11月14日の金曜行動~福島原発かながわ訴訟・原告の方の手記紹介~
11月半ばは、傍聴が集中しました。 12日に第38回原子力規制委員会(資料・動画)を傍聴してから仕事に行き、13日午前に経済産業省・総合資源エネルギー調査会・電力ガス事業分科会・第9回原子力小委員会(議事録・資料)、同日午後に第14回汚染水処理対策委員会(資料)を傍聴しました。 13日は、一日中、経産省漬けでした。原子力小委員会が終わってから、汚染水処理対策委員会の受付開始を待つ間、日比谷公園をブラブラと散歩し、日比谷図書館で雑誌に目を通したりしたのが、僅かな息抜きの時間でした。精神が張り詰め続けていると、自分では分からないまま、疲れますね。ブラブラする時間が有って良かったです。たまたま晴天で、スーツの上着を着ていると暑いくらいでした。本来なら、傍聴ではなく、登山にでも行きたいくらいの天候でした。 14日は、仕事が終わってから金曜行動に参加し、スピーチしました。このスピーチの準備も、時間がかかるようになりました。出来るだけ短い時間で、且つ、早口にならず、且つ、伝えたい事をコンパクトに、という条件を満たさなければなりません。自分の思いや考えを伝えるのではなく、事実を伝えるようにしていますから、調べる時間も必要です。かと言って、好い加減な事をしていたのでは信頼を失いますし、組織力で来る原子力ムラには勝てません。無理しない範囲で続けることが肝心です。 一つ一つの傍聴の感想や印象を書きたいのですが、時間が有りません。資料のPDFファイルや動画をご覧下さい。 金曜行動のスピーチの動画です。2014/11/14 韓国の脱原発運動家が訴え「原発には国境がない」日韓両国の原発老朽化を懸念~再稼働反対! 首相官邸前抗議 (IWJ/私は7分30秒~/視聴には会員登録必要) このスピーチで「3人が死傷」と言ってますが、「負傷」の間違いですね。こういうチョンボは無くさないといけません。この時のスピーチで初めて「原発事故二正面作戦」という言葉を使いました。 この後、希望のエリアに移動しました。20141114 金曜国会前抗議活動 Mr規制委委員会から(約8分) 全編はこちら(ツイキャス録画/私は1時間5分30秒~) 希望のエリアで紹介している「福島原発かながわ訴訟」の原告のお一人、Kさんの手記は、下記。====ここから==== 3月11日、あの震災の日。私は、夫が単身赴任している小田急線沿線の某市にいました。小田急線に乗って、福島に帰るところでしたが、新宿の手前で電車が止まり、酷い揺れが続きました。夫の所に戻ってから、震源地や地震の詳細が分かりました。海のすぐ近くの実家にいた両親の事が心配になり、あちこちに連絡を取りました。 実家は津波で流されましたが、母は近所の人達と高台に避難し、デイサービスに行っていた父は近くの体育館にいるとのことでした。ホッとするのも束の間、直後に原発が水素爆発を起こしました。皆、逃げて逃げて、母は、会津まで行ったと分かりましたが、父の行方が分からなくなりました。父は要介護5で車椅子なので、心配でたまらず、県内の介護施設に片っ端から連絡しました。数日後、福島駅近くの施設にいる事が分かり、ガソリンが買えないので、すぐには迎えに行けないことを伝えて、その時は電話を切りました。 数日後、その福島の施設から「お父さんの手足が冷たくなり、色が変わってきた。急いで病院へ連れて行く。病歴を教えて欲しい。早く早く」と連絡がありました。 父は、どうにか一命は取り留め、夫と息子が迎えに行きました。神奈川県に着いたとき、父は、娘である私の顔も忘れてしまっていたようでした。でも、家族と一緒で精神的にも安定したのか、日一日と良くなって、ショートステイに受け入れが出来るようになりました。 私は、毎日付き添っていましたが、父は、夜になると、声を上げて泣いているということでした。 10日ほど経ってから、父が体調を崩しました。私は、父を病院に連れて行き、お医者さんに「父を福島に連れ帰って、親戚のいる中で看取りたい」と伝えましたが、お医者さんからは「今、福島には医者がいないんだよ」と説得されました。 5月14日の朝、父は、神奈川県内の病院で寂しく亡くなりました。86歳でした。長距離の移動と急激な環境の変化が、高齢の父の心身には大きな負担となったのでしょう。 会津から神奈川県に避難していた私の母は、ふるさととの繋がりを求めて、父の遺影と共に浜通りの仮設住宅に入居しました。母も、80歳を越えました。 仮設住宅の庭にチンゲン菜を植えている母を見て、切なくなりました。事故の前までは、自分の畑で沢山の野菜を作って、近所の人に「持って行け」と言っていた母です。仮設住宅の庭では、ほんの少ししか取れないのに、それでも周りの人に「持って行け」なんて言っているのです。 私達家族は、頻繁に母に会いに行っていましたが、最近は疲れてしまい、その回数も少なくなってしまいました。 私達の周囲では、母親と子どもが遠くに住み、父親は地元で仕事をして、週末だけ会いに行く、そんな生活がもう3年以上続いています。どうか、一日も早く除染をして、家族揃って安心して住めるようにして欲しいと願うばかりです。 ====ここまで==== 第6回口頭弁論での原告側代理人の意見陳述や原告の方の意見陳述の概要は、また改めて紹介します。かながわ訴訟団資料集販売のお知らせ(原告団のサイト) 資料集は1部1080円(税込)、部数限定です。春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)