
♪ 雑草という名の花の一つかなあまたの歌を残して逝かん
図書館には月刊誌「角川短歌」はないが「短歌研究」はある。本を借りに行ったついでに見ることはあっても借りてくることはなかった。それが、今月は5月号とこの「短歌研究年鑑2022」を借りてきた。
1年間に出版された総合誌の作品の展望と、歌集歌書の展望などから始まって、特集記事、歌人名簿、年刊歌集を網羅。歌人たちにとっては欠かせないものなのでしょう。歌集歌書展望は名の知れた歌人たちが歌集をひも解き、心に残った歌や注目した歌を3~7首ほど選んで感想を述べている。
まったく勉強不足の私にとって、こういう世界はヒマラヤの頂上ぐらい遠い存在だった。他人に難癖付けられるのが嫌であくまでも自分勝手に好きなようにやりたい私。すべてにおいて共通のあり方でもある。しかし、そんなことで上達するはずもない。他人の作品と意見から得る諸々のものを排除し、悪癖と視野の狭さが災いしていずれ行き詰まる。
だからと言ってそれをすればよくなるかと言えば、飛躍的に成長するものでもないだろう。ある種のタイミングでピタッと一致すればこそ、砂地に水が浸み込むように体に入って来るというもの。そんなタイミングが、今の私に来ているのかもしれない。
この分厚く細かい文字でびっしりと埋まった本を、ありがたいと思いながら読んでいる。歌集を買えばいいのだろうが、数も多いしどれも高い。ほんのエッセンスだけだとしても、知らない世界に誘ってくれるこの本は、興味深くメモをしながら読んでいる。
短歌に興味を持った時点で(17年前、57歳)こういうことをしていれば、今頃は歌集を何冊か上梓していたかもしれない。しかしまあ、軽自動車1台分ほどかかる自費出版なんて出来るはずもないし、そんな野望もモチベーションも持ち合わせていない。
日記に重しを付けて、単なる記録だけではないものを書き残したい。いや、残したいのではない。初めての連続である今、この時、心の中にあるものを、三十一文字で表現したい。限定された文字数にありったけのものを動員していかに表現するか、それが面白いというだけのこと。
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