2014/09/05(金)01:02
みにとまと 18回目の収穫をした 東日本大震災3年と5か月と26日後に
とまと
今年
04月13日 ブチとまと 赤6本を庭で保管中
04月17日 ブチトマト オレンジ 2本を玄関で保管中
04月19日 黄色のブチトマト 2本をm-06の畑に植え付けた
04月20日 ブチトマトの苗 8本をg-09の畑の畝に植え付けた
04月29日 大きなトマトの苗も 買ってきた 桃太郎4本とサターン2本なり g-09に植え付けた
05月03日 ミニトマト 追加でまた4本を買ってきて g-09に植え付けた
ただいま
m-06に2本 黄色のブチトマト
g-09に12本 オレンジ2本と赤の6本の ブチトマト
g-09に6本 トマト 桃太郎4本と サターン2本 合計6本をg-09に植え付けておいた
04月27日 畑のブチトマトは無事に生育している okだなあ 追肥をしておく
05月03日 黒マルチをつけておいた これで 良し
今年は 畝に黒マルチをつけておいた 水の保持と雑草よけとした
その後 水やりも手抜きをやっておこう
05月11日 支柱をつけておいた まあまあ
05月18日 もうすこし長い支柱を追加でつけておいた
05月24日 ちいさい実があちこちに 枝がどんどん増えてきている
06月01日 ちいさい実のうち 赤くなるつつあるのも 1つある
06月08日 赤くなってきているのが 増えてきている
ミニトマト 6月15日には 最初の収穫できる見込みなり
06月15日 すこしだけど 赤くなった実を収穫しておいた
これから どんどん ミニトマトの実を収穫していこう 畑で 水分補強できるので助かる
06月15日 初のミニトマト 収穫をした これから どんどん実が収穫できる
06月22日 2回目の収穫をした たくさんある
06月28日 3回目の収穫をした まあ たくさんだなあ
07月02日 4回目の収穫をした
07月02日 トマトも収穫した あまり出来はよくないなあ
07月05日 6回目の収穫をした
07月13日 7回目の収穫をした
07月16日 8回目の収穫をした
07月19日 9回目の収穫をした
07月23日 10回目の収穫をした
07月27日 11回目の収穫をした
07月30日 12回目の収穫をした
08月02日 13回目の収穫をした
08月06日 14回目の収穫をした
08月09日 15回目の収穫をした
08月16日 16回目の収穫をした
08月24日 17回目の収穫をした
08月31日 18回目の収穫をした
東日本大震災 3月11日発生
9月5日は既に3年と5か月と26日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から20年
どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている
武田さんのブログ
-------------------------------------------
普通の歴史(追補) 侵略戦争とはなにか?(3) 憲法9条も軍部独走も関係なし
「201409031059.mp3」をダウンロード
日露戦争、日米戦争という明治維新からこれまでに日本が戦った主要な二つの戦争は、「平和憲法があるかどうか」とか「軍部が独裁だったかどうか」などまったく無関係のことだった。
日露戦争は白人の国、ロシアがわざわざモスコーからシベリアを渡って、旅順や朝鮮まで来るから起こった戦争で、日本が外国を侵略しようとして起こった戦争ではない。いわば、ドンドンと盗賊が扉を叩くので、妻子を守るために戦った戦争だった。(極めて明瞭)
日米戦争は白人の国、アメリカがわざわざワシントンから太平洋を渡って、グアム、フィリピン、そして中国まできたから起こった戦争で、日本が外国を侵略しようとして起こった戦争ではない。これも盗賊が東から来て、やむを得ず戦った戦争だった(きわめて明瞭)。
もし戦前に「平和憲法」があって日本に軍隊がいなくても、戦争は起こった。遥か彼方の国が攻めて来るのだから、そんな時に「私の国には平和憲法があります」などと寝言を言っても相手は「なんだ、それは?お前の国の中のことだろう。俺は関係ない」と言うだろう。憲法は国内法だから国際紛争にはなにも意味がない。
日露戦争の時にロシア皇帝ニコライ二世が言ったように「日本は戦争しない。ロシアの方が強いから」と言ってどんどん来たのと同じように、「日本に平和憲法があっても関係ない。俺たちは日本を取る」と言うだろうからである。
「日本人が平和憲法を定めたから、外国は攻めてこない」などという矛盾した論理では平和というむつかしいことを守ることはできない。戦後、70年、日本が戦争をしなかったのは、独立国なのに日本列島に世界最強のアメリカ軍が駐留し、近海に水爆ミサイルを積んだポラリス原潜が配備されているからだ。
平和憲法を持っているとか、平和憲法があったから平和が守れたというのはウソである。日本はアメリカ軍という自国の軍隊ではない、いわば世界一強い傭兵的な部隊を持ち、さらに核武装していた。
戦前、軍部が独走したから戦争が起こったというのも間違いだ。ロシアが旅順を軍港にし、佐世保と台湾まで進出すると言ったからロシアと戦争になったし、アメリカが太平洋を渡って日本まで来たから戦争になった。アメリカのルーズベルト大統領は「アジア人は召使に使っても良いが、日本の黄色い猿だけは殺せ」と言っていた。
だから、ロシアと戦争をしなければロシアの植民地になって日本の若者は両手首を切られたし、アメリカと戦争したから310万人の同胞を失っただけで済んだが、戦わなければ5000万人は殺されていただろう。その証拠が広島・長崎・東京大空襲という事実だ。
アメリカとの戦争の前、日本はアメリカを信用し、アメリカから石油や鉄鉱石などの原料を約7割ほど輸入していた。それをアメリカは中国へ進出しようとし、それに中国が内通したので、日本に対して石油とくず鉄の禁輸を行った。これは「宣戦布告」であるとされている。つまり、食料や石油のような「生活必需品」、「国を守るための最低限のもの」を禁輸することは国際的に許されていない。それをアメリカがやった。
ここでは、ロシアが悪い、アメリカが悪いと言いたいのではなく、そんなことを言っても意味がない。ここでは「事実をそのまま認めよう。そうしないとまた戦争になる」ということを示したいだけだ。平和憲法があろうとなかろうと、軍部が暴走しようとしまいと、外国が遠くからやって来たら戦争になる。
日本は自ら戦争を仕掛けたことはない。日本列島は実に住みやすく2000年も住んでいるので、日本人は海外に出たくない。外国語は不得意、安全指向でシャイな性格、日本の中で生活する「内弁慶」の国だった。それは今でもそうだ。
長い2000年の歴史で日本が外に出ようかなと思ったのは、豊臣秀吉の晩年ぐらいなもので、南に行けば豊かなフィリピンもインドネシアもあるのに、行かなかった。その点ではロシア人やアメリカ人のような白人(アーリア人種)とは全く違う考え方を持っている。
繰り返しになるが、日本が戦争をしたのは、平和憲法がなかったからでもなく、軍部が独走したからでもなく、単に「白人が遠くから「ドケドケ」と野蛮に侵入してきた」からにほかならない。だからこれからも平和を守るということは、平和憲法を守ることでも、軍隊を持たないことでも(現実はすでに持っている)、核兵器をもつかどうかも(現実はすでに持っている)でもなく、「外国が来なければ戦争にならない」ということだけである。
自虐趣味の人はいるけれど、それに引きずられて国民全部が錯覚してはいけない。
(平成26年8月24日)武田邦彦
ふむふむ
はた坊