2012/10/19(金)02:53
貿易センタービル もう 43年もたっている 東日本大震災587日後に
これは 通勤途中の貿易センタービルの お店の看板
これも 4つあいている
空地ではないけど やっぱしねえ
これでは いかんなあ
神戸商工貿易センタービル
所有者 神戸商工貿易センター
神戸商工貿易センタービル(こうべしょうこうぼうえきセンタービル;Kobe Commerce, Industry and Trade Center Building)は、兵庫県神戸市中央区にある柔構造の超高層オフィスビル。
1969年、霞が関ビルディングに次いで日本で2棟目に竣工した、高さ100mを越す高層ビルである。1970年ワールド・トレード・センター連合総会の会場になった。阪神・淡路大震災においては震度7のエリアに在りながら、構造への被害は皆無であった。
1969-2012=43年
へーえ もう 43年もたっているのだなあ
当時 日本で2番だった高層ビル 地震でも被害なし これは りっぱだなあ
東日本大震災 3月11日発生
10月19日は 既に587日後となった
武田さんのブログ
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それは当然だが(6) 原発より怖いものができた!
もう、今から20年以上前のことだが、アメリカ上院がはじめて「CO2による気象変動(温暖化ではない)」を取り上げたとき、それに飛びついた人たちがいる。それがゴア元副大統領やサッチャー首相だった。
その頃、原子力はスリーマイル島事故やチェルノブイリで反対運動が強くなんとかそれを打開しなければならなかった。ところが降ってわいたように「温暖化恐怖」がでてきた。それまで「寒冷化対策」を行ってきたアメリカ、イギリスなどは急速に方針を転換、温暖化を政策の中心に持ってきた。
その目的は、「原発より怖いものができる」という期待だった。それから20年。私が原子力委員会の研究開発部会にいて「温暖化するとなぜ原発は安全になるのですか」と3回、くり返して発言を止められていた。
まだ当時「安全な原発を何とか作りたい」と考えていた私は、温暖化で原発反対運動がなくなり、大規模な原発増設計画が動いていた。しかし原発は相変わらず危険な状態だった。危険なまま、温暖化が怖いという世論にのって原発増設計画が進んでいたのである。
1)温暖化は1980年代のアメリカ農業の策謀だった、
2)だから温暖化と言わずに、気象変動と言った、
3)それに原発利権が乗った、
4)アメリカやヨーロッパが環境のために自国の利益を犠牲にするはずもなかった、
5)日本国内も温暖化の3兆円利権に群がった、
6)その結果、原発を上回る恐怖が社会を覆い、原発反対がなくなった、
7)原発は危険なままだった、
8)そして事故が起こる。
「節約」も一見美徳だった。「温暖化防止」もあたかも未来の子どもたちのためのようだった。でも、いずれも利権派に蹂躙され、無残な結果をもたらした。法律より「倫理」が大切なのだろう。
(平成24年10月14日)
原発と 反原発 どちらも両極端 あっちにふらふら こっちにふらふら かな
はた坊