ふうみんの日記

2006/11/16(木)01:51

発達障害なのか?

桃花のこと(78)

桃は発達障害かもしれないと思っていたのですが、発達障害と言うよりは知的障害なのではないかとふと思いました。 しまじろうのおやこ英語をやっているのですが、それについていたすごろくを一緒にやっていて何度同じ事を言ってもそれが理解出来ない桃を見てそう思いました。 桃は2月で5歳になりますが(年中)、数字や字の読み書きは全く出来ないし、教えても入らないし(一生懸命教えたことはないけれど)、 今日も 「2がでたからふたつ進んで。」と言って「1,2」とコマを持って進むやり方を何度やってみせても出来ないのです。 その場所で「1」をカウントしたり、それ以前に1も2もわかっていないから「ふたつ進んで」と言っても「1,2,3」と数えて進んだり。 私はイライラしてどんどん怒ってしまい、冷静になってみるとかわいそうなことをしたなぁと思うのですが、ついつい「どうして何回やって見せても出来ないんだろう。」とイライラしてしまって。 今「知恵遅れ」という言葉を使うのかどうかわかりませんが、「知恵遅れ」なんじゃないかと。 そのことを私もちゃんと受け止めたらすごろくが出来ない桃に対してこんなに感情的に怒ったりせず、もっとゆっくり桃と遊んであげられるんだろうなーと思ったりします。 月曜日に保健師さんとうちで2時間近く話しをし、来月知能検査をしてもらうように御願いしました。 中途半端によくわからないまま桃と向かい合っていくより、はっきり桃の状態をわかった上で向かい合う方が自分が救われる気がしたので。 日ごとに成長していく蘭を見ながらその成長ぶりが楽しくて、やり取りがおもしろくて、「普通に成長する子の子育て」はこんなに楽しいのか、笑えるのか、と新鮮な感じです。 蘭くらいの頃の桃を育てていた時期はちょっと手がかかるから大変なんだ、でも子育てはみんなこんなもんだと思っていたけれど、、 今思うと「結構頑張っていたんじゃないか。」と我ながら思ったりします。 保健師さんに「(やり取りを楽しむことが出来にくいことなどで)子育ての楽しみが少なかったでしょう。」みたいなことを言われて、 「そうか、無理に子育ては楽しいと思いこもうとしなくてもそうじゃないと自分で認めてもいんだ。」と思いました。 桃くらいの女の子がいれば会話のやり取りをもっともっと楽しめるだろうに、桃とはそういう楽しみ方が出来なくて、そういうことが好きなだけになおさら切ないみたいな感じかな。 障害があろうがなかろうが、勉強が出来ようが出来まいが、桃が生まれてきて生きていることに価値があるんだと思うけれど、それを心で納得できない私はまだまだ未熟者だと思います。 中学・高校とずーっと教師になりたいと思っていた私ですが、こんな未熟者なので教師になってなくて本当に良かったと思う今日この頃です。 きっと弱者の気持ちなんて理解できない先生になってただろうと思います。 だからたとえ仕事のためとはいえ、丁寧に対応してくれる保健師さんや幼稚園の先生に対して感謝せずにはいられません。 三人目も欲し気持ちはあるけれど、こうやって毎日過ごしていると今の私にもう一人子どもは必要なんだろうか?とか考えてしまってやっぱり揺れ動いています。 それにしても今日はすごろくでかなり嫌な一日になってしまったなぁ。 桃ごめんね。

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