
♪ 霾(つちふ)るに花粉の混じる春やよいはなに微塵の堪えがたきかな
昨日の夕方、突然の雹には驚いた。雷鳴が聞こえていたが雨は降っておらず、雨はぱらつく程度だろうと思っていた。
6時を過ぎたころ、窓の外に聞き慣れない音が。ブラインドの隙間から外を見ると、雨混じりの雹がアスファルトに激しく叩きつけられていた。長いことここに住んでいるが、雹を見たのは初めてじゃないかな。
この時、名古屋ではかなり激しい雨が降っったらしい。
昨夜から今日にかけて、孟浩然の春暁「春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少」まさにこの詩の通りの状況を味わっていた。
今朝になって雨は上がっていたが湿度が高く、空はもやって霞が掛かっている。どうやら黄砂のせいらしい。6時過ぎにウォーキングに出かけたが、綿あめのように膨張しその上に紗をかけたような、得体の知れない物質のような太陽が浮かんでいた。
雨上がりの佐布里池は、独りで高齢の男が歩いていたりする以外はいたって静か。陸に上がっていた水鳥が足音に驚いて慌てて池に飛び込んでいったが、そんなことでもなければ死んでいるのも同然の静かな朝の佐布里池だ。
向こうの堰堤には川鵜がいて朝の食事は終えたのか、鳥なのに水中で泳ぐことが出来る身を誇らしく思っているかのように、充実感を漂わせて佇んでいる。
一緒にいた青鷺は人の気配を感じるや、サッと飛び立ってどこかへ行ってしまった。この鳥は見上げたもので、必ず単独で行動する。完全中立自主防衛のわたしと、同じ哲学を持っていることがその行動で分かる。
ただ、鳴きながら夜空を飛んでいくという破廉恥な行動は許せない。何を思ってそんな鳥類に有るまじき行動をとるのか、哲学以前のマナー違反を改めてもらいたいものだ。
夜来の風雨のせいではないかもしれない、椿が潔く花ごと散っている姿は山茶花と違ってとても生々しい。真っ赤に散り敷いているところに出くわすと、殺人死体を見たようでどっきりする。遠くから目に入れば近寄りがたいし、警察に思わず連絡したい衝動に駆られる。
ここへ来る途中からうぐいすの声が聞こえ始めていた。少し時間が経ってその声も増えてきて、小学生が発声練習をしているような "たどたどしい” のや、ちょっと上手になって来たのやらが、静寂の中ににアクセントをつけている。モノクロの空に春色がさしたような気分になって、こちらも時を共有しようと口笛で鳴きまねをしたりする。
黄砂のせいで影が薄い。中国の陰謀だろうか、影という存在の証を消滅させようと微細な粒子を送り込んでくる。自ら気を消して生きている私のアイデンティティが、これによってますます曖昧になっていく。
14,500歩。黄砂に目暗ましされたのか、2時間ちょっとの間に挨拶したのはたった10人ほど。風もなく穏やかで温かく、ウォーキングには申し分ない朝だったのに、歩く人は少なかった。
梅の館前の芝生広場でハーネスを外して遊ばせている犬がいたので、口笛を吹いておいでおいでしたら、こっちに向かって走り出した。と思ったら急停止して、向きを変えて戻ってしまった。これも黄砂のせいだ。犬の耳に何かを吹き込んだに違いない。
霾(つちふ)るというやつは、「鼻や目、口に入り込んで犬の自律神経を狂わせ、正常な行動を疎外する」とは、どこにも書いてないが・・。
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