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歌 と こころ と 心 の さんぽ

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読書

2022.06.22
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カテゴリ:読書

♪ トルネード、マサカリそしてサブマリン        
              ドーンと個性が光っていたっけ

 梅雨時は家に籠っていることも多くなる。そんな時は読書にいそしむいいチャンスでもある。今を名を馳す作家の登竜門である「芥川賞」を、文藝春秋掲載時とおなじ審査の経過とともに網羅してある「芥川賞全集」というのがある。そんなのがあることを最近知った。

 読書にいかに疎いかの恥をさらすようだけども、事実だからしょうがない。高井有一の本を読んでみたくなり、図書館で検索したら出てきた中の一つにこれがあった。受賞作「北の河」は、1965年第54回の受賞だったが、そんな古い本はことごとく閉架になっている。しかし、この全集は日本の小説コーナーにデーンと鎮座していて、いつでもすぐに借りられる。柴田翔の「されど われらが日々」もこのとき読んだ。

 それで気をよくして、次はもう少し新し目の平成6年(1994年)第111回受賞作品から掲載されている「十七巻」を借りてきた。28年前からの受賞作は、読んではいないがよく知っている題名と名前が並んでいる。

 



 ずっと小説を読むという趣味はなかったし、文学というものには縁遠くて年に数冊読むか読まないかという程度だった。しかし、ブログで毎日文章を書くようになってからは、小説というものに興味が湧いてここ最近は受賞作掲載の文藝春秋を毎回買って読んでいた。

 しかし、最近の小説には何か物足りない感じがするのは、自分が年を取ったせいだと思うに至り、もう少し前の、自分が40代のころのものを読んでみたくなった。好きな時代の興味ある作家の出世作を自由に選んで読めるというのは有難いこと。この年になって、その作家たちの若かりし頃の作品に触れ、自分の心が若返えっていくのが分かる。



6本の内の5本目。あっさりなくなった。

 今回は先ず川上弘美の「蛇を踏む」から読み始め、柳美里の「家族シネマ」を読んだ。次は辻仁成の「海峡の光」を読もうと思う。ソファーで読んだり仕事部屋の机で読んだり、ベッドで寝転んで読んだりと、その時の時間と気分によって場所を変えて・・・。

 選考の評が文藝春秋に掲載されたそっくりそのまま載っているので、それぞれの選考委員によってこうも評価が分かれたのかと驚かされる。時代によって入れ替わっている選考委員の個性も、そこにそのまま表れているのが面白い。

 巻末には受賞作家の年譜も網羅され作家のその後の足跡を知るのには便利この上ない。このシリーズにはまさに文藝春秋の姿勢と意気込みが込められ、日本文学の過去と未来が凝縮されている。

  * ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。






最終更新日  2022.06.22 08:46:33
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2022.02.10
カテゴリ:読書

♪ 圧倒と破格の出会いアマゾンの画文に浸る炬燵に入りて


 「ピラルクー」という孫が気になっている淡水魚最大の魚。開高健の「オーパ!」という本が手元にあるので、切り取ってあげると言ってあった。1978年出版で、「PLAYBOY日本版」連載当時から大きな反響を呼び、発売後には社会現象にもなったものだ。3年後には18刷までされれ、2021年1月には完全復刻眼が出ているぐらいのものだから、その人気たるやまったく衰えを知らない不朽の本だ。

 そんな本を安易にページを切り取ってやるというのは、ファンからしたら鼻つまみ者だろうなぁ。


 オーパ! 何事であれ、ブラジル人は驚いたり感嘆したりするとき、「オーパ!」という。

 本の内容を書いていくととんでもなく長いものになりそうなで、写真だけにしておきます。順不同で、ランダムに載せますが、どのページも男があこがれる刺激的な内容にあふれていて、復刻版ができる理由も分かります。自分が出来ないことへの憧れと嫉妬が、逆惚れという形になっているのでしょう。







 本文のあとの「蛇足」で、『この時点で「今から20年前にはサンパウロ周辺の川にも魚がたくさんいて、たとえばアカリなどは川底がまっ黒に見えるぐらい棲んでいた。しかし、汚染ですっかり姿を消してしまった。」という話が出てくる。こういう、魚が小さくなった、少なくなった、姿が見えなくなったという話を地球の裏側まで出かけていって聞かされると、親しさ(?)と同時に底知れぬ恐怖や憂鬱をおぼえさせられる。いよいよ地球もおしまいかと、考えさせられるよりさきに、痛覚として感じさせられるのである。』とあって、なんとも不自然な存在の人間が自然と織りなす悲喜こもごもを、痛く考えさせられて、後を引く。



 今では、相当な奥にまで行かないと見られない貴重な魚となっていたり、不法伐採などが横行してアマゾンの木が、森が失われているという。また、砂金を取るため水銀を使い川に捨てるために、貝や魚に水銀が蓄積され、アマゾン川の水銀汚染問題が深刻になっているという。


 1964年11月、朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムへ行き、最前線に出た際に反政府ゲリラの機銃掃射に遭う。総勢200名のうち生き残ったのは17名で、一時は「行方不明」とも報道されるも辛くも生還している。この時のルポタージュ、『ベトナム戦記』を発表、その後3年をかけて凄烈な体験をもとに小説『輝ける闇』を執筆。『夏の闇』『花終わる闇(未完)』とともに3部作。



