歌 と こころ と 心 の さんぽ

2023/01/03(火)20:11

〇〇 オリジナルいろは歌詠む人のあり

ちょっといい話(22)

♪ 未知の道ゆくあらたまの年はじめ見るものすべて未来なるべし  穏やかに新年がスタートしました。  世の中には奇特な人がいるもので、尼崎市の中村菜花群(なかむら)さん(59)はほぼ毎日「いろは歌」を詠んでいるという。あのすべての仮名を旧仮名遣いで1度だけ使うというもの。(天声人語より) 「黒豆蓮根(はすね) 海老昆布 青菜添へけり さて御節 太陽(たいやう)燃える 良き年に 笑顔(ゑがほ)の我ら 睦(むつ)みゐぬ」  あまりに良くできているので、1語が1度で全部使われているなんて信じがたい。確認してみよう。 「くろまめはすね えびこんぶ あおなそへけり さておせち たいやうもえる よきとしに ゑがほのわれら むつみゐぬ」  こんなのを毎日のように詠んで楽しんでいるという中村さん。「て」や「に」は助詞にもなれてどこにでも当てはまる優等生だが、「ろ」は使い道が限られている個性派だとか。  明治時代に、新聞が募って1万を超える投稿から選ばれたというのが紹介されている。 「鳥啼く声(こゑ)す夢覚ませ 見よ明けわたる東(ひんがし)を 空色映えて沖つ辺(べ)に 帆船(ほぶね)むれゐぬ靄(もや)のうち」  言葉を知らないと、とてもじゃないが出来るものじゃない。韻を踏んだり七五調をも意識する、かなり高度な言葉遊び。  どうです、皆さんも試してみては? 短歌を詠む人なら多少は有利かもしれない・・。 *「いろは歌」について 『国語学大辞典』では(空海作ということを)”否定する説が多”いとあり、また、”「いろは」の歌詞は今様の形式である”が、今様が盛んになった時代と空海の時代とは合致しないとある。 『国語学研究事典』でも”空海の時代はア行のエとヤ行のエとの区別をしていた時代”であり、いろは歌にはその区別がないため、空海作者説は否定されているとのこと。  息子一家が電車で帰省したので、留守番の犬を散歩をさせるために9時頃に出かけた。散歩のついでに近くの神社へお参り。時間が遅いので年越しで参拝客を出迎えていたテントも撤収され、人出はそれほどでもなかった。  海椙と書いて「うすき」と読む。ちょっと珍しい名前の神社だ。  当神社の始まりは、大同元年(806)と伝えられ(神社遷宮史による)その後延喜3年(903)、疫病が大流行した折に「山城国祇園の牛頭天王(須佐之男命)を祀らば悪疫収まらん」との神のご託宣が降り、古字池田山の地に新殿を建立。  その後は、海の守り神としてまた、災害の守り神として住民から深く崇敬され、現在は本殿に建速須佐之男命を、相殿に皇大神宮と蛭子神と高龗(たかお)神を合祀している。  社歴も千二百年と古く、また社格も旧「郷社」であり、社名も古くは「海洲鬼神社」と称していたが、文政14年(1831)許可を得て、海椙神社と改称したとある。  平成19年10月8日、常滑多屋土地区画整理事業により、長年鎮座した森西町の地より現在地に遷座している。  去年は雪が降った後で風も冷たい散歩だったが、今年はとても穏やか。小次郎も2歳半になってだいぶ落ち着いて、吠えたりすることもなく、とてもいい子ちゃんになった。  庭が広いので繋がれることもなく走り回って遊べるのは、小次郎にとっても飼い主にとってもとての良い。草が伸びていて大外周りが出来なくなっていたので、きれいにして走り回れるようにやった。しばらく走り回っていなかったせいか、大して喜びもせず走り回る様子もないので、棒きれを投げて無理やり走らせたり・・・。   留守番して寂しかったのだろう。行くと全身で嬉しさを表現し、飛びついて、抱き着いて、長餅になったり丸餅になったり、可笑しいほどにすり寄って来る。最近はよく言うことを聞くようになってきて、そうなると可愛さが倍増する感じだね。  ウララちゃんは家の中でノンビリと日向ぼっこ。ガラス越しのご対面。撫でてれやればしきりに喉を鳴らして喜んでくれるが、この日は家の中には入らず。もう一匹の若猫ココちゃんは、二階にでも上がっているのか姿が見えなかった。  夜には家族が返って来る。

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