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❸🌓橋蔵まつり、茶話会等関係 (画像29枚)

2022.8.16
(三)🌖「トミイのあで姿」 橋蔵後援会"春の集い"
1960年6月号近代映画からの記事になります。この記事は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクしています➡1960年6月号 近代映画から

☘陽春3月27日、東京は文京公会堂で”橋蔵後援会春の集い」が盛大に行われました。前日まで悪天候にみまわれた東京の空も、この日は朝から快晴。忠や延4千名のファンが公会堂につめかけ、橋蔵さんの一挙手一投足にも溜息と歓声をもらすのでした。紋付羽織袴で挨拶、そして福引抽せん、映画上映に続き十八番の日舞”屋敷娘”をご披露するのでした。
画像 1 羽織袴でご挨拶
   2 舞台でファンがときめく中に福引の抽せん!
  3.4 常磐津宮尾太夫の美声にのって見事に”屋敷娘”を踊りまくる橋蔵さんの華や
かな舞い姿
5 控室で、ネン入りにお化粧をする橋蔵さん
🐧(m.wの独り言・・この日、橋蔵さんの「屋敷娘」のテレビ中継がありました。
春の集いに行けなかった方で、テレビでご覧になれた方はうれしかったでしょう)



(二)🌔1958年6月号別冊平凡「大川橋蔵グラフ」から
(私の気まぐれで、ここといったところだけを省略、抜粋したり、要約したりしているところもあります。ご勘弁を・・・)

☆橋蔵まつり☆
【キャー!すてき 橋蔵さーん 】舞台と楽屋 見たり聞いたり

「橋蔵まつり」はファンにとってクリスマスやお正月以上の大きな年中行事です。ファンと楽しく語る舞台の橋蔵さん、目の回るほど忙しい楽屋の橋蔵さん、元気いっぱいなその日のトミイでした。


👒橋蔵さんのユーモア
「橋蔵さーん、こっち向いてエ」「トミイッ!」「いやーん、こっち向いてヨオ」
嬌声があっちこっちでして、その賑やかなこと、賑やかなこと。
ここは、東京のデパート『そごう』の6階にある『読売ホール』の会場です。年に一度の『大川橋蔵まつり』が開かれている所で、集まったファンは約三千、昼と夜の二回公演で、橋蔵さんは今日のこの日のために、飛行機で上京、公演が終わるとすぐ夜行列車で京都に帰るという忙しい一日なのです。
久しぶりの『橋蔵まつり』のプログラムは
○御挨拶  ○橋蔵を囲む交歓会  ○抽選  ○舞踊《保名》  ○映画『笛吹若武者』上映
という順序で、ファンに大サービスの『橋蔵まつり』です。

時に4月の6日。ちょうど、舞台では橋蔵さんが、ファンとの一問一答をやっている真最中でした。
「橋蔵さん。笛吹いてヨー」と、女学生らしいファンが叫ぶ。橋蔵さんはニコニコしながら、
「じつは、あいにくと今日は笛を持ってきてませんので、ごめんなさい」と、優しく応対します。橋蔵さんは、甘さのある優しい二枚目だけあって、その応対もやわらかです。
「橋蔵さんのお得意はなんですか?」と、今度はお下げの可愛らしい女の子が、舞台の橋蔵さんに向かって呼びかけます。
「あのね、いま野球チームを作ったんですヨ。それがね、とっても強いの。強いの、強くないのって、それはスゴいんですヨ」と、橋蔵さん胸を張って答えます。
やっぱり橋蔵ファンの集いなのです。ファンの一人が、
「どのくらい強いんですか?橋蔵さんのチームは・・?」と、気にかかるのでしょう、こんな質問がとびだしました。
「あのね、まーだ、一度も試合をしたことがないの、だからね、一度も負けたことがないんです」どっと哄笑が場内をうずめます。
なかなか味のあるユニークなユーモアを交えて、橋蔵さんはファンの質問に答えていくのです。

👒福引の抽選で大騒ぎ
時間が進むと、こんどはファンのために福引の会。入場券の番号が入った箱から、橋蔵さんが一枚、一枚番号を引き抜くとそれが当り番号というわけです。そして、橋蔵さんの手から賞品を受け取るというわけです。(・・・省略・・・)
橋蔵さんは、ひとりひとりに「ご苦労さま」といいながら握手をします。ここでまた、わーんと場内かがどよめくという有様。

さあいよいよこれから橋蔵さんの舞踊《保名》の実演ということになるのです。
抽選が終わって、休憩が二十分。楽屋の橋蔵さんは?と訪ねると、
「忙しいの、忙しくないのって、今夜もこれ終わるとすぐ帰るんだよ。明日は一番のロケーションが待っているんだ」というご返事です。
その間も《保名》の扮装をしながらの会話という慌ただしさです。
楽屋の中には、東映東京撮影所長の山崎さんも顔を見せていて、橋蔵さんを激励しています。

