東京都避難住宅追い出し訴訟・即日結審した控訴審と、東京都への意見送信
証人申請を却下し、即日結審「東京都避難住宅追い出し訴訟」(※)については、当ブログで何度か取り上げてきました。この訴訟での被告・鴨下氏の意見陳述と、一審・東京地裁の判決は、当ブログ過去記事に掲載しています。※ 2011年3月のフクイチ核災害によって、福島県いわき市から東京都に避難してきた鴨下祐也氏が、退去期限後も避難住宅に住み続けていたことを理由として、期限から退去日までの損害賠償金の支払いを求められて東京都から提訴された訴訟。元々は「明渡し」も含まれていたが、鴨下氏が2023年1月に当該住宅から退去した為「明け渡し」は取り下げられた。 2024年10月7日、東京地裁民事部は東京都の請求を全面的に認め、被告・鴨下祐也氏に東京都へ約274万円の支払いと訴訟費用の負担を命じる判決を言い渡した。この判決を不服として鴨下氏は東京高裁へ控訴した。 尚、鴨下氏は「福島原発事故被害東京訴訟」(フクイチ核災害による避難者が、責任の明確化と賠償支払いを求めて国・東電を提訴した集団訴訟)の原告団長でもある。この訴訟は、第一陣が最高裁に上告中、二陣が東京地裁で係争中。●「(東京都)避難住宅追い出し訴訟」の意見陳述と一審判決1.東京地裁で、核災害避難者に対する「追い出し訴訟」が係争中(2024年6月10日記事)2.避難住宅追い出し訴訟(仮称)は、7月18日に結審。判決は10月7日14時(同7月28日)3.東京都へ「提訴取り下げ」を求める意見を送信(同8月11日)4.東京都へ「仮執行反対」「提訴取り下げ」の意見を送付(同10月22日)5.避難住宅追い出し訴訟の東京地裁判決(2025年1月16日) 被告・鴨下氏は一審の判決を不服として(「不服」なのは当たり前でしょう。この理不尽が通ることは許せません)控訴し、その控訴審の第一回弁論が、2025年2月20日に東京高等裁判所103号法廷で行われました。 この控訴審では東京都と国とのやり取りや取り決めを明らかにすべく、控訴人(鴨下さん)側は、国や都の財務担当者を証人として申請していました。 三角比呂裁判長は、鴨下さんの意見陳述の後で(当記事下部に掲載/弁論後の報告会での説明によると、この意見陳述は「内容を見てから決める」と言われ、陳述が認められた際も5分程度にするように要請されたそうです)、証人採用を却下し、判決期日を「5月8日・木曜・11時20分」と指定して、そそくさと法廷の後ろのドアから消えました。全く感情や心理が見えない裁判体 2月20日、101号法廷の最前列で傍聴していた私には、三角比呂裁判長の言動は、結論が最初から決まっているセレモニーのように見えました。 10時40分の時間通りに入廷し、「控訴人(鴨下さん側)」「被控訴人(東京都側)」の提出書面を確認し、鴨下さんに陳述を促しました。 鴨下さんの陳述は10時41分に開始され、46分に終了しました。 下記に掲載のように、鴨下さんの陳述は重い内容で、心理的・肉体的に追い詰められている実情を訴えるものでした。 三角裁判長を含め、3人の裁判官は陳述の間、表情が全く変わりませんでした。左陪席(裁判長から見て左側。傍聴席から見ると右側)の裁判官は、鴨下さんを見ていましたが、三角裁判長は一度だけ、陳述している鴨下さんをチラ見しただけで、目の前の書類の整理に忙しいようで視線をずっと下に落として手を動かしていました。 三角裁判長が視線を上げたのは2回だけで、明らかに法廷後方の時計を見る動きでした。 私は特に三角裁判長の動きを見ていました。 裁判長は、鴨下さんの陳述が終っても、「お疲れ様でした」とか「宜しいですか」との一言もありませでした。傍聴席から起きた疎らな拍手に対して「ここはそういうことをする場ではない」旨を発言して注意しました。 鴨下さんが控訴人席(通常は原告席として使われている側。傍聴席から向かって左側)に戻ると、「証人申請の申出や証拠調べの申出」について、「不要と考えるので却下」する旨を宣告しました。 そのまま「判決日程」を伝えたのですが、ここで若干、間が空きました。その時、傍聴席から「(証人却下の)理由は」「どうして」と野次が飛び、裁判長は「発言しないで下さい」と簡単に注意して、改めて判決日時を伝えると閉廷を宣言し、2人の陪席裁判官とともに奥の扉から退出しました。 