東電の電気料金値上に反対、そして、国会事故調傍聴2回目
いよいよ5月も最終週に入り、電力不足が叫ばれる(本当に足りないのか、原子力ムラと結託した官報複合体が煽っているのか、分かりませんが)時期が近付いてきました。 東京電力が電気料金の値上を含む事業計画を経産省に申請していますが、今朝ほど、下記サイトのフォームを通じて、経済産業省資源エネルギー庁電力・ガス事業部電力市場整備課へ、私の、「値上反対・脱原発最優先」の意見を送りました。https://search.e-gov.go.jp/servlet/Opinion 私の個人情報に関する部分を除いて、送付した意見を掲載しておきます。意見ここから========================= 今回の電気料金の引き上げには反対の立場から、意見を述べさせて頂きます。 最大の問題は、東京電力が、脱・原発を打ち出していないことに有ります。東京電力の持つ全ての原子力発電所を停止・廃炉とするのでなければ、どのような事業計画・どのような料金体系も、到底、認められません。 原発が一度事故を起こせば、居住権や財産権、更には生命の安全すら脅かされる事態になることは既に証明済みであり、原発が停止することによって電力の供給不足・供給不安が起こることも証明されました。原発を電力の供給源とする限り、このようなリスクは将来に渡って存続し、社会全体が向き合っていかなければなりません。余りにも大き過ぎるリスクと言えるでしょう。 若し、東京電力の別の原子力発電所が、またシビアアクシデントを起こしたらどうするのですか? 再び、それを理由に電力料金の値上を求められるのでしょうか? 東京電力の全ての原子力発電所を停止・廃炉とするのであれば、電力料金が月額1000円程度引き上げられるのも甘受します。今迄、大き過ぎるリスクを地方に押し付けて、電力を消費してきたのですから、当然です。 東京電力は、先ず、原発の停止・廃炉を決定し、それに代わる発電所の設置や省電力策を打ち出すべきです。その上で料金の値上げ幅を算定し直して下さい。 尚、どのような事業計画であっても、東京電力の全取締役は年俸を最低紙幣の1000円とし、自ら、コスト削減の模範を示すべきです。最低限、行われるべき行為と考えますが、東電がやらないのであれば、経済産業省は監督官庁として強く求めるべきです。 合わせて、経済産業省には、消費者が電力を自由に購入できるように、国家総動員法施工以前の状態に戻して頂くよう、強く要請いたします。============意見ここまで デモや集会に参加するのも悪くないですし、必要な事ですが、ネットを通じた意見提出は最も簡単に出来る方法です。本来であれば、東電の契約者全員が送っても良い筈のものです。意見は6月9日まで受け付けているそうですから、このブログを読んで下さった方も、是非、送って貰いたいです。 尚、最後の文章は、意味が分かり難いかも知れませんが、戦前の日本では、電力会社を自由に選んで購入できたのです。それが、近衛内閣下で成立した国家総動員法を契機にできなくなり、全国独占の単一会社にまとめられていったという経緯が有ります。 詳細は、ダイヤモンドオンラインの記事を連載順に御紹介しておきます。とても勉強になる記事です。電力会社の地域独占体制が決まった日(1950年)【上】 http://diamond.jp/articles/-/12239 電力会社の地域独占体制が決まった日(1950年)【下】 http://diamond.jp/articles/-/12443電力国家管理へ抵抗した昭和の経営者 1930年代 http://diamond.jp/articles/-/12651電力国家管理と「資本・経営の分離」をめぐる小林一三と岸信介の闘い 1940-1941年 http://diamond.jp/articles/-/12854牛尾健治と五島慶太 電力国家管理批判を繰り広げる 1940-1941年 http://diamond.jp/articles/-/13035 今日はもう一つ、国会事故調の傍聴の感想も書きます。 日曜日でしたが、参議院議員会館1階講堂で開催された国会事故調の第15回委員会を傍聴してきました。参考人である枝野幸男前官房長官(現、経済産業大臣)からの意見聴取が主で、2時間半、ばっちりと見てきました(遣り取りの詳細はネットの録画をご覧下さい)。 