 帰国(1965年2月24日)後は小田実らのベ平連に加入して反戦運動をおこなうも、ベ平連内の反米左派勢力に強く反発し脱退。過激化する左派とは距離を置くようになる。
 釣りキチとして日本はもちろんブラジルのアマゾン川など世界中に釣行し、その名を高らしめたのがこの「オーパ!」や「フィッシュ・オン」だ。食通でもあり、この本の中にもそういう話が八章の「愉しみと日々」に出てくる。


 最後のページがいかにも開高健らしい。
「飲むだけ飲み、食べるだけ食べ、人びとは眉をひらきにひらいて微笑して手をふり、東西南北へ散っていった。空と地平線にそそりたっていた、塔のような、帆船のような、大爆発のような積乱雲は輝かしい白皙を失い、たれこめる雨雲に犯されて,夕陽があちらこちらに傷のように輝いている。私はナイフの刃についた脂と血を新聞紙でぬぐって革鞘に納める。
 暗くなりかけた木立のなかをゆっくりと歩く。土が匂い、葉が匂う。これからさき、前途には、故国があるだけである。知りぬいたものが待っているだけである。口をひらこうとして思わず知らず閉じてしまいたくなる暮らしがあるだけである。膨張、展開、奇異、驚愕の、傷もなければ黴もない日々はすでに過ぎ去ってしまった。手錠つきの脱走は終わった。羊群声なく牧舎に帰る。
 河。森。未明。黄昏。
 魚。鰐。花。
 チャオ!・・・」


 太く短く生きた開高健に、「オーパ!」と声を上げて盃をかがけることにする。
 孫にはピラルクーの画像をネットで検索して、ケント紙にコピーしてあげようと思う。






最終更新日  2022.02.10 16:52:41
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2022.01.29
カテゴリ:読書

♪ 冬ならば寄せ鍋がいい食うたびに違う食感ベストセッセイ


 自分はエッセイを書いてる意識など全くないけれど毎日こうして文章を書いているので、エッセイストみたいだと言ってくださる方がいる。単に日記の延長で書いているに過ぎないのだが、内容は確かにバラバラだしたまに文体を変えたりもするので面白がってくれているようです。

 そんなことが関係しているわけでもないのですが、エッセイ集を読むのが好きで時々図書館で借りてくる。今は2017年版の日本文芸家協会編の「ベストエッセイ」を読んでいる。新聞や雑誌などに掲載されたものを拾い集めてあり、その書き手は千差万別で内容もバラバラなところがいい。脈絡なく次の文章へと移っていくのが、文章が比較的短いものが多いので寄せ鍋をつついている感覚に近い。



 おもしろい話ばかりだが、高橋源一郎の文章にこころをいたく揺さぶられた。
 次男に脳障害の危機がおとずれ、医師に「おそらく重度の障害を背負って生きることになるだろう」と言われる。それまでは、親戚にそういう子供がいて、その子の話はしないし会いたくもないと思っていた。自分の子供がそうでなくてよかったと心底思う。久しぶりに祖母に会っても、誰だか分からず、人間もこうなってはお終いだなぁなんて思っていた。

 それが、医師の言葉を聞いて、混乱し否定しようとし、それでも最後に、そのすべてを引き受けようと決心する。その瞬間、人生で一度も味わったことのない大きな、「喜び」と呼ぶしかない感情が溢れたという。なぜあれほどの「喜び」が生まれたのか。次男が急性の小脳炎になって生死の淵をさまよっていたとき、「弱さの研究」を始めたのは、その理由を知りたかったに違いないと気付く。

 それから今まで自分の知らなかった場所に出かけ、社会から「弱者」と呼ばれる重度の心身障害をもった子の親、筋萎縮症の難病をもち仕事を辞めて24時間介護をする父親に話を聞いた。その二人ともが、自然に、当然であるかのように(打ち合わせをしたわけでもなく、そのような話しを促したこともなく)、「いい人生です。わたしは感謝しています。素晴らしい子どもです。もし、彼(女)にあの運命が訪れなかったら、わたしはいまよりずっと傲漫な人間だったでしょう。彼(女)のおかげで、わたしはやっと、他人の苦しみを理解できる人間になることができたのです」

 そのことがいえるまでに、多くの時間がかかったのは事実だ。こういう風にいえない人もたくさんいるだろう。でも「それ」はあるのだ、起こるのだ。「弱さ」のほとりでは。「考える人」冬号


 と、ここまで書いてネットでググってみたら、彼は離婚歴4回もあり、5人目の妻という事になる。離婚原因が彼の浮気というのがほとんどらしい。そして、人生相談ではこんなとんでもない回答をして、世間から批判を浴びたりします。


拡大します

 この他にも、ギャンブル依存症についてのご質問に
「依存症の患者は、ギャンブルの何に惹(ひ)かれるのだと思われますか?
理解し難いかもしれませんが、実は「徹底的に負けること」です。
負けて負けて負けて死に近いところまで行くこと。
それが、彼らの(無意識の)願望です。
そこまで追いこまれ、ぎりぎりのところで死から生に戻ってくる。」

なんていう回答をして、「ギャンブル依存症問題を考える会」代表、田中紀子氏に「私が目にした中で、史上最悪の、無知と無理解、その上、無責任で残酷な回答だと思いました。」と言わしめている。

「エッセイにも嘘が混じる」というのは以前にも書いたことがありますが、人間は多様性のある生き物ですから、一つや二つの面をみてその人を判断することはできません。たとえ評価することがあって、評価するのはその人間の一部分を評価するに過ぎない。千人1万人の人全部を納得させることなど出来ない以上、批判を恐れず自分に正直であることがもっとも重要なことだと思う。
 世間の目を忖度して、本当のことを言わない人が世の中には溢れていて、さもそれが当然と考えている。

