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Brog Of Ropesu

Brog Of Ropesu

Act 2 続きその3

「計画化されていて行動に無駄は無い。・・・・だけど、それだけだよねっ。」

依然変わらず、一歩も動けない切迫した状況の中で不意に、静観の二文字を体現していた未来が口を開く。
その予想の範疇からはみ出た行動と強気な発言にシヴァは勿論、瞬すらも目を白黒させる。
しかし、場慣れをしている瞬は、直ぐに平静をとりなすと、地面を滑走してしまわないよう、首だけ回転させながら未来を見やる。
「負け惜しみかい?確かに君の言う通りだ。僕は計画的に動いているだけだね。
 だけど、君たちにはそれだけの事で充分過ぎるんだ。結果、ただ僕にされるがままの状況だろう?つまりはそういう事なんだ。」

小さい子どもに算数を教えるような丁寧さ且つ猫撫で声の様な甘ったるい喋り方を伴いながら未来へと向き直るシヴァ。
その調子を一番的確な表現で挙げるとすれば赤ちゃん言葉と言うべき口調であろうか、如何にも未来を小馬鹿にした様子である。

「貴方が一つ見落とした事。それは私がどんな能力を持ってるか知らないって事だよっ。策略の穴、策謀の不十分さとも言えるかもね。」

未来を軽んじ今にも抱腹絶倒してもおかしくはないシヴァとは対照的に、冷静に淡々と語る未来。
眼差しは強く、闘う者の意志を湛える。
瞬はシヴァに悟られぬよう眉根を寄せる。
―――未来の能力「不可視の肉の精製」は結局の所、“不可視”というアドバンテージを利用しての奇襲。殴打である。
瞬と同じく“物理干渉でダメージを与える”、という点に変わりは無い。
にも関わらず意にも介せず、と言った具合に微笑を浮かべる未来。その自信はどこから湧いてくるのであろうか?何か秘策でもあるのだろうか?いずれにせよ、少なくとも瞬には思いつかない。

「見落としたんじゃない。見限ったんだ。そこをはき違えてもらっちゃ困るよ。君は元から僕の眼中に無いんだ。当て馬なんだよ、君は。
理解したかい?光子の劣化コピーキャットさん?」

“未来”という存在を完全否定した言葉。
それをいやらしく歪んだ目付きを伴いながら諭すように語るシヴァ。その暴言に、瞬はたまらず我を忘れて飛びかかりそうになる。
・・・が、侮辱を受けた当の本人である未来は、そんな瞬をそっと無言で片腕を踏み切りの遮断機の様にして制すと、静かに首を左右に振った。
瞬はそんな未来の行動に再び目を剥く。
感情的で短絡思考、そして自制が利かない、と言った認識であったからだ。
そんな彼女の事だ、誰よりも最初に激昂して駆け出して行くと想像していた。しかし、それどころか、現実はどうだ。ただ黙って瞬を諫めているではないか。短絡的に駆け出そうとしたのはむしろ自分の方である。
瞬は、そんな彼女の双眸に映る決意の様な鋭い、猛禽類を連想させる眼光を目にする事で、悟った。

―――嗚呼、これが“幸至未来”では無く、自分の知らない彼女“ミクトランテクゥトリ”の顔なのだと。

そして、瞬を制している反対側の腕をそっと前に出すと彼女の―――ミクトランテクゥトリとしての象徴の詩を紡ぐ。
声を紡いでいるのにも関わらず辺りは瞬時に無音になる。
その状況を例えるならば、周りの雑音が未来の旋律に心を奪われる事で、一切の干渉を止め、聞き惚れる様に。彼女の言の葉だけを音にへと変換して響き渡らせる、静粛なる空間が形成された様に。
その神秘的且つ厳かな様子にシヴァはその哄笑を一旦止め、たまらず固唾を飲む。瞬も切迫した状況にも関わらず、ただただその詩に陶酔する事しか出来ない。まるで、そうする事を強制させられる様に。
それはまさに、森羅万象全てを魅了する事で、他の空気の伝播を消し去り、世界から音を奪っていく、そんなウタ。
果たして、ヒトの身にこのような旋律が紡げるのであろうか?

