歌 と こころ と 心 の さんぽ

2024/03/14(木)11:08

★ 政治と宗教

政治・政治家(10)

♪ なにごとも心ひとつで様変わりねことさくらのはなしをしよう  昨日、むくつけき男が5人ほど突然訪れて「この辺に創価学会の信者はいませんか?」と、いきなり言ってきた。リーダー格の男は声が大きい。話の流れで、宗派は何か、何を信心しているかなど、矢継ぎ早に訊いてくる。  聞いていると日蓮宗の信者で、池田大作が死んでから弱体化している創価学会の信者たちを “救済という名目” で、自分の宗派に引き込もうとしているようだった。  こちらにも矛先を向けてくるので、こっちは無宗教で無信心、墓も無ければ仏壇もない。一切そういう世界とは無縁に生きている。そういうものには関わりたくないと言い切って、話の区切りを付けたいと思うものの、なかなか引き下がらない。「日蓮が一番いいので、入りませんか」などと言いだすので、「無信心でも本は読むし知識はある、何も知らないわけでもない。」「信心したい人が信じていればいい。」 ◆  人を助けるとかなんとか言ってくるので、「私は助けてもらわなくていいから、世の中に困っている人がたくさんいるのだから、そちらを助けてやってくれ」と。 「どんなものにも裏がある。表と違う顔がある。表面だけを見ているだけでは本当のことは分からない。」そう言ったら、「私には裏なんかない。」と言って語気を強めた。  なんか阿保らしくなってきて、面白がってはいけないけれど、いろいろぶっつけてどういう反応が返って来るかを楽しんでいたような所もあった。 「幸福のしっぽ」幸福の科学関係者が経営しているらしい。  創価学会のことは良く知らないが、もともとは日蓮正宗の門下で立ち上げたもの。日蓮正宗乗っ取りを画策し、クーデターを起こしたとも言われている。宗門を一方的に批判し、池田大作が創価学会第35回本部幹部会において、猊下、宗門、僧侶の蔑視・軽視発言し、聖教新聞紙上で宗門批判したりして、1991(平成3年)に「破門」になった。そして、1997(平成9年)、創価学会個人の日蓮正宗檀信徒資格を喪失している。  そんな経緯があった上で今回の宗徒らの行動。その意味を考えてみると、信者が減っていろいろ大変な状況にあるのだろうと推測できる。 ◆  実際、創価学会の会員数も頭打ちで、池田大作亡き後は高齢化と宗教離れもあって足元を危うくしているようだ。 創価学会・立正佼成会・真如苑、3大新宗教の「寿命」を大胆予想創価学会は宗教年鑑から信者数を捕捉できないため、公明党の得票数を将来予測 (AERA:ダイヤモンドオンライン)  安倍晋三元首相銃撃事件以降、マスコミ報道は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を中心とした「政治と宗教」の関係が話題となり、一般有権者から「日本の政治は特定宗教団体の強い影響下にあるのではないか」といった不安がつのっている。  宗教と政治家は持ちつ持たれつの関係で、最近ではキリスト教福音派の牧師(日本維新の会:金子道仁)が比例で当選したりもしている。  政治離れと同時に宗教離れも起きていて、各宗派は過去のすがたを変えつつあるのでしょう。幸福の科学も創始者の大川隆法が死んで衰退しているようだし、創価学会に次ぐ国内第2位の規模を持つとされる立正佼成会も、2022年の参院選比例で推薦した候補が全滅するのは、現行制度になって以降初めて。 ダイヤモンドオンライン  宗教は人の様々な部分で、その存続にかかわっている。それが今、大きく変わろうとしている。習慣的、常識的、慣行的なものに疑問を抱き、塊として括られてきたものへの反発と個人的な心の奥底にあるものの叫びのようなもの。  葬式仏教からの決別、国民より自分が大事という政治家への批判。災害が日常にある日本人の諦観慣れがもたらしてきた、政治家の傲慢。AIに席巻され希薄になって行く文化と、貧富の差の拡大。金が支配する世界に生きることの疲弊。  さて、人はこれからどこへ行くのだろうか。  やっぱり富士山はいいね。他所のことは考えず、毎日、富士山を見て過ごしたいものです。

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