 この「ベストエッセイ」は様々な分野の人が、様々な視点でその人なりの意見なり感想を述べているという意味で、人間の多様性のほんの一部でも垣間見られるところが面白いのです。たとえそこに少し嘘が混じっていたとしても。






最終更新日  2022.01.29 09:35:59
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2022.01.27
カテゴリ:読書

♪ バーチャルのショップ立ち上げ視界なき海へそーっと笹船を出す


「草枕」の冒頭部分は、“智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。” と、七五調でリズムよくシビアな世相描写から始まって、ググーっと襟元を掴まれる。
 異国の文化に接したことで必然的に持って生まれた才能が湧きあがって、至高の日本文学をものにすることになったのでしょう。

 初の小説「吾輩は猫である」の翌年に「坊っちやん」を出し、その5か月後に6冊目の本として出版された。日本語の最も特徴的な韻律を、いつか使いたいと思っていたのだろうか。

 次へ進むと七五調はなくなって、“住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。”と、有無を言わせぬ説得口調になって迫って来る。
 私は漱石の本の中で「草枕」が一番好きだけれども、その「智と情と意」について難解な言葉を駆使して続けられる文章は一度読んだだけでは理解できない。そこがまた噛めば噛むほどに味が出てくるスルメの様で、飽きてしまうということがない。

 そんな「草枕」が頭の中に住み着いていて、脈絡なくこんな文章に引っかかったりする。



「私は貝になりたい」というフランキー堺主演の映画があったけれど、「カタツムリになる」というのも良いかもしれない。
「殻に身を潜めて、やかましい連中を黙殺できるし、蹴飛ばされてもすぐまた地面にそっと密着できる」というところで、安倍元総理を思い浮かべてしまったのは脳のいたずらでしょうか。

「草枕」では、シェレーの雲雀の詩を思い出して暗唱したその詩が紹介され、その訳がこれまた七五調になっている。
「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」こうしないと詩にならない。
 カール・ブッセ「山のかなた」の上田敏訳も七五調で、そのリズムは演歌にも交通安全標語にも受け継がれていく。

 フランシス・ポンジュの「確実でもの静かなこの前進の態度以上に美しいものはない」、これを七五調にアレンジしてみると、「確実にしてもの静か この前進の態度こそ 生きるにまさる美はなかり」

 ああ、またあの難解な文章を読みたくなった。






最終更新日  2022.01.27 08:47:49
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2022.01.22
カテゴリ:読書

♪ 類が呼ぶ柵なんか捨て去って自然と語り酒と遊ぼう


「吉田類の酒場放浪記」でおなじみの吉田類の著書「酒場詩人の流儀」を読んだ。あの酒場で飲んでるだけの顔の大きないかつい男が何者か全く知らずにいたので、心底驚いた。この本は「新潟日報」の朝刊連載にされた「晴時計」「酒徒の遊行」と、夕刊連載の「酒縁ほっかいど」をまとめたものらしい(2011年~2014年)。スペースの都合で文章は短いが、端的に無駄なくまとめられていて小気味いい。



 彼は、海外滞在を経てある時期に旅へと関心が移っていき、北海道のすばらしさを知って以来、北海道の雄大な自然と湧き水の虜になってゆく。大雪山に遊び、登山の趣味もいや増す中で全国を飛び回って、主催する句会や仕事の仲間との交流や旅が、人生そのものの柱になって行く。そこに欠かせないのが「酒」というわけだ。

 新聞連載を意識しすぎの感があるものの内容は多彩で、旅と酒と俳句はもちろん、山歩きや渓流釣り、映画や音楽、古代史などにも及んで、その守備範囲の広さと博識なことに驚く。イラストレーターが本業という割にはその手の話はあまり出てこない。


「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBS、毎週月曜21:00-22:00)

 3歳の時に父親と死別。小学生の頃に絵を習い始める。初めて俳句を詠んだのも小学生の時。かねてから憧れを抱いていた京都に小学校卒業と同時に移り住み、中学・高校時代を過ごす。その後ニューヨークやヨーロッパ等を放浪しながら絵を勉強し、シュールアートの画家として主にパリを拠点に約10年間活動。30代半ばで活動の場を日本に移し、イラストレーターに転身。1990年代からは酒場や旅に関する執筆活動を始めるかたわら、俳句愛好会「舟」を主宰。
 また登山も趣味にしており、テレビ番組の企画等で山に登ることも多い。「吉田類のにっぽん百低山」など。独身・一人暮らし。「類」の名前は通称(Wikipediaより)。


【目次より】
I 酒徒の遊行
聖なる酔女/危機と向き合う/心が通う瞬間/ファーブルの丘便り/老ハンターの教え/新潟美人論/天使の分け前/イワナの影を追って/幻からの生還/県民性って何だろう/富者の品性/もっと夕陽が見たくて ほか

II 猫の駆け込み酒場
黒潮の匂う岬/揚羽蝶の幻影/翡翠を抱く姫/流氷に乗った天使/天空の落人ルート/被災地の春雨/美しき菩薩の彫像/酔い酔いて雲の峰/夏空に消ゆ/旅人の視点/ディオニュソスの一夜/古事記伝説の地へ ほか