―――答えは否。それはまさしくヒトならざる所行であろう。彼女自身が、一つの“未来”という名の楽器に成っていると言っても差し支えない。

小節を重ねるごとに、段々と両腕に巻かれた幾重もの包帯が解かれていき、まるで未来を包み込むような繭の様に展開する。
例の如く包帯が巻かれていた部位の中身は無く、不可視の肉が精製されている様だ。
しかし、例え見えていなくとも、その肉を使用する干渉は完全な物理。それは、例え如何なる機構を示そうとシヴァへの攻撃という役割を果たす上では無価値へと堕ちる。
心酔状態に陥ってしまう程の唄以外は、やはり思った通りの展開となっており、事態が好転するようにも見えない。そんな事を思いながら瞬は訝しげな表情を浮かべる。
そんな瞬を余所に、まさに千手観音の腕の如く未来の左右に拡がった包帯は、弾丸の様な速さでシヴァを貫かんとする勢いを伴いながら直線的に伸長する。その、硬質化した包帯はまさに骨。
神話の中でのミクトランテクゥトリを体現したような光景である。
骨の棘と言うべき形状は、耳を劈く様な轟音を伴いながらシヴァを射止め、刺し穿つ槍である。
しかし、どのような鋭さ、威力を持とうと結局は物理。
迫り来る無数の刺突をシヴァは身を捩る事で、その先端を僅かにずらす様にして難なくいなし、その骨のイバラを無効化する。

「なんだ。どんな秘策があるのかと思いきや、結局はハッタリの悪あがきじゃないか。」

先程まで息を呑むように強張っていたシヴァであったが、未来の能力が自分へと危害を加えるに至らないと判ると、安堵の顔を象る。

―――違う。全てが違う。
楽観的な姿勢で未来を見やるシヴァとは対照的に、瞬は真剣な面持ちで手を口元に当て少し俯くように思案する。
未来は確かに、場にそぐわないような発言が多々あるマイペースで脳天気な少女であるが、決しておつむが不自由というワケでは無い。理由も無しに軽率な行動に移すとは思えない。
数多の戦闘で培った「感」がそう告げているし、何より、象徴の詩が、彼女と初めて相対した時とはあからさまに異なるのだ。
それに、先刻も巻かれた包帯そのものでのアプローチである。元来の攻撃の主体となる不可視の肉で攻撃した様子も見られない。
そんな、瞬の考察を露とも知らず、シヴァの度重なる挑発に、未来は動じず、それに乗る様子も見せず表情はそのまま、無表情と言っても良いような怜悧な目をシヴァへと向けながら、さらに何本も何本も、あるだけの包帯全てを突きつけようとせんが為、次々と発射する。
その様子は水中で対象を狩る、ニードルガンを思わせる。

「数撃てば当たるかも、って事かな?つくづく君は救いようの無いお茶目さんだねぇ。救うつもりも無いけどね。」

その度重なる、追撃をいとも簡単に躱した事で、自らの安全が保証されたという結論に至ったシヴァは口の端を吊り上げると共に目元を細める。結果は信頼を生み出す。
その、愉悦に満ちた推察を耳にした未来は、してやったりと言った表情で、彼女らしからぬ艶っぽい笑みを浮かべると、唇にそっと、その白皙で繊細な人差し指の先端をあてがう。

「残念っ!はずれだよっ!私のもう一つの能力。
それは“致死性の毒ガス精製”。私が格下だと思って侮ったのが運のツキっ!相手の事を完全に把握していないのに、油断するのは甘い甘いっ。」

くすくす、と白磁の様な手を口元にあてながら、笑いを噛み殺すようにシヴァへの嘲笑を浮かべる未来。
それはまさに彼女が元十戒メンバーで在ることを幾千の言葉よりも体現していた。

―――死を司る凶つ神「ミクトランテクゥトリ」。

今の彼女の姿を見れば、彼女がその名を冠する存在であることを疑う輩は先ずいないであろう。それほどまでに、妖美な仕草。

「私はただこの場から離脱すれば万事OK。君の能力で壁にぶつかって多少ダメージを受けるかもだけど、受け身もとるし、大事には至らないよ。」

それに、こっちには頼りになる瞬君も一緒だしね、と、まどろんだような屈託の無い満面の笑顔を瞬へと向ける未来。
その、先程までのシヴァを見やった妖女を思わせる妖艶な表情との差異に戸惑いつつも、その魅力に惹かれているのか、瞬の胸の鼓動は早鐘を打つ。頬は心なしか朱みが差しているようだ。