「義父は手まで白粉を塗っていたけど、晩年は塗らなくなったんだよ、今日はどうしたらいいかなア」
顔に白粉を塗っていた橋蔵さんが、番頭さんに相談をだしました。
「そうでしたね、でも、白粉を塗った方が色気が出るンじゃないですか」と、これは番頭さんの返事。
「そうだね、じゃあ、手も白粉を塗ろう」
決めると、テキパキ行動をする橋蔵さんのメーキャップぶりは、なかなかスピードがあって気持ちがスーッとします。

👒水もしたたる美しさ
《保名》は、橋蔵さんの義父今は亡き六代目菊五郎丈も十八番とした演し物で、橋蔵さんにとっては因縁のあるものです。
やっと扮装が出来上がった橋蔵さんは、じつに艶やか、ピンクと水色と白の美しく交織された《保名》の衣装がよく似合って、橋蔵ファンでなくても見惚れるような美しさです。
がぜん《保名》の幕が開くと、もう場内は興奮のるつぼと化しました。女形出の橋蔵さんだけあって、水もしたたる美しさとはこのことをいうのでしょう。場内は、興奮のるつぼからしばしシーンと静まり返って、橋蔵さんの《保名》に見惚れます。この間約25分。美しい決まりポーズのうちに幕が下りると、また「うわーん」と唸るような溜息がおこりました。と、司会者が幕前に飛び出してきました。
「皆さん、お静かにどうぞ、これから映画『笛吹若武者』を上映したしますが、皆さーん、その前にひとつ、今日の『橋蔵まつり』のために、ただいま素晴らしいお客様が見えてくださいました。皆さんもよくご存知の、それは素晴らしいお客様なのであります。
さて、そのお客様は、皆さん誰だかお分かりですか。
「ハーイ、美空ひばりちゃーんでーす」
ファンの気持ちというものは、占いの易者より見事でありました。
「ハイ、その通りです。そのひばりちゃんが、いま撮影所からかけつけてくださったのです。では皆さん、拍手をもってお迎えしてください」
いま降りたばかりの幕がするすると上がると、またうわーんという溜息と興奮の波が湧く。舞台はと見ると、「保名」の扮装の橋蔵さんがニコニコしているそばに、ひばりちゃんが立っているではありませんか。ひばりちゃんは、紫のワンピースに、髪を長くうしろに流した無造作な恰好ですが、それがまたとてもチャーミングです。
「皆さま、今日は・・・。美空ひばりです。今日は、橋蔵さんのためにホントにありがとうございます」
そういってこんどは橋蔵さんに「おめでとう!」と、祝辞を交わすひばりちゃんです。

👒応援にかけつけるひばりちゃん
ファンの嬌声は絶えませんでしたが、次の映画上映の時間がきました。
そこで楽屋へまた戻り。
橋蔵さんの部屋をのぞくと、ひばりちゃんがお母さんと一緒に見えています。橋蔵さんは、顔から全身汗びっしょりで、《保名》の衣装を脱いでいます。
「ひばりちゃん、ホントにありがとう」
「ううん、トミイの会だしね、急いでかけつけて来たのヨ、今夜帰るんですって?」
「うん、明日ロケがあるんだよ」
「忙しいのねえ。私も今夜これからロケーションに発つのよ」
と、ひばりちゃんと橋蔵さんの会話です。
ひばりちゃんは『恋愛自由型』出演中、橋蔵さんは『大江戸七人衆』出演中のことなのでした。
橋蔵さんは、これからもう一回、第二回目の『橋蔵まつり』出演があります。
「橋蔵まつりは、年に何回でもやりたいんですが、なかなか暇がなくてね、でも暇を見つけては出来る限りやりたいとおもっています」
とは、別れしなにいった橋蔵さんの言葉です。盛大な『橋蔵まつり』の一日でした。
(付記・第二回目の時には、雪村いづみさんが応援にかけつけて見えました)

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◇この記事の中ほどに、「明るい好青年・橋蔵君」という市川右太衛門さんのお言葉が書いてあります。

橋蔵君は、ご存知の通り歌舞伎の出で、しかも女形出身なので、身体の動きが非常にきれいです。長年、踊で鍛えただけあって、そのやわらかな動きの中に、きびきびしたところがあるということは、時代劇俳優としては、大変な強味だと私は思います。
このことは、いまさら私がいうまでもなく、橋蔵君の立廻りの美しさには定評があり、すでにファンの皆さんはスクリーンでいつもご覧になってご承知のことと思います。
私生活でも明朗で、愛嬌があって、いつも人に接するそうした彼の人間味が、芸の中によく生かされているようです。芸ににじみ出る人柄のよさと明るさが、橋蔵君の場合、大変な魅力になっているのではないでしょうか。
この性格からいったらいわゆる斬ったハッタのチャンバラ映画ばかりでなく、むしろたち廻りの少ないロマンチックな明るい股旅ものなどやったら、また変わった楽しい作品が生まれるのではないかと思います。
「若さま侍」は橋蔵君の十八番ものであり、これは回を重ねてやっているうちに、身につけた彼の極めつけの「役」であります。今後もいろいろな役にぶつかるでしょうが、「若さま」を身につけたように、これからも、その沢山の役の中から、自分自身の方向を発見することが大切だと思います。とにかく橋蔵君は、わが東映にとって貴重な人であります。東映のためにも、いや日本映画のためにも、大いに頑張ってもらいたいものです。