III 酒飲み詩人の系譜
淡雪の夢/月はおぼろに千鳥足/日本海のエキゾチックな風/ああ、愛しのぐい呑み/四万十川の揺り籠に揺られて/星と通信する男/されど大衆酒場考/歌は楽しからずや/酒縁の到る処に青山あり/でも越後の地は麗しい ほか

IV 酒精の青き炎
神々の遊ぶ庭/めざせ北の酒どころ/かっぽ酒にほろ酔う/寒風に挑む“輓馬"/アルプスの日々/民謡は北前船に乗って/酒精の青き炎/北の大地の光と影/妖精の棲む森へ/白銀の愉しみ/祭りのルーツ/春は小走りに北上す ほか

 俳句が載っているのは最初の章だけで、その後は一切掲載されなくなっているのが残念だ。
 飼い猫の話が2度出てくる。ほろ酔いで帰宅中に拾った子猫が寂しがり屋で、一人ぼっちにさせられず一心同体で登山や渓流釣りにも同行し、八ヶ岳、東北、北海道と長距離旅をしている。同行した旅行期間は十数年にもなるという。類は友を呼ぶのか。

 後年、仕事の事情が変わって猫を残して外泊すると、そのたびに猫は睡眠も食事もとらないことが判明している。オス猫で毛の色から「からし」と名付け、ある時、「1回きりでいいから人の言葉でしゃべっておくれ。神様には内緒だかね」。すると「にゃもらみにゃらむにゃ」と、およそ猫とは程遠い声を発したという。その後、いたずらっ子のような仕草で膝の上から逃げ去って、それ以後は一度もそんな声は出さなかったと。

 独身であるがゆえに許されることも多いだろ。「吉田類の酒場放浪記」ではただ酒を飲んで肴をつまむ姿しかない彼だが、この本のガタイに似合わずなんとも人間味のある話の数々。読み終わった後、俳句と酒、登山と旅という、男の愛するものにとっぷり浸かった人生に、こころがが震えるほどの羨ましさが私の体中に広がっていた。奇しくも、私と同じ1949年生まれ。






最終更新日  2022.01.22 09:35:50
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2021.12.05
カテゴリ:読書

♪ 知られざるもの多くして神秘なる付加価値もちて死にゆくもよし


 昨日のつづきです。どうしても書いておきたかったのがまだあってのことで、どうぞ悪しからず。

 パガニーニは同時代の音楽家(ツェルニー、ロッシーニ、シューベルト、ベルリオーズ、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、ラフマニノフなど)、そしてそれ以降の音楽家に多大な影響を与えている。当時の演奏を聴いた著名な音楽家(作曲家)の逸話が残されていて、それだけ見ても如何に彼が凄い音楽家だったかが分かります。

「パガニーニの影響を受けた音楽家たち」
■フランツ・リスト:
『私は“ピアノのパガニーニ”になる』
 ウィーンでパガニーニの演奏を初めて聴いた若き日の青年リストは、その神業的なヴァイオリン演奏妙技に衝撃を受け思わず、ひと目もはばからずにそう叫んだという。 その後、一日の半分を練習室ですごしひきこもるようになる。 毎日ピアノの猛特訓に明け暮れ、超絶技巧の世界にのめり込んでいったリストは やがて、≪パガニーニのラカンパネラの主題による華麗なる大幻想曲op.2≫ を作曲している。

フランツ・シューベルト
『こんな桁違いの天才は、もう二度と現れないだろう!』
 パガニーニの超絶技巧を見終わったシューベルトがこう叫んだと伝えられている。それは1828年3月29日のウィーンでの出来事であった。その時演奏された作品は「ラカンパネラ」の原曲、「ヴァイオリン協奏曲第2番 ロ短調 op.7」だった。

ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ
 オペラ王として一世を風靡したロッシーニは、生涯たった三回しか泣かなかったが、その一回はパガニーニの演奏を聴いて号泣した時だった。

ロベルト・シューマン
『若いイタリア人作曲家の中でも最高水準』
 彼(=パガニーニ)の作曲した「カプリース第2番」の主題だけでも、芸術家としての地位はゆるぎないものだと悟った。シューマンは法科大学に在籍し、法律家になるか音楽家になるか悩んでいた。彼が音楽家の道を選ぶきっかけとなったのが、フランクフルトで聴いたパガニーニの演奏だった。
 晩年、精神異常をきたして、真冬のライン河で投身自殺を図り精神病院に収容されたシューマンが、死の直前に最後の情熱を傾けたのがパガニーニの「24のカプリス」のピアノ伴奏付の編曲だった。

フレデリック・ショパン
 ショパンが19歳の時が初めての出会いで、ワルシャワでの11回の公演のほとんどすべてを聴きに行っている。初期を代表する技巧的な作品「12の練習曲集」作品10を書かせることになった最大の動機は、パガニーニも超絶技巧だったと見られている。

カール・ツェルニー
『世界中どこを探しても、あの青白い病弱な男ほどヴァイオリンという楽器でたくさんのことをやってのけた芸術家はいない。かれはどんなピアノよりもうまく高音のパッセージを弾きこなしたが、あの純粋で透明な音色はピアノならばモシュレスかカルクブレンナーほども名手しか実現できないものだ。あの感激は一生忘れない。一度聴いた人は誰しもがそうに違いない。』

ヨハネス・ブラームス
『ヴァイオリン作品としては当然のこと、音楽作品としても偉大な才能』
 パガニーニの「カプリース」を聴いて、こう述べた。

エクトル・ベルリオーズ
『まるで彗星だ! あんなに忽然と芸術の大空に炎をあげて登場し、その長い軌道上で戦慄のような驚きを与え、そして永遠に消え去った天体はいまだかつてなかった』

