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遅くなりましたが、表題の金曜行動に参加したので、動画と内容の紹介です。 2016.07.08 国会前スピーチエリア“希望のエリア” (KENさん撮影/私は22分40秒~) 2016.07.15 国会前スピーチエリア“希望のエリア” (同/私は18分40秒~) 8日に「雨水用タンクをALPS処理待ち水用タンクに転用した」と間違ったことを話してしまったので、15日に訂正しました。議事堂前でも同様に訂正しました(「ALPS処理待ち水用タンクを雨水用タンクに転用した」が正しい内容です)。 7日時点のフクイチの汚染水の数字はこちら。同様に14日時点の数字はこちらです。 15日の金曜行動では、吉良よし子参議院議員の事務所で行われたフクイチのレクに関する内容報告を、ブログに全て掲載したこともお話ししました。当ブログの検索方法も伝えていますが、どのくらいの方が閲覧して下さっているのでしょう。最近は、一日平均アクセス数が安定して三桁を記録しています。少しでも多くの方にフクイチの現状を知って頂ければ幸いです。 22日の金曜行動は仕事の関係で不参加でした。19日に原子力規制委員会で行われた「第44回 特定原子力施設監視・評価検討会」の内容等を伝えたかったのですが、残念です。とは言え、7月18日に当ブログにアップした「吉良事務所でのレクに至った詳細経緯」を書いた後は、グッタリと疲れてしまい、スピーチを纏める事は出来なかったかも知れません。 この「詳細経緯」の記事は、リンク等のアドレスも含めてですが4万字を越えました。単純に、400字詰め原稿用紙100枚分で、短編小説に匹敵します。私の第二作「疫病惑星を封鎖せよ」(2010年・文芸社)が原稿用紙500枚強ですから、第二作の5分の1に当たる量を4日間程度で書き上げた事になります。文章を考える・書くという作業はとても疲れることです。真剣になればなるほど疲れます。こんなに疲れたのは、第二作を書き上げて以来、無かったのではないかと思う程です。「詳細経緯」をアップした後は、数日間は疲れが抜けず、この週末でどうにか回復して来ました。東電の定例会見すら、視聴するのが億劫でした。仕事が休めないので、尚更でした。 この間、当ブログの更新が1回だけ(7月第三週のフクイチの汚染水の数字の紹介)だったのは、そういう訳です。「詳細経緯」を書くのに、それだけ集中し、頭を使っていた事の表れなのでしょう。吉良事務所でのレクは、自分がこれまで取り組んできたことの集大成みたいなものですから、意識せずとも、それだけ真剣になっていたのでしょう。 余談が長くなりました。 15日の金曜行動・希望のエリアで紹介した、福島原発かながわ訴訟・第14回口頭弁論(2016年3月23日・横浜地裁101号法廷)での原告側意見陳述の概要です。因みに19日は、午前中に規制委員会で「監視・評価検討会」を傍聴し、午後は横浜地裁で第16回口頭弁論を傍聴しました。傍聴席76席に対して105人が並びましたが、当選しました。かながわ訴訟の件は、別記事にまとめます。 ====意見陳述概要、ここから==== 原告番号35-2番 3人の子どものお母さん 2011年3月11日の事は忘れません。その日は、次女の中学の卒業式でした。次女は、高校の入学先は一期選抜で決まっていました。数日前に高校を卒業した長男は就職先も内定し、運転免許も取得して入社式を待つばかりでした。 11日、間も無く夕方になろうという時間に、物凄い揺れが襲ってきました。家には子ども2人と私の3人だけで、夫と長女は勤務先でした。すぐに暗くなり、停電したので、長男が数日前までアルバイトしていたお店に蝋燭と乾電池を買い溜めに行きました。お店の中も滅茶苦茶で、停電し、レジが使えない状態でしたが、売ってくれました。 携帯電が繋がらなかったので、ラジオを聞けるようにして石油ストーブで部屋を暖め、リビングには蝋燭を灯しました。ストーブでお湯を沸かし、どうにかプロパンガスを復旧させました。 夫と長女が帰宅したのは21時過ぎでした。 炬燵が使えないので、湯たんぽを2つ使い、リビングで雑魚寝しました。強い余震が何度も襲い、殆ど眠れないまま12日の朝を迎えました。後で知りましたが、その間に、周辺住民の方達は避難を始めていたのです。私達にはラジオからの情報だけでした。今でも、その時のことを思い出すと、息をするのが苦しい程、胸が張り裂けそうです。 町内放送で何かを言っているようでしたが、余震が多くて聞き取るのが大変でした。ラジオの町内放送も、その時は津波の事を言っているようでした。 3月12日は、皮肉なことに私達夫婦の結婚記念日でした。12日のいつからか、放送で避難するように言っていたので、私達も避難を考えましたが、私達の家から見える国道は渋滞の列が長くなるばかりでした。夫が知人に電話したところ、避難所になっている施設は満員で入れないし、ガソリンが無くなって自動車を乗り捨てている人達もいるとのことでしたので、私達は子ども達の事も考えて、12日の避難は断念しました。 