「その能力じゃ物理ダメージ以外はどうにもならないでしょ?それとも逃げる?」

「・・・・なんだと?淫楽という名の排泄物を処理する肉便器風情がっ!」

未来の恫喝を伴う、からかう様な含み笑いに、シヴァはいけ好かない薄ら笑いを止め、こちらが本来の彼の性格を現したものであろう口汚い侮蔑の言葉を、彼女を睥睨すると共に吐き捨てる。
このような三文台詞が口をつく時点で彼の敗北は確定したも同然だ。
小物専用と言っても過言では無い様な罵詈雑言を並べ立てるシヴァは、完全に冷静さを欠いてしまっている。自分が歯牙にも掛けていなかった相手からの嘲り故に、その憤怒は一入であったのだろう。

「カウントダウンを開始するよ。じゅーう、きゅーう、はーち・・・」

感情を色で例えるのであるならば、赤よりも朱い紅を宿した青髪の青年シヴァとは対照的に、青より蒼い碧を携える冷厳な態度で未来は数字を数え始める。そのテンカウントが開始されると同時に、シヴァの眼前へと配置されていた包帯は蚯蚓が身を捩るようにくねりくねりと蠢き出しながらのたうち回る。
そして、そこからボコボコと溶岩の様な、はたまた沸騰した湯の様なくぐもった音を発しながら、微細且つ無数の穴が空き始め、まさしくスポンジの様な状態へと変化していく。

「な・・・やめ・・・!」

その、明確に見え始めた、自らを対象とする凶報をもたらす象徴に、動転のあまり焦燥感に駆られたシヴァは、慌てふためきながら、たまらず未来へと駆け寄ろうとする。
当然、摩擦抵抗がゼロとなっている道路は、例えその結界の如き抵抗干渉無視の世界を創り出した創造主であっても、容赦なく牙を剥く。
その洗礼を受けた様にシヴァはその場で激しく転倒すると、受け身も取れずその姿勢のまま滑り続けた為、肉が潰れ、爆ぜる音―――水の入った革袋を押し潰すような鈍い空気の伝播を伴いながら民家の塀へと激突し、さらけ出される様にして胸部を強打した。
あまりにも盛大に、勢い良く飛び出した故に、そのとき生じた運動エネルギーはそのまま壁へと衝突した際の抗力へと変換され、良くて重傷を負う結果となるのは確実だ。
それだけの衝撃が生身へと降り注いだのだ。肋骨の一、二本でも折れたのだろう。
シヴァはその場でぐったりと壁へ凭れこみながら、ひくひくと、彼自身に搭載されたバイヴレーション機能が起動したかの様に痙攣している。彼は、皮肉にも自らの能力で破れる羽目となったのだ。
しかし、これはシヴァの断末魔に近い咄嗟の判断で自らに付加した“ゼロの鎧”を解除した為、この程度で済んだのだ。

シヴァは二カ所にその能力を酷使していた。一つは自らに対しての、敵の攻撃を無力化する為。二つに、相手を縛り付け、動きを封じる為である。
今回の様な状況では、彼が能力を維持したまま激突すれば、シヴァ本人にも適用されている“ゼロの力”によって、まるでスペースシャトルの打ち上げの様相で塀を垂直に滑走し、空中へと投げ出されていただろう。
そして、そのままどこか、能力の範囲外の地面に、それによって生じた運動量に、重力加速度を加味した位置エネルギーをもプラスして叩き付けられていたのだ。
もしも解除したのが道路に付加した側のフリクションキャンセルであったならば、結局のところ彼自身に適用されている抵抗力をキャンセルする力が持続し続ける技術に変わりなく、結果は後者と同様になっていたであろう。ここ一番で冷静さを取り戻した故の僥倖である。

