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楽天版じぶん更新日記

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2020年12月28日
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テーマ:海外旅行(7012)
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日に続いて、1982年1月に訪れたイスラエルのアルバムです。
このツアーでは、エルサレムに4連泊し、中1日目はエルサレム市内観光、2日目は死海方面、3日目はヨルダン川西岸を北上しガリラヤ湖に向かうという日程になっていました。今回からは3日目のアルバムです。
1982年当時は、イスラエルがエルサレム全域やヨルダン川西岸を支配しており、少なくとも表向きは安全な状態にありました。
ヨルダン川西岸からは対岸のヨルダンが間近に見えていました。陸路から国境を眺めたのは私にとってはこの時が初めてでした。
ガリラヤ湖に到着する前、キブツに立ち寄りましたが、写真が2枚残っているだけで、何を見学したのか、居住者の人たちとの交流があったのかはすっかりわすれてしまいました。ウィキペディアによれば

1960~1970年代には社会主義的な理想郷としてみなされ、日本を含む世界各地から若者が移住してきた。だが1980年代に多くのキブツが財政的な危機に陥り、1990年代には財産の私有と給与制、家族単位での子育てへと転換し、農業以外の分野での起業も広がった。一方で、住宅や財産を共有する昔ながらのキブツも45ある。

とのことです。

【ルートマップ。青色は前日の死海方面観光。赤色がガリラヤ湖方面観光のルート。但し,赤色のルートについては一部、別の道を通った可能性あり。】



(イスラエルと関東地方の大きさ比較。エルサレムから死海方面、エルサレムからガリラヤ湖方面は、日本で言えば、都心から熱海・伊東、あるいは日光方面への道のりとほぼ同じ。】




【有刺鉄線が張られた柵越しに国境方面】






【キブツを訪問。緑が多いのに驚く】






【ヨルダン川。ガリラヤ湖近くでは対岸もイスラエル領】









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Last updated  2020年12月28日 06時55分23秒
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