『ひとりの男がホールで私を待っていた。鋭い目、長い髪、人間離れした顔の男…かつて目にしたことのない、一目見るだけで心をおののかせた、モノに憑かれた天才…、、、それがパガニーニだった』オペラ作曲で有名なベルリオーズが、親友でもあったパガニーニとの出会いをこのように語った。

フランツ・シューベルト
『わたしは、彼のアダージョに天使の声を聴いたよ…』
 パガニーニのみごとな演奏を聴き終えたシューベルトが、感激と感嘆とともに吐いたセリフ。 金銭に関して後先考えず無頓着な彼は、その時のパガニーニの高額なチケットを買うために、自分の家財道具をなんの迷いもなく売り払ったという。 しかも自分の分だけでなくその金で友人の分まで買い与えたという。
 しかし、パガニーニの派手な超絶技巧に対してではなく、あくまでも “アダージョ” の音色の美しさ、むせび泣くような “カンタービレ” に感動している。歌曲王にして史上最強高ノメロディーメーカーと評されたシューベルトさえこうだった。

ロドルフ・クロイツェル(フランスのヴァイオリニスト)
『難しいパッセージを「二重音」や「フラジオレット奏法」で以っていとも簡単に弾くので、私は大いに驚き、まるで悪魔の幻影でも見ているかのように錯覚した』


 ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネの「フローレンス夜話」で、主人公が聴いたハンブルク公演の印象を語るシーンに書いた。
「地獄から上がってきたようにみえる黒い風体の人間が舞台に現れてきた。それが黒い礼服に包まれたパガニーニであった。黒の燕尾服と黒のチョッキはおどろおどろしい形で、地獄の作法によって決められたペルセポネーの館のものであるかのようだ。やせこけた足のまわりで黒いズボンが落ち着きなくだぶついていた。彼が一方の手にヴァイオリンを、もう一方の手に弓を下げ持って、ほとんど地面に触れそうになりながら、聴衆を前にしてとてつもなく深いお辞儀をすると、彼の長い手はいっそう長くなったように見えた。あの懇願するような目つきは瀕死の病人の目つきなのであろうか。それも、そこにはずる賢い守銭奴のあざけりの下心が含まれているのであろうか」

 パガニーニがウィーンに到着したときはすでにモーツァルトもベートーベンもいなかった。ベートーベンはその約1年前に亡くなっている。






最終更新日  2021.12.12 06:55:55
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2021.12.04
カテゴリ:読書

♪ オペラ座に湧きあがりおる熱水の黒く冷たきパガニーニの血よ


 クラシック・ファンならニコロ・パガニーニの名前を知っている人は多いでしょう。私も超絶技巧のヴァイオリンの名手だということは知っていました。フランツ・リストの「ラ・カンパネラ」を超絶技巧のピアノ曲だというところまでは知っていても、原曲がパガニーニのヴァイオリン曲だと知っている人は少ないのではないでしょうか。

 リストと言えば「超絶技巧」「ピアノの魔術師」などといった言葉を連想しますが、そもそも超絶技巧を目指したきっかけは、ニコロ・パガニーニのヴァイオリン演奏を聴いたことが始まりと言われています。その時彼は「私はパガニーニになる」と言ったそうです。

 
右はドラクロアによる《ヴァイオリンを奏でるパガニーニ》

 この本は面白かった。日本初のパガニーニの伝記として書かれたもので、全身黒ずくめで「悪魔」というイメージを利用してブランディングに徹した、天才の生きざまを綴ってその類まれな天賦の才能を余すところなく描いて見せてくれる。

 1782年生まれで、5歳の頃からヴァイオリンを弾き始めた。父親が才能に気づき金が稼げると思って師につかせ本格的に習い始める。13歳になると学ぶべきものがなくなったといわれ、その頃から自作の練習曲で練習していた。それら練習曲はヴァイオリン演奏の新技法、特殊技法を駆使したものと言われている。

 蜘蛛のような腕が異様に長く、やせ細った不気味な風貌と無表情で無口。黒いマントに身を包んで、ロウソクが灯る薄暗い舞台に登場し、固唾をのんで静まりかえる観客をじろりとにらみつけると、観客は震えあがったという逸話を聞くだけで、興味をそそられる。

 詳細は本に譲るとして、印象深かったことを書き記しておくことにします。先ず病弱だったということに驚いた。(幼少時に重度の麻疹(はしか)で体が膠着して動かなくなり、両親が死んだと思って白布に包むとピクピクと動き出したというエピソードがある)
 その彼が19世紀のヨーロッパを熱狂させ、魅了させてパガニーニ現象(パガニーニ・ショック)をもたらし、当時の音楽家のみならずその後の名だたる作曲家に多大な影響を及ぼしたという事実を知ってただもう畏まってしまった。そして、ひれ伏すように彼の虜になってしまった。


19世紀のヨーロッパ

 イタリアという国がまだ存在せず、ローマ、ベネチア、ナポリなどと並んでジェノバという都市国家に生まれ育ったパガニーニ。1797年にナポレオン軍によって統一され、リグーリア共和国となり、イタリアという統一国家が誕生したのは1861年(明治維新の7年前)、パガニーニ没後21年後のことだ。
 1789年のフランス革命がきっかけとなったと言われるが、その時彼は6歳でヴァイオリンの才能を発揮し始めたころという。