―――彼の力は扱い次第で自らに降りかかる諸刃の剣なのだ。

「調子にのって慢心するのはダメなんだよ?それが、君の敗因っ!・・・って、聞こえてないか。」

てへっ、と。おどけた様に舌を出す未来に、瞬の背筋に何か薄ら寒いモノが通った。




シヴァの戦闘続行が不能になると同時に辺りの不可解な物理干渉は全て解消され、オールグリーンな定常状態となる。
異能というモノは普段と違う脳のチャンネルを使用するので莫大な集中力が必要であり精神疲労も大きい。言わば、伝家の宝刀である。
同じ十戒の異能者であった瞬も未来もそれは重々承知の事実だ。先程のシヴァの様な危機的状況、精神状態でとても同時に二つの物理無視状態を解く事は出来ないだろう。そう踏んだ未来の奇策である。
念のため未来は、再び抵抗値ゼロの世界を創られても対応できるよう、シヴァへと駆け寄る。
純粋にシヴァの身を案じた事も行動の要因の一つであるが。瞬も未来に続き後に付く。

「大丈夫?もう悪さしないって約束してくれれば、救急車呼んであげるよ?」

予想以上に痛ましい様子であったシヴァに、命を脅かした敵であるにも関わらず、ついそんな言葉が口をつく未来。
どうやら衝突した際に懐に隠し持っていたフォークの何本かが、彼の身体を貫いている様だ。シヴァの衣服の所々からは、まるで配色構図を反転させたナナホシテントウの様に点々と、赤い滲みを覗かせる。

「あっははははっ!!君らは本当にいけ好かないヤツらだ!」

未来の純粋な、まさしく染み出るように吐露した心配を無碍にする様に、憎々しげに二人を睥睨しながら壊れたように嗤うシヴァ。
肺に大分ダメージがいっている所為か口からはゴボッと、にこごった様な血が吐き出される。肋骨が肺に突き刺さっている可能性が濃厚だ。
だが、構わずシヴァは嗤い続ける。
当然、己自身から零れる様にして出でる血液によって噎せ返り、呼吸もままならず喘息の様に咳き込む事となる。
血は、血小板の作用によって空気と接触すること事により即座に固まる様になっている。それにより、硬化し喉に張り付くので余計であろう。
そんな、シヴァの様子を見かねた未来は、たまらずシヴァを介抱しようとするが、その差し伸べた手は、ぴしゃりと、はたかれる様にして払い除けられる。

―――それは、完全な拒絶の意志。
未来はその顕著に現された彼の答えを、ただ受け止める事しか出来ない。
受け入れられなかったその右手を、ただ哀しげな瞳を湛えながら俯きながら見る事しか出来ない。

「全く理解に苦しむよ!なんで、そんなに優れた力を持ちながら『三大呪術師』や『八人機関』の様な化け物達を狩ろうとしない!
僕たちはあいつらを滅ぼす為に世界という概念から直々に選ばれたんだ!そうだろう?!
だったらおかしいじゃないか!それを無碍にする様な奴らに、何で僕が負けるんだ!本来の意味を貫いているのは僕なのにさぁ!
なんで運命ってのはいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも僕に冷たいんだっ!!」

今までに無い程、己が感情を露わにするシヴァ。
興奮のあまり、勢い余って再びビチャビチャ、と蛇口が壊れた水道の様に血塊を吐瀉する。辺りはシヴァからは排出された、その朱に包まれ、その中心にへたり込む様にしてもたれ掛かるシヴァは一見死んでいる様にも見える。そんな痛々しい有様だ。

「その考え事態が傲慢なのだ。少なくとも『果てよりの凶報』はお前らよりよっぽど人間をしている。
八人機関もそうであろう。ヤツらは確かに、時に災いを振りまくが、『黄昏の夜』の暴走が世界の全てを呑み込まずに済んだのも、ヤツらの存在、抑止力があったからだ。
何故、物事を白と黒で測りたがる?真実とは自分の目で実際見てみないと判らないものだ。そして価値観や常識、それらも、最初に言ったが、正解とはあってないようなモノだ。
地動説が唱えられる以前の天動説。ニュートン力学に対する特殊相対性理論。万物は時間と共に意味を流転させる事もあるのだ。」