枝野幸男氏を生で見たのは初めてでしたが、凄く頭の良い人ですね。失言や、言質が取られるような発言はしません。「回転の速い人だな」というのが第一印象でした。 2時間半の遣り取りを通じて一番疑問に思ったのは、「命を守りたい・生活を守りたい」という思いが伝わってこなかったことです。委員からの質問や指摘に対して、「それは言いました」「それは指示しました」と回答することが多かったのですが、私には「アリバイ作りばかりしている」ように思えてなりませんでした。 仮にも官房長官で、指示や命令をする立場だったのですから、指示や命令が徹底されているのか、指示や命令が意図するところとは異なって解釈・運用されたりしていないか、「指示した後」も監督する義務が有るでしょう。ですが、「事後」の監督や管理をしていたという説明はなく、「徹底されていなかったら残念だ・申し訳ない」と、今になって反省や謝罪の言葉を口にしています。 有名になった「直ちに」という言葉も同様です。「『直ちに』という言葉は3つの意味で使っていて・・・」と言葉の定義を委員に対して熱心に説明していましたが、自分の発した言葉や説明が、国民(取り分け、避難対象地域の人達)に、どのように理解・解釈されているのか、どうして、当時、調べよう・確認しようとしなかったのか。 如何に、発信側がAという内容を伝えようとしても、受け手はBと受け取ってしまうかも知れません。私達も、日常的に勘違いしたり、聞き漏らしたりはあるでしょう。ましてや、当時は事故がどの程度まで拡大するか全く予想がつかない状況です。国民の生命財産に関わる事なのですから、「言いました」「説明しました」で終わらせ、受け手側(=国民)に正しく伝えられたかどうか確認・検証をしないリスクコミュニケーションなんて、あるのでしょうか? 何度でも、「出来てる?」「大丈夫?」と部下に確認を求めるのが当たり前でしょう。 枝野氏にはお子さんがおられる筈ですが、枝野氏は自分の子どもや家族が避難対象者でも、「事後の確認」をせず、「言いました」「説明しました」で終わらせるのでしょうか? 指示は指示に過ぎません。どんなに立派な指示でも、守られなければ、実行されなければ意味がないのです。それも含めて管理・監督するのが、「上に立つ者」の責務でしょう。それが分からないのであれば、そういう人は国民の生命財産を守る職責に就くべきではありません。 もう一つ気になったのが、田中委員からの「安全宣言付きの爆発予告に思えた」という質問・指摘に対して「技術的な部分は専門家から説明を受け、納得して会見で説明した」という回答でした。 枝野氏の言う「専門家」が誰なのか、どういう説明をしたのか回答は有りませんでしたが、東電の技術者が説明役として常駐していた訳でも、福島第一原発のプラント状況がリアルタイムで把握できていた訳ではないでしょう。おまけに、第一原発の温度計・圧力計などが正常に動作しているかどうかの検証すら取れない状況だったのですから、どうして、「爆発しても大丈夫」という確証が得られるのか? どんなに立派な専門家でも、正確なパラメーターが把握できなければ分析や予測は出来ない筈です。しかも、全国民(≒当時は全世界)に向かって、「万一、爆発しても安全です」と言っているのです。その根拠は一体何処にあったのでしょう? その根拠が枝野氏の言う「専門家」から、提出されたのでしょうか? 残念ながら、田中委員の追及はそこまで及びませんでしたが、私は、枝野氏の「専門家の説明を受けた」という回答を聞いて怖くなりました。若し、その説明が間違っていたら、多くの生命・財産が失われかねないのです。そんな重大な事柄に関する説明を簡単に信頼する内閣官房長官とは、一体何なのでしょう。 ご自身も避難者である蜂須賀委員も枝野氏に質問なさっていましたが、胸中、どのような思いが渦巻いていたのでしょうか? 又、「(枝野)大臣のテレビだけが情報源だった・・・」と指摘を受けた枝野氏はどういう思いだったのか。 書きたいことは様々ありますが、切りが有りません。 明日(28日)は、国会事故調で菅直人前総理大臣への参考人質疑が予定されています。傍聴には行けませんが、ネットで視聴します。 今回は長文になりました。最後まで読んで下さった方、どうも有難うございます。