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楽天版じぶん更新日記

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2011年04月02日
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妻の実家のある北九州に帰省しました。
写真は、途中、中国道の吉和SAで作ったミニ雪だるまです。
2009年1月6日の日記にも、同じ場所で作った雪だるまの写真があります。
雪だるま2体で「冬ソナ風」と称していますが、最近はどういう意味か分からない学生が増えてきました。






最終更新日  2011年04月02日 22時17分26秒
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2009年01月06日
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今回の帰省では、混雑を避け、往路は中国道のみ。帰路は、門司から広島北までは中国道、広島から岡山までは山陽道を利用しました(山陽道は、やはり車が多くヒヤヒヤしました)。

写真は、帰路に、吉和SAで作った「冬ソナ」風の雪だるまです。
そう言えば、昨年も雪だるまを作った記憶があり、さっそく過去日記をチェックしてみたところ、
2008年1月6日という同じ月日に、同じ吉和SAで雪だるまを作っていたことが確認できました。
ゼンゼン進歩がありませんね。

なお、昨年は、
諏訪湖や、
アイスランドでも、冬ソナ風・雪だるまを作っています。
今年も、どこかで作るかもしれません。











最終更新日  2009年01月06日 18時05分58秒
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2008年04月20日
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2月29日の日記に、「この冬最後のミニ雪だるま?」の写真を掲載しました。
あの時は、あれがこの冬最後だと思っていたのですが、今回の三平山登山、大山→蒜山方面の道路にはまだ雪が残っており、三平山中腹と、烏ヶ山が見える原っぱで、冬ソナ風のミニ雪だるまを2体も作りました。
写真上は、三平山登山道中腹で撮ったもので、背景は蒜山三座です。肉眼では、その右奥に、残雪の多い氷ノ山も見えています。
写真下の後ろの山は富士山のように見えますが、大山のすぐ近くにある独立峰の烏ヶ山です。







最終更新日  2008年04月20日 20時44分49秒
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2008年01月06日
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帰省先から戻る途中、中国自動車道の吉和SAで、制作者名不詳の
こんな可愛いミニ雪だるま
を見つけました。
そこで、その次に入った七塚原SAで、私たち夫婦も、↓の写真のような「冬ソナ風」雪だるまをこしらえました。

ご存じのように、ホンモノの「冬のソナタ」では、雪だるまをくっつけたあと、その後の展開にとって非常に重要なシーンが続くのですが、...

...私たち夫婦の場合は、そのようなシーンはカットし、紙の帽子をゴミ箱に捨てて、そのまま車に乗って家に戻りました。









最終更新日  2019年02月09日 16時57分33秒
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2006年03月21日
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きょうのじぶんの日記(3/20付け)に「愛と死をみつめて」のことを書きました。ハードディスクに録画したものをディスクにダビングしながらラストをちらっと観た程度ですが、みち子さんが亡くなったあとのことも描かれていてなかなか良いドラマであるような印象を受けました。
3/18の日記では「果たして観る気になるかどうかは分かりません」と書きましたが、そのうち時間ができたらひょっとして観るかもしれません(←自分が不治の病で病床に伏した時になるかもしれませんが)。

さて、例によって「冬ソナ」の話題ですが、「冬ソナ」がスゴイなあと思うのは、ドラマの最初からラストまでの期間として設定された13年間、登場人物は誰一人として死んでいないのに、「死者」への思いがリアルに描かれている点です。チュンサンに対してはもちろん、チョン・ヒョンス(ユジンの亡父)やキム班長(現場作業員のリーダー)の奥さんへの思いも語られています。

ところで、冬のソナタの結末ですが、ユン・ソクホ監督の

『冬のソナタは終わらない。』(ISBN:4331510875)

には、チュンサンは死ぬはずだったが、最終的には脚本家との調整の結果、ああいう結末に決まったというような書かれてあります(118-120頁)。いっぽう、その脚本家たちが書いた

『もうひとつの冬のソナタ チュンサンとユジンのそれから』(ISBN:484701569X)