寂しげに黙りこくった未来に代わり、瞬が口を開く。
未来には、心なしか、まくし立てる瞬の言動は語気が強まっている様に感じた。

「あんな化け物どもは死んで当然だろうっ!社会や摂理を掻き回すだけ掻き回してさぁ!
振り回されるのはいつも罪の無い人々。そんなのが許されるワケ無いだろうっ!看過できるハズがないっ!無知蒙昧で義務を怠るヤツほど権利を主張しやがるのさ、この世はさぁっ!
解決策を探る努力をしたかっ?!曖昧模糊な理想論ばかり並べ立てやがって!誰かが手を汚さなくちゃこの世に蔓延るウイルスみたいな化け物どもを一掃できないんだ!
僕たちは言わばこの世界のワクチンなんだよっ!」

瞬の持論に、激昂・・・と、言うよりも、駄々っ子が泣き叫ぶ様にして反論を主張するシヴァ。
そこには、先程までの全てを諦め、嘲笑し、見下した様な瞳をした青年では無く、一人の、自らの意思、感情、思念を真っ直ぐにぶつける青年が居た。

「ワクチンだと?もし、ガイア説と言うモノが存在するのであれば、三大呪術師や八人機関はウイルスであるという意見に相違は無いが、主等はどう見てもアポトーシスではないか。
ウイルスはワクチンにも転用できる可能性を内包している故、邪悪なのはどちらであろうな?
 十戒は相手の自己愛を満たす集団だ。
所属した人間から対象を疑う術を奪う。又は、自らで考える事をさせなくする事により、所属している者を支配する事を是非とする信念で動いているのだ。
対象を逐一観察し、褒め、評価する事による陶酔。
カリスマ性を提示し、心酔させる事による理想化。
そして、その二つで相手を支配出来ない場合には、それらを受け入れ易くする為に、対象に共感する様に振る舞うのだ。
もっとも、これらは形だけであって、本心では無い。
相手を操作を容易にする為の洗脳、帝王学だ。
そして、自らも処断させられるかも知れないという恐怖。これら4つでメンバーを縛るのだ。」

未来は、いつも口数の少ない瞬が、畳み掛けるように喋るのを見て、気付いた。

―――間違いない。
瞬は今までに無い程、憤慨している。
その証拠に、握りしめた拳は固すぎて、血流を止め、脈拍が未来の位置から見て取れるほど、血管が圧迫されている。まさしく、手が色を失ってしまう程に。

「俺もかつてそうであった。妄信的で自分のやっている事に疑念など、持たなかった。
・・・いや、疑念を持とうとすらしなかったのだ。気付かないフリをしていただけかも知れんな。実に利己的で邪悪な人間であると言えよう。
―――だが、気付いたのだ。
自ら考えて選択するという道が存在するという事を。俺にそのきっかけをくれたのはラグ爺。そして、それを気付かせてくれたのは、ヒカリだ。」

先程とは一転、静かにまるで子守歌を詠う様にしてシヴァへと語りかける瞬。その穏便な表情から察するに、彼だけでなく自分にも言い聞かせている様に見える。

―――まただ。

いつも瞬は、“光子”という少女の話をする時、悲しいような嬉しいような懐かしいような、それでいて怒っているような様々な感情が入り交じった複雑な表情をする。
それを見ると未来はいつも胸の奥が締め付けられる思いになる。
瞬の悲痛な顔を見るのが嫌という事もあるが、瞬が遠くに行ってしまったような、自分の知らない人物になってしまったような心境になるからなのだと思う。
しかし、それだけでは無い気もする。それが如何なる感情なのかは未来には判断がつかないが、ともかくたまらなく胸が苦しいのだ。

(この気持ちは何なんだろう?・・・なんか寂しくて、苦しいよぉ。)

その辛さから逃れるために、未来はたまらず瞬から目を背けた。

「確かに、お前の言うことも正しいかも知れないさっ!でも、僕は!僕は・・・・!」

瞬の説得とも助言とも取れるような誠意を込め真剣に向き合う真摯な言に、何かを言いかけようとしたシヴァであったが、止め処なく零れ出で失血していくのに追い打ちをかけるように、言葉の途中で激しく咳き込みながら自らの体内を巡っていた赤黒い循環液を嘔吐する。
それにより肺を始め全身に激しい振動と衝撃が来た為であろう。
堰を切って溢れ出す様にして、出血速度に拍車が掛かる。
シヴァはそのまま事切れた様に身体全体をだらりと無造作に投げ出すと、沈黙した。
未来は慌てて所持していた携帯電話の119番を押そうとしたが、瞬の

