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楽天版じぶん更新日記

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2011年07月24日
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岩手、宮城、福島3県を除く44都道府県で7月24日正午、1953年に始まったアナログ放送が幕を閉じました。
私が生まれ育った家では、アナログ放送が開始された当初はテレビはなく、真空管ラジオで「ヤン坊ニン坊トン坊」や、
赤胴鈴之助」、「うたのおばさん」、「お話でてこい」などを楽しんだものです。大相撲の栃若対決は、近所の家でテレビを見せてもらって観戦しました。
写真は、長谷川家にある初代のテレビです。撮影したのは1962年1月頃、写っているのは二十世紀(日本テレビ)です。
テレビを買ったのはもう少し前だったと思いますが、写真としてはこれが最も古いものです。
後ろのほうに私のランドセル、左端にはミシン台が見えています。






最終更新日  2011年07月24日 20時03分02秒
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2010年10月18日
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50年前の写真を連載してまいりましたが、今年はこれで最終回です。
1960年はなぜか、アルバムに貼ってある写真が極端に少なく、日付の記載が無いものもありました。
今回の写真も何月頃撮ったものかは不明ですが、半ズボンに長くつした、ジャンパーなどを身につけていることから、おそらく12月の写真だろうと思われます。
当時、「パール」と名付けた雑種犬を飼っていて、時々散歩に連れて行きました。

ここの土地はもともと畑だったせいか寄生虫が多く、飼っていた犬ばかりか、私まで虫下しを飲まされたことがありました。この犬は小学5年の8月に死んでしまい、そのショックから、以後、私がこの家に住んでいた時にはずっと犬を飼わずにいました。

後ろの小山は、井戸掘りの時の土を盛り上げたもので、赤土がいっぱい混じっていたことを覚えています。







最終更新日  2010年10月18日 19時27分23秒
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2010年10月17日
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アルバムによれば、1960年の11月6日に国立競技場を見物したという記載があります。正式には
国立霞ヶ丘陸上競技場と呼ばれるそうですが、「霞ヶ関」ならともかく「霞ヶ丘」という地名があるとは知りませんでした。
この競技場は、1964年の東京オリンピックのメインスタジアムとして有名ですが、写真は1960年ですのでそれより前の風景です。

御本家のサイトによれば、


  • 着工は昭和32年1月で、【アジア】大会を2か月後に控えた昭和33年3月、ついに完成となりました。
  • そのアジア大会が成功裡に終了し、東京オリンピックの招致も実現すると、国立競技場は、まさしく日本を代表する国際的競技施設という存在を国内外にアピールしてゆくこととなります。
  • 東京オリンピックを2年後に控えた昭和37年3月、競技場の拡張工事が開始されました。主な内容は、収容人員増のためのバックスタンドの増設、正面スタンドから見て右側にあった聖火台のバックスタンド中央への移設、グラウンド地下道の新設、電光掲示盤や夜間照明設備の改修などでした。


当時はまだ、警備もいい加減だったようで、アンツーカのグランドをこっそり走った記憶があります。








最終更新日  2010年10月17日 17時56分52秒
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2010年10月16日
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アルバムに日付が記されていなかったのではっきりしたことは分かりませんが、小学校2年の夏休みに、真鶴の三ツ石に家族旅行をした模様です。
引き潮の時に向こうの岩礁(三ツ石)まで渡りました。
戻ってしばらくしているうちに、どんどん満ち潮になってきて、通り道が水没してしまいました。
海には干満があるのだということを生まれて初めて実感しました。

ネットで「真鶴三ツ石」の写真を検索してみましたが、50年後の今でも、海岸の様子は殆ど変わっていないようですね。
ちなみに、この場所にはその後、一度も訪れた記録がありません。







最終更新日  2010年10月16日 17時58分22秒
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2010年10月15日
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50年前(1960年)のアルバムの第四弾は、羽田空港です。
写真左端の表示にもありますように、この年の6月11日に、羽田空港に見学に行きました。
文具会社が主催した写生大会であり、絵が上手な児童が選ばれて参加した模様です。

改めて写真を見て驚くのは、見学者と飛行機(プロペラ機)の間が粗末な金網で仕切られているだけになっていることです。いまの厳重な警備体制からは想像が付きませんよね。
JAL機のマークや外装も全く違っていたようです。

もう1つ写真を見て疑問に思ったのは、この年の6月は、60年安保の真っ最中だったことです。ウィキペディアには、

6月10日には東京国際空港(羽田空港)で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日した大統領報道官(当時は新聞係秘書と報じられた)ジェイムズ・ハガティ(報道は「ハガチー」表記)が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に包囲され、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救助されるという事件が発生(ハガチー事件)、...