では、企画案段階では死なせることになっていたが、実際にドラマが始まった時点では死なせるつもりはなかったというようなことが書かれています(210-212頁)。

そういえば、山登義明さんのブログによれば、
ユン監督の四季4部作の最後のドラマ「春のワルツ」が3月から始まったとか。今回のドラマも死者ゼロで終わるといいなあと思ったのですが、どうやら2話までのところで早くも1名の死者が出ているようです。うーむ、どうかなあ、とにかく私は、主人公はもちろん、脇役を含めて、人が死ぬドラマというのはあまり好きではありません。

ちなみに、「冬ソナ」で唯一の「死亡確定」者であるチョン・ヒョンスですが、監督が書いた

『冬のソナタ秘密日記』(ISBN:4048945424)

によれば(134-135頁)、ヒョンス役のハ・ジェヨンさんには、「回想シーンがあるときは出演してもらう」という条件でOKしてもらっていたそうです。実際は写真だけの「出演」となりましたが、規程範囲内でのギャラがKBSから支払われたとか。

もっともどうせ写真だけでいいのなら、チェ・ジウさんの本物のお父さんの写真を借りたほうがよかったのではないかという気もします。カン・ミヒが一度、ユジンの顔を見て「お父さんにそっくり」と言うシーンがありますが、ハ・ジェヨンさんのお顔はどう見てもユジンには似ていませんし。









最終更新日  2006年03月21日 18時06分58秒
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2006年03月19日
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土日恒例の冬ソナの話題です。

さて、本日の
じぶんの日記(3/18付け)で、やっと第4話まで進むことができました。
その中で、「指紋検出はボツ」という話題を取り上げましたが、もし本気になって指紋を調べれば、イ・ミニョンとチュンサンの肉体上の同一性はもっと早く確認できたのではないかと思います。

問題はチュンサンの10年前の指紋をどこから採取するかですが、一番手っ取り早いのは、チュンサンがユジンに贈ったカセットテープにそれが残っているものと思われます。
もっとも、第3話では、ユジンがチュンサンのデッサン画を燃やしてしまうシーンがあります。あの時にテープも燃やしてしまったとすると指紋採取は不可能かもしれません。
但しその場合でも、放送室のレコードや、ユジンの家のアルバムに指紋が残っている可能性があります。
イ・ミニョンの指紋のほうですが、これは第4話でユジンの靴を乾かす時にしっかり残っているものと思います。

このほか、第3~4話のマニアックな見どころとしては、
キム次長が一度だけ「キム・ヒョスクです!」と名前を「公開」する場面があります。韓国盤でこの場面を聴き取ろうとしましたが、早口のため「キムスク」というようにしか聞こえませんでした。
それとユジンがバスに乗る時に、JRのSuicaみたいに、バッグそのものを機械にタッチして料金を支払うというシーンがあるそうですが、これもなかなか確認するのは困難でした。

ところでユジンは、いつもバスに乗るか、他の人の車に乗せてもらってばかりなので自分では運転できないのかと思ってしまいますが、ちゃんと自家用車を持っているんですね。これは、第7話で、イ・ミニョンがユジンの車のキーを奪い取って、ユジンを自分の車に乗せてユジンママを見舞いに行くシーンで証拠づけられます。







最終更新日  2006年03月19日 18時08分51秒
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2006年03月18日
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本日(3/18)から二夜連続で、『愛と死を見つめて』というドラマスペシャルが放送されるそうです。

ウィキペディアに解説されているように、「愛と死をみつめて」は、かつて、吉永小百合主演の映画や大空真弓主演のTVドラマで大きな反響を呼び、また、「まこ、甘えてばかりでごめんね」の歌がレコード大賞をとったこともありました。

実は私は、映画もドラマも見ていません。理由は、高校生の頃、この原作の
●大島みち子・河野実著 『愛と死をみつめて』
●大島みち子著 『若きいのちの日記 』
を先に読んで充分に感動していたため、脚色された映画やドラマを観ることでせっかくの感動の質を下げたくないとずっと思っていたためです。今度のドラマも、いちおうDVD録画はしておきますが、果たして観る気になるかどうかは分かりません。