この間、約10分です。 私の印象ですが、三角裁判長の言動は「事務的」という形容詞ではまだ生温いように思えました。 目の前の鴨下さんに関心がないどころか、無視しているような態度でした。まるで、鴨下さんが存在しないかのような振舞です。視線は鴨下さんに向けられず、表情や口調は変わらず、心理や感情が全く感じられず、機械のようでした。 人間的なものとは対極にあるものを見たと形容すれば良いでしょうか。 一言で言って、「気持ち悪かった」です。鴨下さんの意見陳述と、東京都への意見送信 以下に、鴨下さんの意見陳述と、私が2月28日に東京都に送信した意見・概要を掲載します(東京都に送った意見は、私のうっかりミスで全文の保存ができなかった為、概要としました)。 私は、被害者を、住む所から追い出した上に損害賠償金を請求する行為は、1938年にドイツでおきた「クリスタル・ナハト」(水晶の夜/別名「11月ポグロム」)に匹敵する行為だと考えています(詳細は下記にリンク記事の後半に記載)。(リンク)●避難住宅追い出し訴訟(仮称)は、7月18日に結審。判決は10月7日14時(2024年7月28日) 基本的人権の侵害だけでも許し難いのに、行政や司法が「合法的に」それらを実施することは輪をかけて許せず、恐ろしいことです。「水晶の夜」の先に何が起きたか。「当事者は大変だね」という問題ではありません。(リンク)●都民の声総合窓口メールフォーム====被告(鴨下祐也さん)による意見陳述、ここから==== 本日は意見陳述の貴重な機会を与えて頂き、お礼申し上げます。 先週、隣の103号法廷で、私が原告団長を務める国賠訴訟(福島原発被害東京訴訟)の3次・4次提訴の本人尋問が行われました。しかし、尋問予定の5名中、3名が出廷できないという異例の事態となりました。欠席の理由は、入院・感染症・そして急性心筋梗塞です。更に、出廷できた方も、避難してから2度ガンを患い、今も体調が思わしくなく、出廷が危ぶまれていたそうです。 私自身、ステージ3の大腸癌で、昨年は治療を含めて10回の入院を経験し、内2回は緊急入院でした。更に今は、心臓にも異常が見つかり精密検査中です。決して高齢者が多い訴訟でないにも関わらず、特に癌と心臓病が多いと感じます。実際、避難元のいわき市や福島県では、急性心筋梗塞死の割合が全国平均の2倍を超えており、自治体が注意を呼びかけています。 私は生物の分野で博士の学位を持つ科学者です。嘗ては研究で放射性物資を扱うこともあり、放射線被曝についても若干の知識を持つ者でした。その為、2011年の原発事故の前後で、放射線被曝に対する国の対応や数値の扱いが、全く別世界のようになってしまったことに驚愕しました。 国民に危険を伝えず、寧ろ隠蔽しようとする国や東電の態度にも憤りを覚えました。しかしそれ以上にショックだったのが、同じように科学の知識のある者達の沈黙でした。勿論、学位を持ちながら科学者としての矜持を棄て、言葉巧みに歪んだ安全論を広める者らが猛威を奮い、真実を伝えようとする誠実な学者を攻撃していたことも許せません。でも、攻撃を恐れ、多くの科学者が現実から目を背け、口を閉ざしてしまったことも非常に残念でした。国は、風評加害者という言葉まで作って、真実に蓋をしようとしていますが、せめて現時点で科学的に明らかになっている事実は、きちんと伝え、回避できる危険は回避できるよう、促すべきだと思っています。 国は2017年3月に避難住宅の提供を打ち切りました。しかし、それ以降も私が避難住宅から退去できなかった理由は、避難元の放射能汚染が今も続いているからです。昨年1月、いわき市の自宅の庭の土壌測定をしてみましたが、依然として40000㏃/㎡の放射線管理区域の基準を越えていました。平時であれば子どもが立ち入れる筈も無く、放射線業務従事者であっても飲食が禁止される放射能汚染の中で、私は妻子と共に日常生活を再開するなど、考えられません。 2022年、この訴訟によって、全く納得ができないまま、無理矢理避難住宅からの退去を余儀なくされた私は、一旦は避難住宅に近い場所に転居したものの、心身を病み、生活が困難になり、今は療養を兼ねて親族の家に滞在しています。 