残念だった「フラッシュフォワード」とリメイク版「V」
今回は、SF小説家らしいテーマにしてみます(笑)。 本来は、こういうことを書きたくてブログを開設したつもりですが、原発の事ばかり書いていますね。 AXN・HDで放映されていた「フラッシュフォワード」と、スーパードラマTV・HDで放映されていたリメイク版「V」の感想です。 念の為、リンクを貼っておきます。フラッシュフォワード http://axn.co.jp/program/flashforward/introduction/index.htmlリメイク版「V」 http://www.superdramatv.com/line/v/ 尚、ここから先の文章はネタバレが含まれていることを御了承下さい。「フラッシュ・・・」は端的に言って、面白かったです。着想の奇抜さ・人物描写の繊細さ・、謎解きの面白さ・アクションの迫力、どれをとっても、この水準に肩を並べるドラマは少ないのではないかと思います。 衝撃的な幕開けで観る者の心をガッチリと掴み、大統領や謎の傭兵会社が絡んだ陰謀を匂わせつつ、「意識喪失」を起こさせた者の正体と目的を追跡していく。その一方で、未来を知ってしまった事で苦悩し或いは人生が変わってしまった者の心理描写を丹念に描き込んでいます。 自分の死を知ったが故に苦悩したり、何もかも捨てて、垣間見た未来を探し求めようとする登場人物達は、リアリティに溢れ、ついつい感情移入して観いってしまいます。竹内結子演ずるケイコが代表例ですが、日本・ドイツ・アフリカ・香港・アフガニスタンと、世界各地の人間ドラマを絡み合わせ、後半にかけて太い一本の糸にまとめ上げていく展開は見事でした。 それだけに、第一シーズンのみで終了したのが残念です。 打ち切られた事情は必ずしも断定できませんが、視聴率が低下したのではないかとのことです(ネットで調べた限りですが)。とは言え、アメリカのドラマは、国外に向けて販売もされてますから、その収益だけでも多額だったと思われます。それを、中途半端なまま、1シーズンで打ち切るとは、テレビ局上層部の意向でもあったのでしょうか。 私がネットで調べたところ、製作者達は「3シーズン程度」は作る予定だったそうで、「意識喪失」を引き起こした犯人の動機も、第3シーズンあたりで語らせるつもりだったそうです。 動機というのは、「人類の救済」とのことです。未来視ができるようになった首謀者は、何度も未来を見た結果、人類の未来が悲観的なものであることを知り、その原因である人口爆発を防ぐ為に、無作為に人間を間引く方法を考えた。その結論が「全世界同時の意識喪失」だった-というものです。 第一シーズンで展開された人間ドラマが更に発展し、この倫理的な問いかけが絡まれば、もっと面白くなったと思いますが、打ち切りが残念でなりません。 ここからはリメイク版「V」の話題になりますが、この作品も、中途半端なまま第2シーズンで打ち切られ、話数で言えば20話しか作られていません。 SFドラマの伝説とも言える「V」のリメイク版ですから、スーパードラマTVで放映が決まってから、毎週、観るのが楽しみでしたが、ビジターと人類の戦いが佳境に入ろうとするところで終了し、「フラッシュ・・・」同様、不完全燃焼・消化不良の感ばかりが残りました。 とは言え、「フラッシュ・・・」に比べると粗が目立ちました。全体を通じて、「意外な展開」で観る者を引っ張ろうとする意図が見え、登場人物の描写が平板に感じたのが最大の欠点でしょうか。 地球外の知的生命体と初めて遭遇したのですから、自分のアイデンティティーを揺さぶられるような衝撃の筈です。それが、淡々と描かれている様子に違和感を覚えました。 ビジターの親善大使になった、ローガン・ハフマン演ずるタイラーにしても、もっと上手い使い方があったのではないかと思います。例えば、親善大使になったことで「自分は他人とは違う」と思い込んで傲慢になり、反ビジター派になった嘗ての友人を警備を名目に半殺しにしてしまう。それを知った母親のエリカは息子を逮捕せざるを得なくなり、決定的な親子の分裂に至る―というような展開です。 或いは、反ビジター派の襲撃に遭ったエリカ達FBI捜査官が懸命にビジターを守り、エリカがたまたま近くにいたビジターの少女を庇って弾除けになったら、それがリサだった。それがきっかけで、リサはエリカと交流することになる。人間が、自分の身を顧みずに自分を庇った事や、豊かな感情を持っていることを知ったリサは、人間に共感するようになり、未来の女王である自分の立場に苦悩する―というような展開も考えられます。 人間の登場人物をビジターのように冷酷にし、ビジターの登場人物を人間のように感情豊かにする展開にして、観ている者にアイデンテイティーや人間性を深く問いかけるようにすれば、もっと面白くなり、打ち切られることも無かったのではないでしょうか。 実際に出来上がった作品は、まるでゲームのようで、「ビジター側3点・反ビジター側2点」と、点取りゲームのような印象を受けました。アクションは派手ですし、一つ一つの場面は緊迫感が有るのですけど、心に残らないのですね。 そういう意味では、「バトルスター・ギャラクティカ」は珠玉のSFドラマだったと言えます。アイデンティティーや人間性を深く問いかける哲学的な展開に圧倒されっ放しでした。今時珍しい「正座して観るドラマ」で、娯楽性とは対極にある作品でしたが、娯楽性からは徹底して距離を置いたが故に、あの質の高さを維持できたのでしょう。結末まで娯楽性を排除したものだったのは納得できませんでしたが、それで作品の質が下がっている訳ではありません。ギャラクティカ紹介サイト http://www.superdramatv.com/line/galactica/「V」の話に戻りますが、登場人物の描き方以外にも、不自然な部分が目立ちました。 主要都市の上空に巨大な円盤が浮遊しているのは、安全保障上の脅威になる筈で、どの国の政府も退去を求めないのは不思議です。 又、アメリカ大統領や議会の動きが全く描かれないのも不自然で、このドラマには「政治」が存在していないかのように思えました。テレビのニュース番組で、世論の動向を伝えていますが、それだけでは説得力が有りません。 最後に秘密組織が出てくるのもご都合主義としか思えず、しかも、そこに身近な人間が加入していたとなると・・・言葉も有りません。第3シーズンが作られたとしたら、この秘密組織が中心になったのでしょうが、そうなると、益々、アイデンテイティーや人間性を描く余地は少なくなっていた筈で、どうも、製作者は、そういう方向性での作り方は念頭になかったようです。だからこそ、「点取りゲーム」的な、「どっちが有利か」という展開に偏っていったのかも知れません。 リメイク版「V」は、打ち切られたのが残念なのは勿論ですが、折角の素材を生かし切れていなかったという意味で、二重に残念な作品でした。 色々と書きましたが、例え打ち切られるとしても、様々なドラマを予算をかけて作ることのできるアメリカのテレビ界の広さ・深さが羨ましいです。ハリウッド映画のスタッフ・キャストの幅の広さも、こういうテレビ界で鍛えられているからこそなのでしょう。