No.11「神様の愛って、すごいな!」
★Short Message No.11★
「神様の愛って、すごいな!」
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、
その人のうちに御父を愛する愛はありません。
(ヨハネの手紙 第一 2章15節)
「世と世にあるものを愛するな」とは、聖書は何とひどいことを言うのでしょう。
あなたがそう感じられたら、「世」という意味を聖書の文脈とは違うように解釈しておられるからだと思います。
世と世にあるものとは、16節で「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」のことだと教えています。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」は、誰にでもあるのではないでしょうか。神様を知らない人にも、神様を信じている人にも、欲の心はあります。
ただ、神様の愛を知っているか知らないかで、これらの欲に対する心の姿勢がはっきり違ってくるものです。人格の形成が違ってきますし、人生の進路も違ってきます。
まず、神様を知らない場合は、これらの欲にどのような影響を受けるでしょうか。肉の欲からは、家庭の平和と男女の秩序を乱す不道徳・不倫が生まれます。目の欲からは、人の物を奪ってしまう犯罪が生まれますね。暮らし向きの自慢からは、高ぶりとさげすみが生まれます。いずれにしても、望ましい人間関係を壊し、平和や平安を壊してしまうのが「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」なのです。
それなら、神様の愛を知っていると、これらの欲に対する心の態度が変わるのでしょうか。
神様の愛を知って、その愛に感動し、その愛に導かれて生きていこうと決心した人は、欲に対する態度が明らかに異なります。
クリスチャンになる前の私は、人を愛することを知りませんでした。人に勝つことで自分を満足させていました。人に勝つためには、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」をたくさん身につけていたのです。
しかし、自分が神様に愛されていることを学び、両親に愛されていることに気づくと、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」がむなしく思えてきたのです。そこからは、少しも喜びや感謝が生まれてきませんでした。
そして、自分の一生に限りがあることを知ると、そんな欲望に満ちた人生が嫌になったのです。そのときから、私の心に神様の愛が注ぎ込まれてきました。神様の愛は、破壊的な欲望から私の心をはっきりと遠ざけてくれました。ふらふらした人生の足取りも、この世の価値観ではなく、神様の愛の導きによって、守られて生きているのです。
リスナーの皆さんは、いかがですか。1度きりの人生です。欲望に満ちて生きるのでなく、神の愛に満たされて生きていこうではありませんか。
BBN聖書牧師 高見憲次
E-Voice No. 56 7/7 ’04 掲載
(「祈りの泉」は、毎日午前・午後12時から約10分間放送しています。)
※この内容、キリスト教についてのご質問等がありましたら
←こちらをクリック♪
|
© Rakuten Group, Inc.
|