テーマ:懐かしのフォークソング(668)
カテゴリ:ふきのとう
![]() 「夕暮れの街」は、デビューシングル「白い冬」のB面でもある。 アマチュア時代からよく歌っていた彼らの持ち歌。 前年の5月、全国フォーク音楽祭・全国大会で歌い、作曲賞を受賞した曲。 この大会には、STV(札幌テレビ放送)ラジオの竹田健二ディレクターに 連れられて上京したらしいが、竹田氏との出会いなど詳しいことは不明。 そのフォーク音楽祭の全国大会の会場となったのは日比谷野外音楽堂だった。 11年後(1984年)ふきのとう10周年記念ライブをおこなったのと同じ会場。 ライブの中で、細坪さんが話す。(DVDでは割愛されているのが残念) 「今でも忘れないのが、竹田さんと一緒に東京に来て、 ホテルからここにくる間に高速道路があって、そこの下にギター持って 僕らをつれてきて『ここで発声練習しろ、ここで大きな声で歌え』 車がば~っと通っているところで「オレンジ~」と歌って、 『よし声が出た。それじゃ行こうか』て言って。 賞をもらって思いっきり喜んでくれた竹田さん。 今日のコンサートは残念ですけど…きけずにいってしまいましたけれども」 竹田氏は、1977年8月27日の朝、36歳の若さで急逝したのだった。 アルバム「風来坊」(77.11.1発売)の中に「レクイエム8.27」という 歌詞のない、或いは歌詞のつけられない楽曲を、山木さんは残している。 (「GOLDEN J-POP/THE BESTふきのとう」97.11.21の1曲目にも収録) 「ふきのとうにとって生涯忘れることのできない作品」だと、 CBSソニー・ディレクターの前田仁氏に言わせている。 アルバム「風来坊」から1年後、アルバム「思い出通り雨」(1978.7.21)の ジャケットに、手記を寄せている。 (byふきのとう となっているが、この辺は山木さんの文のような気がする) 『或る夏の朝、白み始めた北の空に、とてつもなく巨きな星がひとつ 流れて消えていった…。』 続いて、その知らせを受けたときの衝撃を語っている。 何のことかということは、敢えてぼかしてあるから、知らない人が読むと ちょっと抽象的な感じがする。 『ある“出来事”を心の中で“想い出”と呼べるようになるまでに、 人はそれぞれに似合った時間を必要とする。・・・(略)・・・ こうして1年が流れたけど、まだその“想い出”を心の外に出して話す ことが上手くできないでいる。』 そうして竹田氏のことを「君をいつまでも忘れない」という歌にした。 作詞作曲・山木康世。(アルバム「思い出通り雨」に収録) 「君はひとりぼっち星になった 若くまだこれからというのに… 君の君らしさに もう 君の姿にさよなら」 あえて、哀しい曲調ではない。 これを、日比谷野外音楽堂の10周年記念ライブでも歌い、上述の竹田氏との 思い出を語り、続いて「夕暮れの街」を歌った。 LPのブックレットには『またここで「夕暮れの街」を歌った…。 12年たったら「君をいつまでも忘れない」という唄ができていた』とある。 竹田氏の半生や、ふきのとうとのかかわりは資料がなくこれ以上わからない。 が、竹田氏と「夕暮れの街」はふきのとうにとってプロになるきっかけとなる 「とてつもなくおおきな」人物と曲であったようだ。 竹田氏と松山千春との関係は、長七7614さんの日記をご覧ください。 ふきのとうは、この「夕暮れの街」をデビュー曲にしたかったらしい。 が、どこからかサイドから、これは同じ年の4月に出てヒットしている グレープの「精霊流し」に曲調が似ているから、違うのにしようということで デビュー曲とならなかったらしい。(ね、うまぽけろんろんさん。) …似てないと思うけどなぁ・・・ コード進行もやや複雑で…夕焼けの広がる素敵な光景が目に浮かびます。 試聴は →コチラ 歌詞・コードは →コチラ
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