 その超絶技巧には見る者を魅了して心を鷲掴みしてしまうという凄さは、今の時代でも彼を超えるものはない事からすれば、当時としてはとんでもない事だっただろう。14歳の時、街の貴族の詩人宅であった晩餐会で、その驚異的な腕を披露。さまざまなメロディを困難な二重奏で演奏し、さらに、その途中にフラジョレット(倍音奏法)の速いパッセージを挿入して驚かせている。

 彼の特徴の、高速スタッカート、スピッカート(弓を弾ませる)、ダブル・フラジョレット、左手のピチカート、広域にわたるアルペッジョ、スコルダテゥーラ(変則調弦)など特殊奏法のオンパレードは彼独自のものと言われるが、オーギュスト・フレデリック・デュランという当時のヴァイオリニストからヒントを得たともいわれている。

 若いころはイケメンだった彼は多額の報酬も得るようになり、博打と女に狂う時期があった。一旦(1801年)数年間を田舎に引きこもった後、1804年に宮廷楽士のの職に就く。そこからは破竹の勢いで名を馳せて、ナポレオンの2人の妹と浮名を流したりしている。
 4本の弦のうちG線(最も太い)とE線(最も細い)だけで男女の愛憎を表現して見せたりし、1本でもできるかと言われて後にナポレオンの誕生日に披露したのが、ヴァイオリン(5弦)とオーケストラのための曲「ナポレオン・ソナタ」だ。

1807年 ソロ・ヴァイオリニスト就任
1808年1月1日 室内管弦楽団が解散し宮廷弦楽四重奏団となりヴァイオリニスト兼フェリックス・バッキオッキ王子のヴァイオリン教師に任命される。その立場に満足せず12月宮廷を去る
1809年 更にヴァイオリン演奏法の追求に専念する
1813年10月29日 ミラノのカルカノ劇場での演奏会は批評家をして世界一のヴァイオリニストと称賛される。ミラノにおける37回の公演は全国の注目を集める
1816年 ミラノのラフォントに住む
1818年 ピアチェンツァのリピンスキに移住
1820年 慢性の咳などで体調不良となる
1823年 梅毒と診断される
1824年 のちに愛人となる歌手のアントニア・ビアンチに出会う。翌年二人の間に息子アキル出生(1837年認知)
1825年 健康状態の不安定は続く
     年譜はWikipediaのもの

 その後、イタリア半島での演奏ツアーを始めいよいよ「比類なきキャラ」を確立してゆく。「無伴奏ヴァイオリンのための二十四のカプリス」やいくつかの変奏曲を除けば大衆を唸らせるものがなく、何かが足りないと気付いた彼は、技巧だけでなくいかに自己を演出するかを考え、自作のヴァイオリン協奏曲の制作に取り掛かっていくことになる。
 現在、6曲のヴァイオリン協奏曲が知られていて、この時期に作られているものばかりとか。

 著作権など存在しない時代なので、勝手に使われたり盗作されたりするのを恐れ、演奏会のたびに自作の譜面をオーケストラのメンバーに配り、パート譜を配るのは演奏会の数日前(時には数時間前)で、演奏会までの数日間練習させて本番で伴奏を弾かせ、演奏会が終わったらか自ら回収していた。オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の弾くソロ・パートを聞くことができたという。

Niccolo Paganini Violin Concerto No.1

María Dueñas 16 years old You Tubeへ
Dima Slobodeniouk conductor、Lahti Symphony Orchestra
 16歳とは思えない堂々たる演奏で、弓の“馬の尾毛” が何本も切れ、パガニーニが好きでたまらないという風な熱演に、思わず引き込まれてしまった。

 1827年。ローマ教皇レオ十二世から「黄金拍車勲章」を授与され、悪魔ならぬ騎士(ナイト)となってイタリア半島を飛び出してヨーロッパ進出。栄光の名声を不動のものにしていく。

1828年3月29日ウィーンでの公演は大成功を収め、皇帝フランチェスコ2世からセント・サルヴェーター勲章を受け巨匠の名誉を授与される。フランクフルト・アム・マイン、ダルムシュタット、マンハイム、ライプツィヒ、プラハと公演し1829年3月4日ベルリンデビュー
1831年3月9日 パリ公演、6月3日ロンドン公演し1833年まで英国全土で公演
1832年 ジェノヴァに戻る
1834年 肺疾患により衰弱、20人の欧州の著名な医師が診察するも治療困難。パルマのヴィラでほとんど過ごし、時々パリを訪れる
1838年 声が出なくなる
1839年11月 健康の為ニースに行く
1840年 春、上気管支炎、ネフローゼ症候群、慢性腎不全を患い亡くなる

 パリのオペラ座で11回の公演だけで16万フランも稼いだという。今に換算すると、ざっと1億6千万円ほどにもなるという。チケット代を通常の2倍にしても市民は競って買い求めたと言う。興行師などいない時代で、会場を探し、広告を出し、チケットを売り、プログラム構成や演出もすべてを自分でやったというからすごい。
 既存のオーケストラがほとんどない当時は、基本的には演奏家自らが自腹を切って楽団員を集めてオーケストラを編成したという。1829年のベルリン公演では自作の協奏曲を演奏するため25人のオーケストラを編成したが、彼ほどの財力があっても25人が限度だったという。