ところで、実話の主人公のお一人である河野實さんは1941年生まれで、今年65歳になられます。
Googleで検索したところ、まず、こちらのお顔を拝見してお年を召していることにあっと驚き、そこからのリンクで個人サイトにたどりつくことができました。

河野さんのことは、最近買った

●韓流、純愛、初恋病。 喪失感を抱いて生きること(ISBN:4120036790)

という本の第六章でも詳しく紹介されています。それによれば、河野さんは大島みち子さんが亡くなった4年後に伊藤喜美子さんという女性と結婚しますが、交際のきっかけがまた面白い。実話ながら冬ソナに匹敵するくらいのドラマがありますね。

河野さんが大島みち子さんの死から4年後に結婚したことについては、『愛と死を見つめて』の愛読者の一部からは裏切りと受け取られたそうですが、私はそれで正しかったと思います。

もし河野さんが、大島みち子さんのことだけを思って暗い一生を送っていたらどうなったでしょうか。
これについては、「冬ソナ」の第8話の冒頭で、イ・ミニョンがこう諭しています(英語字幕)。

イ・ミニョン:....You told me I've never truly loved anyone. True, I don't know much about love. But your loving him isn't love.
ユジン:Enough.
イ・ミニョン:That's not love. It's obsession and self-pity.
ユジン:Stop!
イ・ミニョン:Wake up and face the reality. He's dead.

ちなみに、大島みち子さんの死からたった4年たらずで伊藤喜美子さんと結婚できた理由について河野さんは
ミコさんと似ても似つかなかったから。似てたらダメですよ。人柄とか性格とかも似てたら僕は絶対結婚しなかったと思います。」と語っておられます(上掲書、245頁)。このあたり、イ・ミニョンとチュンサンが正反対の「性格」であったという設定と似ているようにも思えますね。






最終更新日  2019年04月13日 20時07分38秒
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2006年03月12日
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昨日の日記
で、ナミソムでの初キッスの日は12月29日ではないかと書きましたが、本日、今度は12月27日説の証拠を見つけました。
第3話の最初のほうで、ユジンがチュンサンから送られた郵便物(カセットテープ)を手に取るシーンがありますが、その切手の消印が見たところでは「12-27」となっているみたいなのです。当日チュンサンは郵便局で荷物を発送したあと(吹き替え版ではカット)ナミソムに行っているはず。
ちなみに郵便物にはユジンの家の住所が書かれてありますが、残念ながらハングルのため、郵便番号と番地以外は判読できません。

とにかく、大晦日に至る時系列の日付を確定することは、矛盾する証拠が多すぎてつじつまを合わせることは不可能ですので、このあたりで止めておくことにします。

きょうのじぶんの日記(3/11付け)では第2話のラストの部分について、現時点での私の考えを述べました。
ラストの部分は何度も観ましたが、私にはチュンサンがユジンに一言も告げずにチュンチョンを去ろうとした動機がいまひとつ分かりません。
この時点で「異母兄妹」だと「悟る」のは性急すぎると思うのですがねえ。
これって、視聴者の多くの方はどういうふうに解釈されているのでしょうか。

ところで、第2話、ユジンの家でアルバムを見たチュンサンがキム・ジヌの研究室を訪ねるシーンがありますが、ここで、ツッコミに近い疑問がもう2つあります。

(1)例の写真は相当古いものであり、写っている女性がカン・ミヒであるかどうかは近親者でなければ分からないはず。チュンサンがキム・ジヌに「カン・ミヒさんの演奏がとても好きなんです(カン・ミヒさんのファンです)」と言い訳したときにあっさり納得してしまってよいものかどうか。


(2)キム・ジヌは、チュンサンの苗字が「カン」であると知っていたのに(
「カン・ジュンサン」と「カン・ミヒ」の苗字が同じであることを不思議に思わなかったのでしょうか。

これがもし「キム」という苗字だったら、あまりにも多すぎて手がかりになりませんが
じっさい、「キム」という苗字は、キム・サンヒョク、キム次長、キム班長(工事現場の頭)というように、血縁関係の手がかりにはなりませんが、「カン」はどうなんでしょうねえ。