と記されており、この写真はその翌日に撮影したことが分かります。
70年安保の時だったら、空港周辺を機動隊が取り囲み、催涙弾や投石が飛び交う争乱状態となっており、小学生の写生大会などは到底不可能であったと思われます。

横を向いているのが当時の私です。






最終更新日  2010年10月15日 19時06分53秒
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2010年10月14日
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小学校2年の春の遠足は、井の頭公園でした。
といっても、公園のどこで何をしたのかは全く記憶に残っていません。
写真はクラス全体の集合写真だったのですが、肖像権の問題もあり、背景の公園風景のみを掲載しました。
ポツポツと出ている頭は付き添いのお母さん方です。
幼稚園はともかく、小学校の遠足で父兄が付きそうというようなことは、うちの子どもたちの時代にはありませんでした。当時、なぜ、一部の方が付き添いに来られたのかは謎となってしまいました。いずれにしても、いまお元気でおられたとすれば、80歳前後になられていると思います。

井の頭公園には、この遠足の後はずっと訪れたことがありませんでしたが、何年か前に、家族で
三鷹の森ジブリ美術館を訪れた帰りに、私だけ別行動で、井の頭公園内を散策し、京王線の井の頭公園駅から帰ったことがありました。といってもいつのことだったか、写真ファイルを検索しても分かりませんでした。







最終更新日  2010年10月14日 19時05分13秒
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2010年10月13日
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昨日の続きです。
50年前の3月30日は、鎌倉大仏参拝のあと、由比ヶ浜で遊びました。
写真は、海辺で何かを採集しているところです。

鎌倉には、学校の行事で一度、建長寺や鶴岡八幡宮を訪れた記憶があるのですが、その時には鎌倉大仏や由比ヶ浜には行かなかったような気がします。
ですので、その後、由比ヶ浜がどうなっているのかは全く不明です。

鎌倉大仏のあとに長谷寺に寄った記憶もあるのですが(名前が長谷川なので、似ているなあと思った記憶があります)、奈良の長谷寺との記憶がごっちゃになってしまって、これまたあやふやです。







最終更新日  2010年10月13日 19時32分37秒
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2010年10月12日
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私の誕生月である10月にちなんで、毎年この時期に、50年前の写真や絵日記を掲載することにしています。

※この日記はいちおう、昭和30年代の想い出というテーマ日記として執筆しているところでありますが、これまでのところ、私以外の方からのご投稿はゼロのようです。よろしかったら、このテーマでのご執筆をお願いします。

さて、今回は、1960年3月の春休みに日帰り旅行した、鎌倉大仏の写真です。Googleで「鎌倉大仏」の画像を検索して比較したところでは、
火に焼けず 雨にも朽ちぬ 鎌倉の はだか仏は 常仏かな」と詠まれている通り、大仏さまのお姿は何十年経っても少しも変わるところが無いように見えます。もっとも変わらないのはご本尊のみ。肖像権の関係でぼかしてありますが(←50年経つと時効かも)、当時の観光客の服装は今とは相当違っており、男性や帽子着用、女性は和服姿が多かったようです。
大仏さまの周辺の木々や石碑なども今とは多少異なっているようです。






最終更新日  2010年10月12日 18時34分34秒
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2010年05月23日
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5月22~23日は、2010年 人間・植物関係学会 10周年記念大会が、奈良市・春日大社で開催されました。
5月11日の日記にも書きましたように、私は、奈良という場所には殆ど縁が無く、この春日大社を訪れたのは結婚式を挙げた日以来、なんと27年ぶりということになりました。
1日目の朝、会議の時間より40分ほど早く着いたので、大急ぎで、
萬葉植物園を一周してきました。目当ては、27年前の新婚当時の撮影場所を探すことでした。
ゆるやかな坂の途中で、背景にハナショウブが咲いていたという記憶を頼りに歩き回った結果、どうやら写真下のところであったと推測することができました。後ろの木々の枝振りは少々変わっていますが、樹種は殆ど同じでした。
※今回は学会出席が目的ということもあり、東大寺、興福寺、奈良国立博物館、平城宮跡などには全く立ち寄りませんでした。もっとも、会場となった春日大社では、本殿正式参拝の機会を得たほか、理事会会場となった貴賓館で重森三玲の庭園の一部を拝見することができました。







最終更新日  2010年05月23日 20時01分10秒
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2009年10月31日
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昭和30年代シリーズの最終回は、羽根木公園から眺めた、小田急ロマンスカーです。
羽根木公園のことは、
1958年7月24日の日記にも記載があります。羽根木公園は、世田谷城址公園、松陰神社近くの林(現在の若林公園)、豪徳寺などと並んで、いちばんよく遊びにいった公園の1つです。
当時は樹木の殆ど無いススキの山で見晴らしがよく、眼下には小田急線を行き来するロマンスカーがよく見えていました。
今では騒音問題で苦情が出そうなところでしたが、当時はオルゴール電車とも呼ばれていて、単純なメロディーを繰り返しながら走っていました(ウィキペディアによれば、正式には「ミュージックホーン」と呼ばれ、1972年8月24日、相模大野駅以東での使用が禁止となったとか)。

しかし、ロマンスカーに乗って箱根に旅行するということは結局一度もありませんでした。
中学生以降では箱根の金時山や神山、丹沢山系に行く時に小田急線を利用していましたが、節約第一で、急行電車のみを利用していました。
その後、愛知県犬山に住んでいた頃、新幹線特急料金節約のため、新宿から小田原までロマンスカーを利用し、小田原から、こだま号に乗るというコースをたどったことが何度かありましたが、もはや1959年当時の「あこがれ」はどこかに消えてしまっていました。

※誕生月記念企画の「昭和30年代」シリーズはこれで終了です。次回は2010年10月に、1960年の写真や絵日記を掲載の予定です。






最終更新日  2009年10月31日 18時33分45秒
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