 オペラ座公演には毎回、音楽家はもちろん、画家、作家、詩人などの芸術家から、王侯貴族、政治家、銀行家まで、あらゆる階層の著名人が集まったという。
 ある批評家・劇作家は、「所有物を売り払え。全部質に入れてでも彼を聴きに行け! 最高の驚嘆。最高の驚き。すばらしい奇跡だ。もっとも信じられないこと。最も異常で、かつ起こったことがないこと! タルティーニは夢で悪魔が悪魔のソナタを弾くのを見たというが、悪魔は紛れもなくパガニーニだ!」 と評している。


24のカプリス

 パガニーニの演奏・楽曲は、リストやシューマンなど当時の作曲家に多大な影響を与え、以後様々な作曲家がその主題によるパラフレーズや変奏曲を書いた。特に『24の奇想曲』の最終曲「主題と変奏 イ短調」や『ヴァイオリン協奏曲 第2番』の終楽章「鐘のロンド」は繰り返し用いられた。
【24の奇想曲 Op.1】
*ロベルト・シューマン
 パガニーニのカプリスによる練習曲 Op.3 (6曲)
 パガニーニのカプリスによる練習曲 Op.10 (6曲)

*フランツ・リスト
 パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 (6曲)
 パガニーニによる大練習曲 S.141 (6曲)

*フェルッチョ・ブゾーニ
 パガニーニ風の序奏とカプリッチョ
【第24番「主題と変奏」】
*フランツ・リスト
 パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 より第6曲 イ短調「主題と変奏」
 パガニーニによる大練習曲 S.141 より第6曲「主題と変奏」
*ヨハネス・ブラームス
 パガニーニの主題による変奏曲 イ短調 Op.35(2巻)
*セルゲイ・ラフマニノフ
 パガニーニの主題による狂詩曲 イ短調 Op.43(ピアノと管弦楽)

【鐘のロンド】
*フランツ・リスト
 パガニーニの「鐘」による華麗な大幻想曲 S.420
 パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 より第3曲 変イ短調「ラ・カンパネッラ」
 パガニーニによる大練習曲 S.141 より第3曲 嬰ト短調「ラ・カンパネッラ」(一般にピアニストのレパートリーとしての「鐘(ラ・カンパネッラ)」はこの曲を指す)

*ヨハン・シュトラウス1世
 パガニーニ風のワルツ Op.11

 もし、今の時代にパガニーニが現れたら、いや、もし今がパガニーニの時代(日本で言えば江戸時代)だったら・・・
                       明日につづく






最終更新日  2021.12.12 06:55:19
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2021.08.17
カテゴリ:読書

♪ 夕映えや無数の無名の無意識の一人となりて歴史を刻む

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 雨が降り続いています。少し前線が下がって中休みかと思いきや、これから先もぐずついた天気がつづきそうです。20日(金)以降は、太平洋高気圧が次第に西へ張り出してくるため、前線は北の方へ押し上げられていく予想ですが、西日本には暖かく湿った空気が流れ込みやすくなり、週末にかけても強雨や大雨のリスクが続くらしい。

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 明日からの庇の工事はちょっと遅れることになりそうだ。小雨ぐらいなら問題ないが19日の06-12に3㎜、12-18に5㎜、21日にも12-18に5㎜降る予想があり、22日(日)は一日中そこそこの雨らしい。それに台風も心配だ。

 大雨で避難を余儀なくされている方々には本当にお気の毒で心が痛みます。それを免れるなら、せめて読書に没入するのもいいかもしれませんね。以前のブログ(2019年4月28日)にはこの記事を添えてクダグダ書きました。今はコロナで外出も控えている人も多いでしょうが、誰とも会話を交わさずに過ごす方法としてこういうのもいいなあと思うんですね。お盆休みは終わってしまったけど・・・

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拡大します

 天気が悪いのに真夏日となってかなり蒸し暑いようなので、環状線なんかに乗って本を読んで過ごすというのも案外良いかも知れない。図書館などは3時間までとか時間制限があったりします。地下鉄など一旦ホームに降りて気分転換し、別の電車に乗り直したりね・・・。

 どどっと人が乗って来たり、さーっと降りて居なくなったりと、けっこう変化があって面白いんじゃない? 自動化されて切符には時間が記録されているだろけど、時間制限があるとは思えないけどどうだろう。知らない駅で一旦降りて散歩してお茶飲んで、また続けるっていう風にすれば問題ないし、それはそれでいいんじゃない? ちょっとぐらいの雨なら苦にならない。都会とその周辺の人、時間が有り余っている人に限るけどね・・・






最終更新日  2021.08.17 07:39:04
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2021.08.02
カテゴリ:読書

♪ 真っ白な入道雲が変幻しどうだどうだと見下ろしている

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 “天才”アラーキーのエッセー集「荒木経惟 実をいうと私は、写真を信じています」を読んでいる。いろんな媒体に書いたものを集めたものなので、時代やテーマ、書いている年齢も、抱いている興味も私情も熱気も信条も変化に富んでいる。

 電通の社員の身で、会社のスタジオを使って過激なヌード写真なんぞを撮っていて、上司に見つかり首になってから彼の写真まるけの人生が始まる。それが私が放浪の旅から帰って新しい仕事に就いたころと重なっている。自分の事で精一杯だったこのころ、彼の存在など微塵も知らなかった。80年代に入って、名前は知ることになるものの実態には触れることもなく噂を耳にするだけ・・。

 図書館にたまたま企画コーナーに並べてあり、興味を持った。卑猥なことばや俗語がたくさん出てくるこの本を並べた司書に乾杯。こういう本は酒を飲みながら読むに限る。ボンベイサファイアをオンザロックでやりながら、工事の騒音の中でアラーキーの常識、良識を逸脱した世界へ、いざ闖入とまいりますか。

