096740 ランダム
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済州島へ

1   心は はるかな 故郷へ



    母はルーツを確かめに



    私は生きる道探しに



    それぞれの思いを胸の奥に収う



    父は母の手助けを



    愛する人への義務を果たす



    それは 一途な想いの為せる業



    初めて 祖父の墓を見たとき



    五十年の風雪と



    私たちの生きた証と共に



    ありとあらゆる涙が出ると



    心してその前に立ったのに



    不思議と感情は平らであった



    大きな盛り土の前で



    故郷の形の礼をした



    はじめてなのに はじめてでないような



    前から済州島へいるような



    それほど気持ちは平らであった





2   島にいる人達はこころよく母達を迎えてくれた



    明日は大伯父の一周忌



    小さい頃から母をかわいがる



    ここ二十年は音沙汰なく



    「吉子はどうした」が口癖だった



    祖父の養子に入った叔父さんが



    在りし日の母を知っている人達に



    「吉子が来た」と紹介する



    母は多くの人達と手をとりあい



    温もりを心にかみしめながら



    確かなる血脈を感じていた



    誇り高き「宋」の族は



    やわらかく母の手を包み込んだ



    手から伝わる温もりは



    「ここがあなたの故郷よ」と



    確かに母に伝えていた





3  6年前、私が母のルーツを知ったとき



   二人の姉もそこにいて



   下の姉貴は泣きながら



   「私は何があっても日本人よ」と言った



   生きることの難しさ



   尊厳を守ることの難しさ



   当然のようであった民族が



   そのとき涙と共に崩れていった



   思い返せば、母方の親戚に会ったことはなく



   幼な心にも不思議と感じたが



   まさか、まさかの大まさか



   韓半島の南に在る



   火山島の流れとは





4  それから私は考えた



   日本人と韓国人



   韓国人と朝鮮人



   在日コリアンと日本



   帰化



   民族



   ・・・・・・・・・・・・



   誰も答えは知らない



   なぜ両親は今までなにも言わなかったのか



   それが生きることの難しさ



   在日の歴史は「隠すの」歴史



   在日の歴史は「隠しなさい」の歴史



   日本人と同じでありなさいと言う歴史



   日本人と同じだと意識する歴史



   「日本」と言う枠組みの中で



   いかにあるべきかを問われた歳月



   果たしてルーツを捨てて自分は存在するのか



    子供の頃、よく踏めしめた田んぼのあぜ道の感触を懐かしむように  



   私にはまだ見ぬ地が懐かしい



   正直な気持ちになれば



   そこに国とか民族とかいった概念はなかった



   ただ帰りたくて・・・・・・・・・



   ただ確かめたくて・・・・・・・・・





5  初めてチェジュの島に降り立ったとき



   そこは私にとって異国ではなかった



   大伯父の家で食べた煮物は



   幼き頃によく食べた母のそれと同じだった



   母達の熱き思いは



   確かに済州島で育まれた



   いや、確かにここにあったのだ



   それは遠い昔のこと



   母も私もまだ形を成す前



   祖父の誇り高き心が



   その口から発せられる言葉と共に





6  言葉もわからぬこの日本で



   祖父母は如何にして人としての矜持を保ちえたのか



   私はいまだに自分のルーツを語ることが怖い



   私の中には自分を否定しようとする心がある



   自分のルーツを真摯に受け止めようとして



   乱れる私の心がある



   誰も私を韓国人(とのダブル)と思わない



   だからこそあえて自分から名乗りでるのだ



   私の血は叫んでいる



   「おまえは『日本人』になりすまして生きてゆくのか?」





7  大伯父の一周忌に宋一族の当主と思われる人がやってきた



   祖父の養子に入った人となにやら相談している



   聞けば私たちの名前を祖父の墓標に載せるとのこと



   嬉しい気持ちを抑えながら、私は差し出されたメモ用紙に自分の家族の名前を丁寧に一字一字書き連ねていった



   (これで私は日本人でありながら、韓国人であることもできる)



     そう思うとなにか複雑な想いにかられてしまった。



     言葉も知らず、生活習慣も違う



     ただあるのは血の繋がり



     それでも母は「宋」の族の1人であり、私は彼女の息子なのだ



     血は連なり、私はここに存在している

  

  8・1 2年前、母は脳出血で倒れた



      風邪一つしたことがない人が



     何の前触れもなく、右半身が動かなくなる



     これはとにかく一大事だと、救急車も呼ばず



     動けない母を車に乗せて、病院へと運ぶ



     すぐに精密検査が行われ、その間、私は入院手続きと家族への連絡をする



     (すぐ、家に帰れるよね)



     半ば祈る気持ちで、私はそう思っていた・・・・・・



     一通りのことを終え、私は待合室の椅子に腰をかける



     そこへ担当の医者が通りかかり



     「ちょうど良かった」と、CTスキャナーの写真を見せてくれた



     脳出血・・・・・・ 



     あと二・三時間処置が遅れていれば、完全に手遅れだった



     でも命があったとしても、普通の生活ができるまで回復するかどうかわからない



     (絶対に、お袋を済州島へ帰らせる。普通の生活のできる状態で帰らせる)





  8・2 親父や姉が病院に着いたとき、母の意識はほとんどなかった

   

      「僕は誰?」と父が母の耳元で問いかける

   

      「と・お・い・しん・せき・の・ひと」



      医者が言うには、処置が早かったとはいえ、ここ2日間が山場とのこと



      父は母の返す言葉に愕然とした



      6年前、家族全員がそろっているあの席で

   

      「俺は母さんを済州島へ必ず連れて行く」と宣言した



      あの誓いは果たせないのか



      「俺は今でも母さんが好きだ」から絶対に果たしたい約束



      60を超えた男の意地もあったであろう



      母にも父にも、そして僕にも今ここで家族の一人がいなくなるというシナリオは無い



      父の誓いは私の誓い



      あの誓いは絶対に果たす





   9  想いは命を蘇らせるのか



      母はまだ見ぬ墓への気持ちをたぎらせ



      二年後には全快した



     「お父さんに会いたい」を心の内で繰り返しながら



     小さな身体を大きく、そして耐えられる心を持つものに変えていった



     父は父であり、それ以上でも、それ以外でもない



     国ではない 民族ではない



     父親に会いたい ただそれだけだから――――――



  

  10 大伯父の墓は祖父の墓の隣にあった



     まず、ひい祖父さんとひい祖母さんの墓に参り



     大伯父の墓に参ってから



     祖父の墓に参った



     ―――誓いは果たした―――



     の思いを母も父もそして私も抱いたのであろうか?



     違う



     ―――導かれた―――



     のだと



     深々と頭を垂れ 目を閉じて浮かんだ思いは



     悠久なるひとときと共に



     私たちの心を平らにさせた


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