3.11から10回目の年明け~私が年賀の挨拶をしなくなった訳~
※当記事は、過去記事に最新の数字等を加えて加筆・訂正したものです。 2021年になりました。 年賀の挨拶をしなくなって、10回目の年末年始です。 私も3.11以前には、メールでの年賀挨拶(年賀葉書の使用はそれ以前に止めていました)をしていましたが、2012年以降はしなくなりました。 2012年の年始は、自宅のパソコンの前で迎えました。2011年の暮れから、フクイチ事故の政府事故調中間報告書をダウンロードして数百頁のPDFファイルを読み続け、気が付いたら年が明けていました。初めて読む用語をメモしながら、報告書の内容についていこうと必死でした。 読了したのは、年が明けて数日してからで、既に年賀状を出すタイミングは逸していました。 私には、もう、年賀の挨拶はどうでも良くなっていて、「(フクイチ事故のことを)もっと知りたい」という思いばかりが募っていました。 そして、その年に国会事故調の委員会を傍聴し、フクイチに関する様々な本や記事を読んでいく内に、フクイチ事故の重大さを知り、「報道機関が当てにならない」「原発事故と命・暮らしは、全く対極にある」ことを思い知らされました。 夏には首都圏反原発連合の金曜行動に参加して、官邸前の20万人の一員になり、議事堂前でスピーチするようになったのも、この年の秋からでした。 2013年が明ける頃には、私の中では「フクイチ事故は世界最大の核災害」「果てしのない被曝労働が続く」という評価は確定していました。 この状態で「新年おめでとう」とは書けません。新年のどこが「めでたい」のでしょう?「年が明ける=日時が経過した」です。その分、フクイチで働いている人の被曝線量・被曝人数は累積していきます。又、設備の劣化も進み、放射性液体廃棄物・同固体廃棄物の量も増えます。 オンサイト(敷地内)だけを見ても、日時が経過するほど、「取り組むべき問題」が増えていくのですから、全く「おめでたく」ありません。寧ろ、年が明けない方が良いですし、夢想するなら、3.11以前に時間を逆戻ししたいくらいです。 更に言うなら、被災者・被害者の方達の生活も、3.11を切っ掛けに悪い意味で変えられてしまい、取り返しがつかないままです。私のような、首都圏に住む者の電力の為に生活を壊された人達がいる中で「おめでとう」はないでしょう。 繰り返しますが、ポスト3.11の日本で、新年のどこが「めでたい」のでしょうか? とは言え、社交辞令としては、新年の挨拶をしない訳にはいきませんから、私は職場でもどこでも、「おめでとう」ではなく、「今年も宜しくお願いします」と言うようにしています。 フクイチでは、タンク内貯留水が約124万tに達し、計画上のタンクも、ほぼ作り尽くしました。建屋内・建屋周辺での高線量作業が増え始め、燃料集合体やデブリの取り出しも計画や言葉ばかりが踊り、3号SFP(使用済み燃料プール)を除いて、準備や調査ばかりです。東電が認めているだけで、働く人の死者は20人、負傷者は300人に達しており、しかも、作業が終了する見通しは全く有りません。 オフサイトでは、甲状腺癌の罹患者が増大の一途を辿り、関東以東への放射性セシウムの降下は続き、土壌へも沈着しています。フクイチ事故で発生している国民負担(税金+電気料金)は10年間で約17.4兆円に達し、これからどれだけ膨れ上がるのか、確たる見通しもありません。20年度後半(20年10月)からは、電気の託送料金を通じての廃炉・賠償費用の「強制徴収」も開始されました。 しかも、被災県である福島県が、被害者である避難者を相手に家賃を二倍請求し、遂には、知事・議会が一体となって、避難者を賃貸住宅から追い出そうとしています。私は福島県の動きは、現代版「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)に匹敵する事態だと思っています。 東海再処理施設(核燃料サイクル工学研究所の中の再処理技術開発センター)に有る約380京ベクレルの高放射性廃液のガラス固化も中断したままです(機器の不具合の解消に取り組んでいて、21年5月再開予定)。東海再処理施設を大地震と大津波が襲ったら、どうなるでしょうか? 全然「めでたく」ありません。 核災害と同居するようになったポスト3.11の日本では、年が明ける度に、あらゆる意味で状況が厳しくなってるように見えます。 今年も、3.11を止められなかった主権者・フクイチの電気の消費者であった者として、核災害と核のリスクを追いかけていきます。 宜しくお願い致します。春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)