2024年8月現在、フクイチ核災害に関する責任の明確化・損害賠償を求める集団訴訟は、全国で約30件有ると思われます。
その内「原発賠償京都訴訟」の控訴審が今年12月に大阪高裁で判決予定、「千葉訴訟・第二陣」「だまっちゃおれん訴訟」が最高裁第一小法廷に継続しています。
フクイチ核災害による損害賠償請求訴訟は、2022年6月17日に最高裁第2小法廷が「群馬」「千葉第一陣」「生業(なりわい)・第一陣」「愛媛」の4件について「国が規制権限を行使したとしても、事故を防げなかった可能性が高い」との理由で、国の賠償責任を認めない判決を下して以来、地裁・高裁いずれでも原告側の敗訴が続いています(2023年12月に東京地裁で言い渡された「千葉訴訟・第二陣」控訴審の判決は、全体でも40数ページで、判決の主要部分は最高裁判決のコピーだったそうです)。
(リンク/2022年6月の最高裁判決の、ほぼ全文を掲載した拙ブログ記事)
●国の賠償責任を認めなかった6月17日の最高裁判決(22年6月19日記事)
2022年6月の最高裁判決は覆さなければならない
今も続いている他の集団訴訟で、それぞれの原告団・弁護団は、2022年6月の最高裁判決を覆すべく、全力を上げています。
京都訴訟では、支援する会も一体で、大阪高裁の裁判長宛てに葉書で訴える取り組みを行っています。
(リンク)
●【原発賠償京都訴訟団】大阪高裁民事第12部 牧裁判長あて 1万枚ハガキ大作戦 発動(支援する会の7月1日付けブログ記事)
私も専用のハガキに短文のメッセージを書き、8月11日に63円切手を貼って投函しました。
又、京都訴訟の取り組みに刺激を受け、自分独自に、最高裁にも「国の賠償責任を認めるのが当たり前の判決」である旨を訴える葉書を投函しました(最高裁はメールの意見募集フォームどころか、FAX番号すら見当たりませんでした。仕方ないので、直筆は苦手なのですが、久し振りに書きました)。
(リンク)
●最高裁判所の所在地
私は原告ではありませんし、法曹資格も持っていませんが、「司法への信頼」「三権分立」は、私を含む全国民に関係の有ることです。司法が行政の追認機関と化せば、行政・司法一体となって「合法的に人権侵害」が出来ますし、行政が三権の頂点に立つことになりかねません。
歴史の教訓が有ります。
ドイツ第三帝国では、司法が行政の裁量権を事実上、無制限に認め、ゲシュタポやSS(親衛隊)による無制限・無期限の予防拘束が行われました(当記事では、詳細な説明は省きます)。
そうなってからでは遅いのです。「国の主権者」として、例え一人でも、声を上げる・意見を表明するのが、私の主権者としての取り組み方です。
以下、2通の葉書に書いた意見です。
====大阪高裁・牧裁判長宛てに書いた意見、ここから====
●原子力利活用が国策として推進された結果として過酷事故が発生し、人と国土が毀損されました。
●過酷事故に繋がり得る自然現象に関する予測や調査報告が複数ありました。
●行政は法令に基づいて東電に命令等を発する権限があり、その法令は国民の生命財産を守ることを目的としていました。
●以上を踏まえれば、国の賠償責任が認められるべきです。
====大阪高裁への意見、ここまで=====
====最高裁・第一小法廷裁判官宛ての意見、ここから====
前略
現在、第一小法廷では、東京電力・福島第一原子力発電所事故に伴う賠償請求訴訟の内、所謂「千葉訴訟・第二陣」「だまっちゃおれん訴訟」と呼称される複数の訴訟を扱っていると承知しています。
2022年6月、最高裁第2小法廷は、同様の賠償請求訴訟4件に関し「東電へ対策を命じていても事故は防げなかった可能性が高い」のを理由として、「国の賠償責任を認めない」判決を下しました。
22年6月の判決は行政の判断の追認であり、司法の役割放棄ではないでしょうか。この国の主権者の一人として、三権分立の意義の根幹にも関わりかねない重大な問題であると憂慮し、懸念しています。
司法が行政の追認機関と化すべきではありません。司法の独立・司法への信頼を、司法自らが毀損することがあってはなりません。
東電原発事故に伴う賠償請求訴訟では、行政の責任を明確にし、賠償を命じる当たり前の判断を下すよう、強く望みます。
====最高裁への意見、ここまで=====
投函した葉書の写真です。悪筆なので、全体の撮影は控えました(笑)
↓ 大阪高裁宛ての葉書

↓ 最高裁宛ての葉書

春橋哲史(Xアカウント:haruhasiSF)