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2019年06月21日
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テーマ:海外旅行(7020)
カテゴリ:カテゴリ未分類
タシケントで1泊したあと、トルクメン共和国(現:トルクメニスタン)のアシハバード(現:アシガバート)に移動しました。当時の記録によると、アシハバード到着は現地時刻の15時30分、翌日の12時45分には再び飛行機に乗ってタジク共和国(現:タジキスタン)に向かう日程となっていて、トルクメン共和国での滞在は丸一日にも満たないわずかな時間でした。
もっとも、30年後に訪れたトルクメニスタンとは全く異なり、1983年当時の観光対象と言えば、カラクム運河、ニサ遺跡、カーペット工場くらいのもので、半日もあれば充分という感じでした。2013年のアルバムに記したように、ソ連崩壊後のトルクメニスタンは、天然ガスの開発により資源大国になっており、街中には前大統領の黄金像や各種の巨大モニュメントが建てられ、1983年当時の面影は全くありませんでした。

【アシハバード(現:アシガバード)のホテルから眺める南の山々。山の向こうはイランとの国境】






【当時のソ連の自慢、カラクーム運河を見学。ウィキペディアによれば、

ソビエト連邦は、この運河によって棉花のモノカルチャー大農場の建設を推進し、「砂漠を緑豊かな農地に変えた『社会主義の勝利』である」として喧伝した。しかし、運河は原始的な工法(手掘りで、河床の防水対策がなされていない)で構築されており、流れ込んだ水の半分が灌漑目的地に至る前に失われる構造となっていたことから、地下水位の上昇により大規模な塩害を引き起こした。スターリンの死後、運河の建設計画はほとんど破棄状態になり、またいったん開発された農地も、この塩害により現在では広範囲にわたって放棄されてしまっている。

とのこと。】






【運河近くで見たヒツジとラクダ】













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Last updated  2019年06月21日 08時40分06秒
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