「安心しろ。気絶しているだけだ。幸いにもチアノーゼは見られない。しばらくの間はこのままでも大丈夫であろう。
それに、ここは人の往来がそれなりにある故、誰かが見つけてくれる筈だ。今回で一層自覚したと思うが、俺たちは追われる身なのだ。
なるたけ、目立つ行動は避けるべきである。
事情聴取などに巻き込まれた日には、目立つ上に時間がかかり、非常に厄介であると言えるな。」

という言にしぶしぶ了承し、再びポケットにしまい込むと、後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、その場から退散する事にした。

その頃、ちょうど見計らった様に雨が降り始めた。
どうやら間一髪の辛勝だったようだ。

―――帽子を被った細目の十戒執行者、シヴァ。
彼は己が遙か格下に見ていた少女の機転により、自らの能力を持ってして破れる事となった。





「うひゃー。びしょびしょだよぅ。」

帰宅すると、すっかり濡れ鼠と化した未来は玄関口で、樹が気を利かせて置いたのであろうバスタオルで身体を拭き、同様に全身ずぶ濡れとなっている瞬へと渡す。
その際、透けた制服から未来の胸元が顔を覗かせ、瞬の身体の一部分が反射的に生理反応を示してしまったのは、また別の話。
とりあえず、水が滴らない程度まで雨粒を拭き取った未来は、風呂場に向かい浴槽へとお湯を貯める。
そして、脱衣所に置いてあった樹のシャツと乾いた大きめのバスタオルを、風邪をひかない様にお風呂が沸くまでの応急処置だよっ、なんて事を言いながら、はにかんだ様な表情で瞬へと運んできた。
自分は未だ半乾きの状態であるにも関わらずだ。

その甲斐甲斐しく献身的な様子に、普通の男性ならば、まず間違いなく相手を愛しく想って然るべきであろう。
瞬も勿論例外では無い。彼女に対する好感度は上がらずにはいられなかった。

「ところでさ。瞬君っていつも学生服ばっかり着てるよね?洗わなくて気持ち悪くないの?」

体格が小柄過ぎる為か、すらりとした長身である樹のシャツは瞬にとってあまりにも大き過ぎた。
ダボダボの状態で着込む羽目となった瞬はまるで背伸びして親の服を着ようとする子供の様だ。
その見慣れない光景に、ふと、瞬が未来の知りうる限りでは学生服以外の衣類を着ていない事実に気付き、さりげなく尋ねる。
学校に行くときは勿論。風呂から上がっても、休日の日にも、同じ黒い学ランを着用しているのだ。学校指定のジャージならばともかく制服をここまで着回す事は異常とも言える。

「何を言う、毎日変えている。失礼なヤツであるな。」

瞬は、未来の発言に少しムッとした様な顔をすると、リビングにあったクローゼットを、ほら、と見せつけるよう開いた。

「うひゃ・・・」

すると、そこには、寸分違わぬ学校指定の制服が綺麗に整理されずらりと並んでいた。
その圧倒される光景に思わず絶句する未来。
これ程までに同じモノが整然と並べられていると、目眩を覚えずにはいられない。悪い夢の様である。
そして、そんな未来とは裏腹に、瞬の顔は何時にも増して得意気である。
どうやら制服には並々ならぬ拘りが在るようだ。
愛玩動物を慈しむ様な目で、恍惚とした表情の瞬に、未来は無意識に後退る。

「この破損が激しいのは、誰かさんが襲ってきたせいで、もう使えなくなったヤツであるな。」

瞬は、折り目正しく整備された学生服の中に一つだけボロ雑巾の様になったモノを見つけると、まるで嫁と折り合いが悪い姑の様な、底意地の悪そうな視線を向ける。

「うっ・・・そ、その件は悪かったわよぅ・・。」

たじろぎつつ嫌味なヤツー、と内心むくれる未来であったが、瞬の意外な一面が見られた事による喜びが上回っていた所為か、顔が綻ぶ。
彼女にとって、最早瞬という存在はそれほどまでに心の大多数を占めるような存在になっているのだ。
故に彼女を皮肉ったつもりが笑顔で返された瞬は首を捻る事となった。