翌日の13日に、私達は、私の実家である、浜通りの別の自治体に軽自動車2台で向かいました。停電していなかった実家でテレビを観て、とても驚いたことを覚えています。愛犬と愛猫は置いてきたので、14日に慌てて連れに戻りました。 14日に見た光景は忘れられません。通行止めが始まっていたので、通れる道を探しながらの移動でした。自衛隊の人達は皆、重装備で、全面マスクと防護服でした。口元に紙マスクだけだった私達は怖くなり、愛犬と愛猫を連れて実家に再び非難しました。 その時、実家は屋内退避範囲でしたが、私の弟にも子どもがいたので、私達の話を聞いて、大変心配していました。 翌日だったと思います。私と弟は避難することにしましたが、私の両親は身体障碍者なので家に残ると言いました。私と弟がどんなに説得しても、「足手まといになるから」と聞き入れてくれませんでした。 弟は、妻と娘を連れて福島市へ避難し、私達夫婦は親族のいる伊達市に向かう事にしました。 原発事故の発生から数日が経ち、福島県内は何処へ行ってもパニック状態でした。スーパーの棚はガラガラで、ガソリンスタンドは昼夜問わず長蛇の列でした。 伊達市では、数日間はお世話になりましたが、親族も自分の家の事で手一杯だったのでしょう。「出ていってくれないか」と言われ、途方にくれました。 私達は相談の上、夫の生まれた地であり、義理の父の故郷である神奈川県へ向かう事にしました。 緊急車両しか通れない事は知っていましたが、東北自動車道のインターチェンジに向かい、事情を話したら、通行証として小さな紙切れをくれました。私は高速道路を走りながら、涙が止まりませんでした。家を不当に追い出される気持ちが分かりますか。 私達5人と2匹は、約1ヵ月間、神奈川の親類の方達に大変お世話になりました。 市役所にも何度も通いました。市営住宅を探し、次女の高校を探し、ペットの里親を探し、全て緊急で対処して頂きました。このご恩は忘れません。 子ども達は避難先でも馴染むのは早く、自分の選んだ道を徐々に歩んでいます。 馴染めないのは私達夫婦です。 そこに定住すると決めたら、仕事も子どもも、定住する家を基準に考えます。そして、結婚・子育て生活に関わる全ての円の中心が家になるのです。離れていった子ども達も帰ってくる家が有ります。それが家というものです。 その家が、今、私達には無いのです。原発事故は、住む家を奪い、故郷を奪い、私達5人の考えていた人生設計を奪いました。子ども達がこれから仕事・結婚していく中で、私達夫婦は、子ども達や何れは孫が、故郷と呼べる家を作らなければと考えています。浜通りの家は住める状態ではありません。何処の地と考えても、必ず、原子力発電所が付いて回ります。事故が収束してもいないのに再稼働させようという原発が日本の何処にでも有ります。 あれから5年経った今の、辛さ・怒り・ストレスは当初の5倍、いや、それ以上です。 私の父は2011年12月に、癌で他界しました。息を引き取る間際まで、「家族にこんな思いをさせた東電を恨む」と言っていました。後日、母に聞いたところでは、発災当初、父は、癌に蝕まれ、心労の重なった体で、体育館や役場に飲料水や食料を貰いに何日間もスクーターバイクで走り回っていたそうです。 私は、東京電力の行動や言動で、人間不信になっています。身内でさえ、何を考えているのかと不安になると、悪い方悪い方にて考えてしまう程、重症なのです。政府・東電・医療機関、全て信じられません。 私の心は引きこもったままです。笑って暮らせる日は来るのでしょうか。 震災後、テレビで、津波の映像が放送されると、「ストレスになったり、気分を害する方は視聴しないで下さい」と字幕が流れていましたが、私のこの意見陳述をまとめる時、とても辛く、苦しくなり、泣きながら原稿を書きました。 夫は、私よりも深刻で、3年位前から不眠症と鬱病に悩まされています。医師からは「ストレスが原因」と言われていますが、働かない事には食べていけないので無理をして働いています。そのような夫を見ているだけで辛くなります。 私は子ども達を育てる時、「自分がされて嫌な事は、絶対に相手にはしない事」と教えました。被告達に言いたいです。自分がやられたら嫌な思いをする事を、私達、避難者に対してしないで下さい。 ====意見陳述概要、ここまで==== 春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
春橋さん、いつもありがとうございます。19日の横浜地裁行けなかったので、意見陳述報告、とてもありがたかったです。制限区域の解除がニュースでも取り上げられないような酷い状況。現在進行形の事態を知らせるため、当事者の証言を広げていかなくてはならないと改めて思いました。
(2016.07.30 07:52:12)
青島様、コメント有難うございます。当事者の方達の声・体験・思いが、全ての出発点と考えております。
(2016.08.05 01:08:43)
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