれど、同じ行動をとるなんてのはまっぴらごめんだ。夜の集会でみんなが顔を見せ合って、どこに誰がいるかはお互いに確認し合っているから、ちっとも淋しくなんかない。
しかし、集団行動をする人間は孤独が嫌いで恐とさえ思っているらしいし、独りぼっちを「悪」だとも思っているからねぇ。そして、徒党を組んで仲間意識を誇示しながら、気に入らないヤツを仲間はずれにして攻撃したりする。猫には考えられない野蛮なことを、知恵分別のある人間がやるんだから恐いよねぇ。
表面的であっても仲間なんだと自分に思い込ませて、窮屈に生きている人間が多い気がする。そういう風だから、妙にコミュニケーションを意識していて価値観を押し付けたり、同じ行動を要求したりするんだね。本心を出さないで、相手の表面的な反応に満足して、思慮も思考もすごく浅いままにコミュニケーションできていると思い込んでじまってる。
本当に気の合うやつは何も話さなくとも通じ合えるけれど、そうでない相手には饒舌になって、一方通行のままで終わって疲れ果ててしまう。いつもいつも、相手に何かを期待していて期待通りにいかないことに苛立っている。
この寺山修司の言う「黙りあい」は、相手を信頼するということでしょう。その大前提のもとに思いを推し量って深いところで理解し合うという事じゃないだろうか。現代の人間たちは、本当のあるべきものを踏まえた上で、個人と個人が理解しあうということが出来なくなっているんじゃないのかな。
トウネズミモチ
この現代病的社会を修正するべく、天が仕込んできたのがこの新型コロナウィルスなのかも知れない。あちこちで、「今までのやり方が間違っていたのかも」と思い始めているようで、新しい(否、本来のと言うべきか)姿かたちを模索する方向に舵が切られて、ローギアがゆっくりと動き出しているように見える。
【このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。
タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。】
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