2005/05/08(日)17:05
「複音ハーモニカ」の歴史(川口章吾、宮田東峰、佐藤秀廊)
ある世代以上の日本人は、ハーモニカといえば、これを想像します。
「複音ハーモニカ」。
それは、単に情緒的な意味ばかりではなく
楽器としても、演奏法も
日本人が完成させたハーモニカだからでもあります。
1つの音を出すために複数の「リード」
(薄い舌状の金属片で、これが震える事で音が出ます)
を使用して深みのある音を出す、というアイデアは
ヨーロッパで起こりました。
(アコーディオンやバンドネオンといった系統の楽器の影響を感じます)
ホーナーのハーモニカEcho-2309 2309/32
ただ、この音域表を見て分かる方もいらっしゃるでしょうが
低音はあくまでも和音を鳴らすためのものでしたし
楽器としての位置づけも
「こんな変わった音の出る面白いハーモニカもありますよ」という
かなり低いものでした。
しかし、日本人は違いました。
2枚の「リード」が共鳴し合って出す「トレモロ音」に魅せられ
そして、ひとりの青年が画期的な改良を加えます。
「川口章吾」(時は大正2年、当時22歳。彼はすでに名の知れたハーモニカ奏者でした)。
SUK-23 川口章吾モデル
彼は音配列を変更して、低音部でもメロディーを吹けるようにし
さらに、半音高いハーモニカ(たとえばCに対するC#)を用意することで
その2本を上下に持てば、
曲中にシャープやフラットといった臨時記号が出てくる音楽的に高度な楽曲でも
演奏が可能なようにしました。
この改良により、日本式の「複音ハーモニカ」は
単なるおもちゃではない、一人前の楽器として
(その安さも相まって)爆発的に普及します。
そして、この日本式「複音ハーモニカ」の可能性を目一杯引き出す
二人の演奏家が登場します。
まず「宮田東峰」。
彼はソロの演奏家としても活躍しますが
大正7年に日本初のハーモニカ合奏団(後の「ミヤタ・ハーモニカ・バンド」)を結成し、そこに活動の拠点を置きます。
そして、大正14年に「トンボ・ミヤタ・バンド」ハーモニカを発売します。
TOMBO 特製トンボバンド 1521
SUZUKI ミヤタ・ハーモニカ MH-21
(権利の関係上、現在は「バンド」を元祖の「トンボ楽器」が、「ミヤタ」を「鈴木楽器」が使用しています)
「トンボ・ミヤタ・バンド」は
「ミヤタ・バンド」を名称に用い
外箱には「宮田東峰」の顔写真を商標として印刷する
といった広告戦略(現在でいう「シグネチャー・モデル」)で大ヒットし
ハーモニカ=ミヤタバンド=宮田東峰、というイメージは
全国に広まります。
(余談になりますが、筆者がハーモニカを吹き始めたばかりの頃、両親=昭和11年と17年生まれで音楽に関しては素人以下=に、「ハーモニカを吹いているのに、どうして宮田東峰、ミヤタバンドを知らないの?」と、むしろ不思議そうに尋ねられた経験があります)
彼は
「いと小さき楽器なれど我が生涯をかけて悔いなし」
という名文句を残しています。昭和61年死去。
もうひとりは、「佐藤秀廊」。
彼は川口章吾や宮田東峰のような世間的な知名度はありませんが
昭和2年から3年間、ヨーロッパに滞在し
それまで低かった「トレモロ・ハーモニカ」の評価を、一気に高めます。
また、指導者としても優れ
自らが確立した、複音ハーモニカの演奏テクニックや編曲を、全てオープンにします。
新版 標準ハーモニカ教本 1 入門・初級編
佐藤秀廊 ハーモニカ教室 初級・中級曲集 〔kmp〕
佐藤秀廊 ハーモニカ独奏曲集 1
佐藤秀廊 ハーモニカ独奏曲集 2
佐藤秀廊 ハーモニカ独奏曲集 3
佐藤秀廊 ハーモニカ・琴・二重奏 1
佐藤秀廊 ハーモニカ・琴・二重奏 2
現在、佐藤秀廊の弟子・孫弟子は
「日本ハーモニカ芸術協会」(通称「佐秀会」、昭和21年結成)を組織しています。
クラシックや童謡といったジャンルを演奏する著名なハーモニカ奏者で
「佐秀会」の系譜につながらない人の方が、少ないのではないでしょうか。
平成2年、92歳で死去。