10年後に彼がスキー場でイ・ミニョンに出会った時に姓名を思い出していたことから証拠付けられます。






最終更新日  2019年01月24日 18時54分14秒
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2006年03月11日
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土日恒例の「冬ソナ」の話題です。
きょうのじぶんの日記(3/10付け)に書きましたように、ドラマではリアリティが重要ではないかと思います。
私が考えているリアリティというのは、その現象が現実世界で起こりうるかどうかということではありません。
物語のいくつかの前提を受け入れた上で(例えば、ドラえもんのアニメだったら、ドラえもんのポケットからいろんな道具が出てくるのは当たり前だという前提のもとで)、登場人物の行動が理解(もしくは)共感できるかどうかという点がカギになっていると思います。
もちろん時には「そんなことするはずがないっ!」という意外性が求められますが、エンディングに至っても納得できないままで終わると、後味の悪いドラマということになってしまいます。
「冬ソナ」に限って言えば、私の場合、まだ、第二話の終わりの部分で、理解できないところがあります(明日の日記に記す予定)。

ところで、大晦日までの時系列の話ですが、その後、

●冬のソナタ  上 (ISBN:4140054239)

を読んで、もう少し詳しい日付がわかりました。


【205~206頁】ジヌの研究室から出て家へ戻ったジュンサンは、夜明けが訪れるまでソファに身を埋めていた。
ジュンサンはミヒに電話をかけた。明日すぐ米国へ発つとの言葉に力を込めたジュンサンは、こみ上げてくる憎悪をどうすることもできなかった。


という記述があったことから、ナミソムでの初キッスは12月29日、チュンサンがミヒに電話をかけたのが12月30日、空港に向かったのが12月31日の夕刻ということになりますね。12月29日の朝に郵便局から送ったカセットテープが1月1日夜に配達されたというのも日数的には納得できます。

ただし、そのあとに

夕食の支度をするあいだ、ジュンサンはどうして何も言わずに帰ってしまったのだろう。ユジンは、ジュンサンと初めて出逢ったときから、心のどこかで彼のことを受け入れていた。だから、彼が何をしても彼を信じ、待つことができた。
あの日以来、ジュンサンからはなんの連絡もなかった。十二月三十一日、彼が約束したその場所で、言いたい言葉があると言っていたから、その言葉がなんであるかわかっていたから、安心してこの日を待つことができたのだ。あとは胸の中の言葉を口に出すだけだった。

と書かれてあるのは少々矛盾します。12月29日にデートしたばっかりですから、待つというほどの長さではないはず。
おっとこれは、単なるツッコミで、ドラマのリアリティを損ねる指摘ではありません。






最終更新日  2019年01月24日 18時56分36秒
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2006年03月07日
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昨日の日記で、冬ソナ「ポラリス」の話題を取り上げました。

我が家では毎日、夕食後に夫婦で散歩に出かけることにしていますが
星空がとっても綺麗に見えることがあります。
しかし、まことに残念ながら、ユジンとチュンサンのようなロマンチックな会話にはなりません。

いちばんの理由は、妻が星の名前をなかなか覚えてくれないことにあると私は思っています。


あんまり覚えてくれないものだから、

妻:ねえ、あの明るい星なんていうの?
私:あれはシリウスに決まっているじゃないか。全天で一番明るい恒星のことを忘れるとは何たることだ!

と腹を立てたりするもんで、こんどは逆に、私が冬ソナの場面を思い出しながら

私:あそこにある星の名前知っている?

と、やさしく妻に問いかけても、

妻:そんな教師的質問には答えられん

という返事になってしまうのです。

私がいくらロマンチックに問いかけても、妻にしてみれば

私:「おいっ、ポラリスって 知ってるか?」 (言外に どうせ しらんだろ~ この 教養のない バカめ! ほら 早よ その教養の無さを暴露しろ! ケッケッケッ~ という意が アリアリ)

というふうにしか聞こえないそうです。
ま、そのわりに毎晩散歩していますから、それほど仲が悪いわけじゃないとは思いますが...。






最終更新日  2006年03月07日 18時36分40秒
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