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カテゴリ:日々のこと
私個人は死刑制度廃止論に、どうも説得力を感じない。
そもそも、死刑制度廃止には反対だ。 なんでそんなに死刑を廃止しろと運動を盛り上げているのかよくわからない。 「他の先進国は死刑廃止してますよ! 死刑なんて残酷です!」と言われても 「よそはよそ、うちはうち」という気持ちになる。 しかし、どうして私はそう思うのだろうか。 私以外の人々、つまり「死刑廃止は反対」という人たちはなぜ、 「死刑はあるべき」と感じるのだろう。 実はそれもよくわからない。 そこで日本文学専攻だった頭に浮かんできたのが、 山折哲雄の『死の民俗学』 これは民俗学や古典文学を論じるのに欠かせない本なので、大学の図書館に 常に置いてあったし、学生が何度も借りていくもんだから本がボロボロだった。 で、この本は日本人の死生観を知るためのヒントになるかもしれない。ただ、どっちかと いうと内容は葬送の方法に重点があるのでヒントにはならないかも(どっちだよ)。 日本文学専攻だったからさんざん読んだはずなのに、内容忘れてるよすっかり!orz いつか再読しよう。 昔大学で習ったことを無理矢理思い出してみた。 そもそも、これまで日本人に根付いてきた「死」に対する考え方として ・人は死ぬとこれまでの罪を清められる。 ・死を以って償わせようとする。 (かつての敵討ち制度がその象徴) ・死はケガレ(穢れ)であり、排除しなければならない (お葬式のあと塩で清めたり、なんてのがそう) というのがあるわけで、死刑を廃止するなら、これを根底からひっくり返さなければ、 日本人はなかなか「死刑廃止賛成」とまではいかないのではないだろうか。 お葬式の形態が変わり、かつての風習をやめて故人の希望に沿うようなスタイルに なっている。 だがスタイルは比較的簡単に変えられる。死に対する考え方、つまり死生観を まるごと変えるのは、容易ではない。 民俗性がひっくり返るということはもはや、日本人が日本人でなく別の国の 人間の精神にそって生きる、くらいのことであり、つまり「日本人をやめる」と いっても過言ではない。 しかし、日本人はいっぽうで、他国の文化も積極的に取り入れる傾向があるから、 どの時代にも常に他国文化や宗教に理解を示す人がいるのも当然の流れだ。 文明の発展、文化の動きに伴って人々の考え方も変わる。ガラリと変わるまでには 1世紀くらいはかかるだろう。 だから、もしかしたら21世紀では無理でも、来世紀あたりは (今の政治家がサクサクと死刑制度の廃止を決めない限り) 日本の死刑制度は廃止されているかもしれない。 結局のところ、個人的には、一足飛びに「死刑廃止」とするのではなく、日本人の 死生観の分析と、それに基づいた死刑制度・刑罰の方法を論じること、 運用の問題点を明らかにしていくという順序のほうが妥当ではないかと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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