東京都の担当者は「鴨下さんは、裁判を起こして原告団長をやっているくらいですから、裁判を起こされても、訴えられたことが原因で病気になるようなことはないでしょう」という言い方をしていましたが、訴えられて平気な人間などいるのでしょうか。実際、私はこの裁判を起こされて以降、自殺率が高いことで知られる双極性障害を発症し、まさに死ぬほどの苦しみを味わい、家族にも深い傷を与えてしまいました。症状が緩解している今も、再発の恐怖は消えませんし、巻き込んでしまった妻はPTSDを発症し、今も服薬治療中です。 一方、昨年、私の大腸を摘出した主治医は「この癌は10年以上前に出来たものだ」と語りました。その言葉に、14年前に起きた原発事故と、当時自分が暮らしていた福島県いわき市の夥しい放射能汚染を思わずにはいられませんでした。手術を終え、半年間の苦しい抗癌剤治療を耐えてなお、今も私を脅かしているこの病が、福島原発事故による放射線被曝に起因するものではない、ということを、一体誰が証明できるでしょうか。 私は、自分が家族がこんな気持ちにならない為にも、避難をしたかった。そして同じように、癌や心臓病を発症した人やその家族が、こんな耐え難い気持ちにならない為にも、避難を続ける必要が有ったと思っています。 私自身は、避難指示が無かった為に、事故後の2年間、避難が叶わず、妻子のみを逃がすのがやっとでした。だからこそ、せめて自宅が安全になるまでは避難を続けたかったし、同じように酷い汚染状況にある避難元に、人々が戻らなければならないように国や東京都が避難者を追い込んでいることが、耐え難かったのです。 私は今も疑問に思い続けていることが有ります。何故、私は東京都と争わなければならないのでしょうか? 私達が住んでいたのは、国が管理する国家公務員宿舎です。国が避難住宅として提供することを決め、また国と県が被害者の懇願を無視して一方的にその提供を打ち切ったことでおきた問題です。 私達が交渉を続けていた都の担当者は、東京都が国から損害金を請求された為に、本来起こしたくない裁判を起こすことになった、と説明していました。国は、避難住宅の居住者の避難元が、これほど汚染しているにも関わらず、それを完全に無視して、私達を避難住宅から追い出すことを都に強要したように受け取れました。この裁判に至る経緯の中で、避難当事者である私達を無視して、国と東京都の間で一体どのような取り決めがなされたのか、これは是非、この裁判で明らかにして頂きたいものです。 例え低線量であっても放射線被曝は有害です。この14年間で、それを裏付ける報告は更に増えています。同どうか被曝を回避する手段を、これ以上被害者から奪わないで下さい。そして家を追い出したり、訴訟を起こすことで、これ以上被害者に二重三重の苦しみを与えないで下さい。 この裁判では、私だけが被告として訴えられましたが、今も怯えて暮らしている避難者達は皆、この裁判の行方を固唾を飲んで見守っています。原発事故さえなければ必要のなかった避難、味わうことの無かった恐怖は、今日も続いています。 どうか、最新の知見を以て放射線被曝の害を理解し、私達にこれ以上の被曝や恐怖を与えないで下さい。 2025年2月20日 東京高裁第8民事部にて====陳述、ここまで========私が東京都へ2月28日に送った意見概要、ここから====●東京都による鴨下祐也氏への損害金請求・控訴審(東京高等裁判所・第8民事部係属)についての意見と要望1.鴨下氏が居住していた住宅は国有財産であって都の財産ではない2.東京都は国に対して何らの支払いも行っていない3.鴨下氏の避難は、東京電力・福島第一原発事故で元々の居住環境が変化したことによるものであり、その変化は未だ解消されていない。又、事故は鴨下氏の責任ではない4.加えて、鴨下氏は癌で闘病中である5.上記を踏まえれば、東京都による鴨下氏への損害金請求は根拠がなく、「被害者に対する行政によるいじめ」とも受け取れる小池都百合子知事への要望1.鴨下祐也氏への提訴を取り下げること2.東京地裁判決を執行しないこと 尚、この意見は私のものであり、他の如何なる個人・組織とも関係無いものであることをお断りしておきます。====東京都へ送った意見概要、ここまで====↓ 東京都への意見送信後の画面・スクリーンショット春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)