日本の裁判
今日テレビで「それでもぼくはやっていない」と言う映画がありました。これを見て感想を書きますまず、痴漢行為に関して番組の中で罪を認めればすぐに出られると言われていました。誰も知らないから、と言う理由でした。以前都立高校の校長が痴漢行為で捕まりましたそのときその校長は罪を認ました。そのとき教育委員会も罪を認めれば悪いようにはしないと言ったのではないでしょうか無罪で争えば映画のように大変になるからです。事実はわかりませんこの映画の中で裁判官が替わります。その理由は該当の裁判官が以前に無実を出したからです。裁判官が無実を出すということは検察を否定することです。これを聞いて、えー、と思いました。佐野眞一さんが言ったことは本当なのかと思いました。佐野さんは「この国の品質」という本の中で「東電OL殺人事件」のことを書いています。この事件は皆さんも記憶にとどめているだろうと思います。犯人とされた人はネパール人のゴビンダという人です。この人は映画と同じように無罪を主張しています。1審の判決は無罪でしたその時の裁判官は大淵敏和という人でそれ以後、人事異動は東京地裁から東京地裁八王子支部、広島高裁、福井地裁となっています。つまり、地方回りですね。しかし、彼は、東京高裁では有罪となりました最高裁も有罪となったのです。彼が素直に認めていれば今頃は刑期を終えて出獄しているでしょうしかし彼は認めなかったので今も服役しています。彼を高裁で有罪と判決した高木は裁判官を退職後帝京大学法学部教授となりその後中央大学法科大学院の教授となっている。これが日本の法曹界の現実。検察に逆らわない方が出世するのです映画と同じなのです。日本に正義はないのでしょうか実に寂しいものですね。