「ところで、主の真の能力は毒なのか?十戒メンバーの異能は一人一種類と認識していた故、何とも違和感・・・というか釈然としないものがあるな。
・・・何はともあれ、全く恐ろしい代物である。」

うーむ、と考え込むようにして唸りながら、未来の包帯を手に取りまじまじと見つめる瞬。
「違うよー。瞬君も案外お馬鹿さんなんだねっ。
あんなとこで、そんな力使ったらかんけー無い人達まで巻き込んじゃうんだよ?
あれはーただのハッタリっ!通じるかどうかは五分だったんけど、なんとかなったみたいで良かった良かったー。」

これでも私は元十戒なんだからね!と、あっけらかんとした様子で得意気に胸を張る未来に、瞬はつくづく女性は底が見えない生き物だなと、認識すると同時に、彼女が味方で良かったと、つくづく思う事となった。



               ●◎●



瞬達が去った数分後、降りしきる雨の中、その、冷たいひやりとした感触により、意識を僅かながら取り戻し始めたシヴァの前に、奇怪な機械を片腕に装填した青年が、まるで仁王立ちと言った具合の堂々たる振る舞いでシヴァの前へと立ち塞がり、彼を見下ろす。
その雨垂れのおかげで、髪の毛はぐっしょりと濡れてしまっている為に、青年の顔を確認することは難しい。
体付きから推測するに歳は20前後ほどであろうか?

「いやはやどうにも派手にやり過ぎさね。・・・これがなんだか解るよな?」

幽鬼の様な存在感の所為でそう見えただけなのかも知れない。見た目より幼さを残す少し高めの声で言の葉を紡ぐ青年。
今は、まさに夕立と言うべき天気である。
その薄暗さから仄かに点灯し始めた街灯により、青年の機械と一体化したような右腕は怪しく光る。

「火炎放射器かい?なるほど、それなら僕の能力でも無効化できないね。
・・・やれやれ、僕もミクトランテクゥトリを卑下出来ないな。彼女と同じ立場になったみたいだね。今度は僕が始末の対象かい?」

一度、意識が暗転した為か、未来に破れた直後とは、うってかわって落ち着きを取り戻したシヴァは、自らの危機にも関わらず、穏やかで、それでいて他人事の様な物言いである。
その貌に宿るのは、悟りの様なモノも感じられる、そんな笑み。
雨は小降りなのであるが、雨粒一粒一粒が小さくまとわりつく様な秋雨の為、大量の失血と併せて体温は大幅に奪われている。
それらは、須くシヴァの体力を奪うには充分過ぎるものであった。
それによって弱気になっていたのかも知れない。それとも、ひとしきり本音を吐露したからだろうか?それは誰にも、本人すらも解らないが。

「どうぞ、ご自由に。・・・もう僕は疲れたんだ。そろそろフィーの元に逝くのも悪くない。僕はどうやらあの日から道を間違えていたようだ。
いや、線路の分岐点を誤って走っていたのは判っていた。ただ、その過ちを認めたくなかっただけだったんだよ。―――彼、月読命と同じだったんだ。
遠い日に誓った夢なんて、とうの昔に枯れ果てていた。僕の時計はきっとあの日から止まったままなんだろうね。そんなに欲張った願いでも無かったんだけどなぁ。」

シヴァは、視線こそ青年へと向いているが、その瞳に彼の姿は映していない。彼が心に映すのは一人の少女とかつての友人。黄金に煌めいた情景、追憶。かけがえのない時間。色褪せない思い出。

「君に抗うつもりは無いよ。敢えて言うなら僕は自分の“運命”の抵抗値をゼロにしたんだ。
悪の報いは針の尖。焼かれるのは苦しそうだけど報いと思って受け入れるよ。好きにしてくれ。」

自らを皮肉りつつ疲弊しきった顔を象りながらも、安寧に身を委ねた様に大悟した表情を彩るシヴァ。
そこから読み取れる後悔と言うモノを数値化するとすれば”ゼロ”である。全てを諦めたようにも見える、そんな貌。

「ああ。解った。じゃあ俺のやりたいようにさせてもらうぜ?」

青年はにやりと口の端をつり上げると、鈍重な金属をシヴァの前へと突きだした。





          Act2 十の戒律   END


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