No.37-1 「御霊に導かれて」
★Short Message No.37-1★
「 御霊に導かれて 」
善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、
刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、
すべての人に対して、特に信仰のある家族の人たちに善を行いましょう。
(ガラテヤ人への手紙 6章9~10節)
私たちは、いつ頃から善悪を教え込まれるのでしょうか。ほめられたり、怒られたりすることは、善悪の教えです。幼稚園児になると、もうはっきり善悪の区別を教え込まれます。子どもは正直ですから、ほめられたいために、いいことをたくさんするようです。しかし、だんだん大きくなると、ほめられることに飽きてきます。いいことをあまりしなくなります。いや逆に、周囲の気を引くために、わざと悪いことをする子さえいる始末です。
すると、「善を行う」には、「善をしよう」という意志が働かなければならないことがわかります。その意志が弱くなると、善を行う力も弱くなります。「善を行うのに飽きてくる」わけです。
しかし、善を行なっても行なっても、なかなか期待するような結果が得られないときがあります。そんな時の私たちは、待ちきれなくなっていやになり、失望したくなるものです。
聖書の教えは、「時が来るまで」と教えます。ここで使われている時は「カイロス」で、「神様がよしと決められた時」を指します。時間のとき「クロノス」ではありません。つまり、私たちにはそれが「いつだかわからない時」なのです。いつだかわからないから「あきらめる」のではなく、いつだかわからないから、「希望に生きよ」と励ましておられるのです。(つづく)
BBN聖書牧師 高見憲次
E-Voice Vol. 106 2006年 6月28日 掲載
◎「祈りの泉」は、毎日午前・午後12時から約10分間放送していますが、再放送番組にもなりました。
BBNのHP左側、再放送「祈りの泉」
をクリックして、いつでも、何回でもお楽しみください。
※この内容、キリスト教についてのご質問等がありましたら
←こちらをクリック♪
|
© Rakuten Group, Inc.
|