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冒頭の70年代後半の「写真術入門」は面白く読んだ。
そのうち文章が怪しくなっていく。酔っぱらいながら書いているのか、
下らんダジャレが頻発してクサくなった。

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90年代のものはさすがに面白い。
写真を撮るだけ撮りまくって知り尽くした男の、本音と写真愛が筆に乗り移り、明確に持論が述べられていって読み応えがある。

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読んでいくにつれこちらの感性も揺さぶられ、ここの写真のようにかき乱されている。論理武装などせずにストレートに写真論を述べる。
その実践に基づく言葉には説得力がある。彼はセンチメンタリストで
その上にナイーブ。だからこそ写真が撮れる。
その徹底的な写真愛に圧倒されて「ヤッタモンガカチ」を思い、止めなかったものが最後に勝つという王道をつくづく思い知らされている。


 「写真には撮った本人が必ず出る」という。何をどう撮ろうとも、それを選んでシャッターを押した本人が感じたものがそこにはある。しかし、モノを見るときの脳は余計なものを見えないようにフィルターを掛けているので、見えなかったものが写っているということが往々にして起こる。だからといってそれは単なる偶然などではないし、ましてや神の力などでもない。

 私もしょっちゅう写真を撮ってブログに載せているわけですが、日記としての記録という意味とインサートカット的な要素もあって、あまり良い写真を撮ろうとは思っていない。シャッターチャンスを無視しているわけはないし、それなりに取捨選択もしている。
 撮った写真には私の目と心が映し出されているわけで、否応になしに私情が写り込んでいるわけです。






最終更新日  2021.08.02 09:10:25
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2021.05.14
カテゴリ:読書

♪ 咲く花に心趣(こころおもむけ)匂わせる黄色いばらの咲く家のひと

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 カズオ・イシグロのノーベル賞受賞第一作「クララとお日さま」を読んだ。近未来のSF小説で、主人公はAF( Artificial Friend 人工親友)と呼ばれる人型ロボットのクララ。都市の雑貨店で売られ、召使として使われる。娘ジョジーのために買われていった家の日々の生活が丁寧に描かれていく。そのクララ特有の感性と学習能力でジョジ―の日常の様子を観察することで、よき理解者として、より人間を理解できるようになっていくクララ。幼馴染とのやりとりにおいても、間に入ってよき相談者となり援助していく。

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 AIがつかさどるクララの脳は、見るものすべてを変化し続ける「ボックス」に分割して再構成することで理解するように出来ている。心も持っていて、人間を理解しようとながらそれなりの良し悪しの判断もする。

 太陽の光から「栄養」を得ているクララは、店にいたときも自分の立ち位置から、空を動くお日さまを見ており、迷信的ともいえるほどお日さまにすがろうとするところがある。ジョジーが困惑する状況に巻き込まれと神に似た力を求め、祈る姿が愛おしい。人間とロボットの中間に位置し、着かず離れずの様子がていねいに描かれている。

 現在と同じ格差社会で、裕福な家の子どもは遺伝子編集を通じて知性の「向上処置」を受ける機会に恵まれ、処置を受けられない子には優れた大学へ進む道が閉ざされている世界。人工知能が日常的なものになる中で、人間の本質は何ら変わない様子が悲しい。

 機械は人間と同じ前提に基づいて動くわけではなく、人間の欲望や都合をAIに投影することは危険だし間違っているということが、最後のところで提示される。テーマは、臓器提供者として育てられるクローン人間の生を描いた『わたしを離さないで』に近いものがあるようだ。
 ちょっと冗長な感じがして最終章で、命の尊厳とは、人間らしさとは何かを突き付けてくるまで耐えきれない読者も居るのではないだろうか。

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  Knopf(アメリカ)出版      Faber & Faber(イギリス)出版
 この赤い表紙から受ける印象はどうでしょう。日本の装丁と比べると、如何にも売るための脚色が顕著で、メルヘンチックな絵がイシグロのイメージとマッチしておらず、ちょっとやり過ぎの感がある。


「時空を超えて伝わる『感情』を描き出す」
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『WIRED』VOL.19より転載されたもの

上のインタビュー記事から抜粋
 ここ数年、文学や映画が、単なる気晴らしである以上の役割を見出しづらくなっているように感じもしますが、わたしの作品は、「あなたがもし同じような状況にあったら、同じように感じますか?」という問いを、読者のみなさんに投げかけるものだと思っています。その問いを投げかけることがわたしの仕事なのです。そして、人びとがそうやって感情や想いを分かち合うことはとても大事なことだと思っています。

 小説の主題となっている「感情」が適切に伝わることが、わたしには大事なのです。わたしが小説を通してやりたいのは、時代や空間を超えて伝わる「感情」を描き出すことです。それは、普遍的で、変わることのない感情です。それができていると自惚れるつもりはありません。むしろ、野心と言うべきもので、それがわたしが最初からやりたかったことなのです。

 また、映像とくらべて小説は「記憶」を記述することに長けていると思います。記憶の曖昧さ、不合理さ、そのリアリティを、ことばは、むしろ映像よりも的確に捉えることができるように思います。小説においては特定の時代や空間が設定されますが、そうした設定自体が重要なわけではありません。そこで描かれる感情や記憶といった心の作用こそが大事で、そこにこそ普遍性があるのです。









最終更新日  2021.05.15 09:39:00
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