(一)🌙第一回「橋蔵まつり」 (1956年(s31年)6月10日 於:東京国際スタジアム
この時の記事が「平凡・大川橋蔵特集」にあります。

1956年6月10日東京国際スタジアムで催された第1回「橋蔵まつり」は、スタジアム始まって以来の4万人というファンの熱狂の中、開催され無事に幕をとじました。

菊五郎劇団音楽部のお囃子で踊る橋蔵さまの艶やかな「藤娘」、菊五郎劇団で踊っていた頃が思い出されてたことでしょう。
ファンの方々は川田晴久とダイナブラザースの熱演に爆笑、小野満とシックスブラザースの演奏で美空ひばりさんが「青葉の笛」を、雪村いづみさんが「慕情」を橋蔵さまのために歌のプレゼントをしてくださいました。
伏見扇太郎さん、中原ひとみさん、小宮光江さんから舞台上での花束贈呈がありました。
橋蔵さまの当日の挨拶
〈皆様、今日はようこそおいでくださいました。ここに「橋蔵まつり」を開催出来ましたことは、一重に皆様方のお力添えによるものと感謝しております。今後ともよろしくお引き立ての程伏してお願い申し上げます。〉

舞台は、橋蔵さまの舞踊「藤娘」、若さま侍捕物帖「魔の死美人屋敷」の一コマを星美智子さん、藤里まゆみさんと一緒に実演、ひばりさんと「おかめとひょっとこ」を踊りました。
「歌の花束」のコーナーでは、橋蔵さまの初めての歌声は「いろは仁義」という股旅ものでした。
このコーナーには、ひばりさん、いづみさんをはじめ、小野満さん、三條美紀さん、岸井明さん、堺駿二さん、益田キートンさん、等々参加してくださいました。

楽屋の方には、長門裕之さん、司葉子さん、波島進さん、力道山も来てくださいました。

この後、毎年1回から2回開催されてきました。そしてこの時、是非"後援会"をとの要望が強くあり、この年の9月に"大川橋蔵後援会"が発足することになりました。

大川橋蔵ファンが待ち望んでいた、スクリーンを飛び出した橋蔵さまに会うことができるのですから大変。早朝4時頃には待っている人達が、9時にはスタジアムを二巻にし、約2万人に近い女性ファンが押しかけ、警官の出動もでたほどでした。美空ひばりさん、雪村いづみさん、星美智子さん、浦里はるみさんが応援出演して橋蔵さまを祝福してくださいました。楽屋では、花柳啓之先生も来ていて確認のお稽古。同じプロのひばりさんは、一生懸命橋蔵さまのために動いてくださっていました。
 
「若さま侍」の橋蔵さまが颯爽と登場した時は割れんばかりの喝采が・・殺陣などを披露しました。
これだけでも橋蔵さまに魅せられているファン。
そこへ極め付けの舞踊「藤娘」です。これには歌舞伎時代を見ていた方も初めて見た方も、その美しさにうっとり。長唄囃子連中は菊五郎劇団の方達、息も合い橋蔵さまは晴れの舞台を飾りました。
橋蔵さま、映画に来てから初めてファンにお披露目した舞台での舞姿でした。
ファンはここから、橋蔵さまの多彩な面を映画、舞台で見ていくことができたのです。

何年か経った時、橋蔵さまはこう言っておられました。
『「橋蔵まつり」は年に1回~2回開くようになりましたが、ひばりちゃんの応援を得て開催した「第一回橋蔵まつり」のことは忘れられない』
『”藤娘”を踊ったり、ぼくの十八番”若さま侍”の殺陣をやったり、とにかく華やかな「橋蔵まつり」で、未だにその日のことをはっきりとぼくの脳裏に焼き付いているのです。
俳優として映画をはなれ、個人のお祭りみたいなこういう実演で、大勢のファンの方が集まってくださると言うのは、俳優冥利につきるものといつも心にしております。
歌舞伎の世界から映画に入ったぼくのことですから、舞台というものがそれがどこの小屋であろうとやはり懐かしく、いまでも実演というと心おどるものがあるぼくです。
デビューしてから間もない「橋蔵まつり」で、いまその頃の顔を見ますと、やはりいろんな意味で心労するものが今より多かったからでしょうか。少し痩せていたようですが、それが人一倍懐かしいのも、やはり「橋蔵まつり」が盛大に僕の前途を祝福してくれたからといってよいでしょう』

【舞踊・藤娘】から
    


【ひばりさんと ひょっとこを踊る】
 


【楽屋から・花柳先生とひばりさんと打合せ】
  

【楽屋から・お祝いにかけつけたお友達】
         



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