
♪ 南海に台風生(あ)れて威を蔵(かく)す蒼み増しゆく新聞紙面
きのうの午後、お祭りの準備で、班長も参加することになってる。公民館で接待係とかいう役を割り当てられていたが、班長は5人(一人欠席)だけ。雨が降るというので午前中に組議員らが軽トラ(山車がないので)に飾りつけをすましてしまったとかで、午後は何もすることがなくなった。
以前、私が組議員をやった平成23年(2011年)に比べてどんどん簡素化している。当時は、組長・副組長、組議員が8名、24班ある班長全員が参加し、車が屋形車・花車の2台あって準備もそれなりに大変だった。今は1台となっている。
祭礼の準備・運営、祭礼挙行要領票などの資料が12ページあったが、今年は裏面も使ってたった6ページと激減していた。当然、祭礼の中身も簡略化されていて、字内パレードなどは昨年から半分の内容になっている。
中古の家を買って転居してきた45年前、初めて班長が回ってきて祭礼に参加した時から、軽トラに飾り付けて、お囃子はテープで流すというものだった。その時すでに、このお祭りには違和感があった。形骸化していてお祭りというものには程遠いと感じていた。
秋祭りは、農業の収穫の感謝と、翌年の豊作を願う、収穫祭として、神への感謝の儀式や、農民の労をねぎらう目的をもって行われるもの。伊勢湾台風で山車屋台を失い、復活できないまま祭礼は引き継がれている。ベッドタウン的田園都市となっても田畑が重要な位置を占めている以上、形式的なものになっても続けていかなくてはならない。
中小根の花車
八幡神社 持ち投げなどもあった。
しかし、状況はどんどん変化し続けていく。他所からの移住者も増え、字に加入しない人も増えている。どこに誰が住んでいるかもわからなくなり、敬老会の祝いの品を配るのにも一苦労するところもある。
地元在住で近く開業している医師も班長で、世話係として参加していた。生協の仲間でもあり息子の経営する歯科医院でカミさんが歯科助手としてお世話になっているという縁深いお人。
とに角よく喋る先生で、つぎつぎと話題を繰り出して話が途切れることがない。わたしも話題や興味、関心事には自信はあるし、喋ることも負けてはない。ただ、3つ上のお医者さんという気づかいは忘れずに、出しゃばらないように聞き手に回って・・。
内容は身近なことに終始して、難し話などはほとんどなかった。
この何もすることのない待ち時間。いいお相手がいて退屈すること無く過ごせ、非常に有難かった。
組長が、「16時解散となっていましたが、弁当が準備してあるのでそれが来たら解散にします」と。することがなくなった、役員と奥さん方、班長4名、子供会の関係者は時間をもてあそぶばかり。
以前の慣習だと午前に館(屋形)車・花車の組み立て、午後はそれの装飾をし、字内をパレード。諸々の確認などして車と子供神輿を格納して終わる。今年は簡略化されていても予算は同じように組んであるようだった。
15時少し前に弁当をもらって帰って来た。添えられていた缶ビールはすぐに飲んでしまった。
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