はるのひの気まぐれ通り雨

2017/12/03(日)02:43

ヤスさんから小田さんへのメッセージ~小田和正三昧生放送の備忘録~

オフコース(81)

11/23の今日は一日「小田和正」三昧には、たくさんのリクエスト曲の他に、各界からの、そしてアーティストお仲間からのメッセージが多く紹介されました。小田さんが古稀を迎えられて、70歳おめでとうございます的な色合いが濃かったようにも感じました。 アーティスト:武田鉄矢さん、鈴木雅之さん、大竹しのぶさん、さだまさしさん、坂崎幸之助さん、財津和夫さん、等々。そしてその最後に、あろうことか、かつての盟友・鈴木康博さんからのメッセージ。大のオフコースファンで知られる番組進行の阿部渉アナウンサーがインタビューをとってきたようです(阿部アナGJ)。以下、ヤスさんのシーンを、うろ覚えながら記録しておこうと思います(詳細は若干違っているかもしれません)。 阿部:(小田さんについてどのように思われますか?…みたいな直球質問だったような) 鈴木:ヒット曲をたくさん出されててよくネタがつきないなぁと感心して見てますけども。とにかく集中力がすごいんだなぁと。それからもう声がね。あの声を聴いただけでああ小田さんだとわかるから、それが悔しかったですね。ああいう声の持ち主は、天から授かったものなので、うらやましかったなぁ。 阿部:最初に知り合われたのは電車の中でいたずらしている小田さんだったとか?人柄は? 鈴木:まあ明るいですよ。冗談好きだしね。割とこう、なんだろう、人を惹きつけるカリスマ性はあったような気がします。しばらく小田とも会ってなくてね。NHKっていうのはすごいですね(こんな風にいきなり取材のオファー来るなんて!というニュアンス←阿部さんがすごいと思う) 前にも名古屋のNHKだったけど、プロデューサーが小田に手紙を頼んでね、それで小田からホントに手紙をもらったんですよ、だから小田に借りがあるんですよ。 阿部:100年インタビューで(小田さんが)鈴木さんから色々教わったと仰ってましたが? 鈴木:それは、僕も色々教わった。僕は音楽の教育を受けていないから、五線譜とか。小田はコーラスとか合唱団やってたでしょ、だからいろいろ教わったし、それはお互い様ですよ。 阿部:今ふりかえってどう思いますか? 鈴木:もう、宝物ですよ。音楽に情熱をもってやれてるし、ほんとにオフコースの頃はいろんなことが勉強になった。それを今、いろんなことに活かしていけるか。どれだけ長くやっていけますかね。何があるかわらかない、声が出る限り、やり続けられるかと思いますが。 阿部:リクエスト曲をお願いします 鈴木:ああ…そうですね、「ひとりで生きてゆければ」が好きでした。時代でしょうね、オフコースをやり始めて、中々、日の目をみない、努力が報われないというか、でも悲壮感はなかったですが、その頃の気持ちを詞にできているというか、まとまった曲でしたね。まあ、好きでした。 阿部:「ありふれた幸せに背を向ける勇気がほしい」という…(スラスラと歌詞が出てくる阿部アナ) 鈴木:よくご存知で!(さすがはオフコファンの阿部アナ) これからどうなるかわからないという中で、覚悟というか、詞に出来るのはすごい力だなと思いましたね。 阿部:小田さんに何かメッセージは 鈴木:もう、僕も70に…まだなってないですけど、やっぱり声がかすれてきたり、ステージとかそれなりに気を遣うところもあるので、がんばっていきたい。 お互いそれぞれのアーティスト活動を頑張りましょう、ということです。(以上でヤスさんの録音メッセージ終了) 小田:いやぁ~…すごいのを録ってきましたね。ビックリです。あり得ないですね。これはもう消化するのにしばらくかかりますね。「ひとりで生きてゆければ」を挙げてくれたことも含めて。オレはすごくあいつから学んできた。あいつがオレから学んでると思わなかたし、そんなことも初めて聴いたし。いやぁ~~、びっくりしましたね。 阿部:あの頃のことを宝物と仰ってましたね 小田:宝物だよね。 阿部:今回のきっかけとして、NHK名古屋放送局の番組に小田さんが鈴木さんへ手紙を書いたのを覚えてます? 小田:覚えてないね、あるの? (小田さん本日覚えてないこと多すぎでした・笑) 阿部:洋楽、聖光のこと、キラキラした思い出を…嬉しく思っていますという… 小田:あぁー、書いた書いた!笑 「ひとりで生きてゆければ」も意外だね、そういう評価をしてくれていると思わなかったから。勿論、バンドの意思として書いているわけだけど、その詞について語ったこともないし。ああ、届いていたんだな、と。もう40年くらい前でしょ、40年以上だね。 阿部:ご自身の中ではどういう評価を? 小田:本音だけで、本音を歌にしたという。ヒット曲を意識してなかったし、若いし、若いからこういう曲になるんだね。よっぽど器量をもっていれば、ポップな曲になるんだろうけど。本音だから。その頃、残したものだから。ありふれた幸せに背を向けるしかなかったんだよね、強がりで。 阿部:では、1976年「ひとりで生きてゆければ」。(曲が流れる) (この後に、ヤスさんの新曲「縁もゆかりも」も流れました。すごくいい曲だった)    ︙ 番組の最後に、 小田:今日はアーティストの方々や視聴者の皆さんからとっても大切なものをいただきまして、これをなんとか形に変えて、できるだけ早くお返ししなくちゃいけないとつくづく思いましたね。どうもありがとうございました! 阿部:また「いつかどこかで」!(ちゃっかり曲のタイトルを使う) 小田さんもお元気で 小田:君も元気でね。  (終了) ヤスさんがオフコースを脱退以来、公の電波にのってこのような内容はほとんど聞かれなかったのではないのかなぁ。貴重です。 「言葉にできない」のスタジオ生演奏むちゃぶりの時に「ヤスのメッセージといい、NHKは結構強引だね!笑」と小田さんに言われてしまいましたが、このくらい強引でないと、引き出せなかったインタビューでしょう。 でも、別に嫌な印象はなかったと思う。あれ以来、周りが気を遣いすぎて、こういうこと聞くのを勝手にタブー視して何十年も過ぎてしまい、誰も切り込めなかったのではないかな。そういう意味では立場を利用したファン代表の阿部アナGJと思いました。 ここでヤスさんがはっきりと「お互いそれぞれのアーティスト活動を頑張りましょう」と仰ったのが、良かったと思います。 ☆今日は一日小田和正三昧プレイリスト☆(NHKのサイト) にほんブログ村 ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^)

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