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カテゴリ:カブラ
2016年 01月01日 在庫はこれくらい まあ しばらくは 大丈夫なり 01月09日 かぶら 11回目の収穫をした 01月16日 かぶら 12回目の収穫をした 01月23日 かぶら 13回目の収穫をした 01月30日 かぶら 14回目の収穫をした 02月06日 かぶら 15回目の収穫をした 02月13日 かぶら 16回目の収穫をした 02月14日 かぶら 17回目の収穫をした これで かぶら 全部を収穫した これにて 終了なり 08月21日 hcでの売り出し中の かぶらの種 買ってきておいた 9月になったら 植え付けを開始する予定なり 第一弾 08月28日 庭で 種まきをしておいた 09月01日 発芽した 09月04日 畑に移動した g-09の畝に植え付けておいた 09月11日 g-09の畑の畝のかぶら 無事なり 第二弾 09月04日 庭で 種まきをした 09月08日 発芽した 09月11日 畑に移動した g-01の畑の畝に植え付けておいた 第三弾 09月11日 庭で種まきをしておいた 09月15日 発芽した 09月17日 かぶら 畑に移動した g-03の畑の畝に植え付けた 09月18日 かぶら g-09の苗 無事なり これで 良し 09月19日 かぶら g-01の畝の分 これも たくさんある 第四弾 09月18日 庭て追加の種間かをした 09月22日 発芽した 09月24日 かぶら g-07の畑の畝に移動して植え付けた 09月25日 かぶら 種まきも全部 完了した これで 成長するのを待つだけ 10月02日 かぶら 64本をうえつけて 残っているの葉12本 まあ そんなものかな 10月22日 かぶら g-07の分 まあまあ 生育してきている 10月29日 かぶら これが一番大きくなっている 成長も順調なり 11月03日 かぶら g-09の畝の分 こちらも 成長してきている 11月06日 かふら g-07の畝の分 もう 収穫できそうになってきている 11月12日 かぶら g-07の畝のがふら 良い 今週から 収穫を開始しよう 11月13日 かぶら もう 収穫できそう いい 感じに育っている 11月19日 かぶら これも 良いなあ 収穫もokだなあ 11月20日 かぶら これも 良い これから 収穫していこう いい感じ 11月23日 かぶら 初の収穫をした 11月26日 かぶら 2回目の収穫をした 12月03日 かぶら g-07の畝の分 大きくなっている 見事になっている 12月04日 かぶら 3回目の収穫をした 12月10日 かぶら g-7の畝の分 見ると根っこは しっぽのみ土に入っている 横になっている 12月11日 かぶら 4回目の収穫をした 12月12日 かぶら 5回目の収穫をした 12月17日 かぶら 6回目の収穫をした 12月23日 かぶら 7回目の収穫をした 12月31日 かぶら 8回目の収穫をした 2017年 01月04日 かぶら 残りはわずかになってきている 01月07日 かぶら 9回目の収穫をした 01月14日 かぶら 在庫もすくない もう すこしあるだけ 01月15日 かぶら 10回目の収穫をした 01月28日 かぶら 11回目の収穫をした これにて 終了なり 02月18日 かぶら もうすこしあった 12回目の収穫をした これで お終いに 02月25日 かぶら もうすこしあった 13回目の収穫をした 第一弾 08月26日 かふら 種をかってきた 08月27日 かぶら 庭で 種まきをしておいた 08月31日 庭のかぶら 4日で 発芽してきている 09月03日 庭のかぶら 畑に移動した g-1/3などに植え付けをした 09月10日 かぶら 第一弾 その後 まあまあ 無事に 生育している 第二弾 09月03日 庭で種まきをしておいた 09月07日 かぶら 第二弾も 同じく4日で発芽した 09月10日 庭のかぶら 発芽したので g-05の畑の畝に移動した 山本五十六 おべんきょうその060 海軍甲事件 浜砂によれば、衣服を脱がせていないので断言できないが、右前頭部に擦過傷があったが、外見上さしたる傷はなかったという 直後に中村隊も現場に到着した。渡辺安次の証言では、遺体発見時に胸部と頭部に貫通銃創があったとしている 軍医・田渕義三郎の遺体検死記録によると「死因は戦闘機機銃弾がこめかみから下アゴを貫通した事、背中を貫通した事」という結論が出され、ほぼ即死状態であったと結論づけている 一方で山本の遺体を清めた安部茂元大尉らから、顔面に銃創がなかったという 浜砂隊が遺体を動かしていたが、吉田は山本は即死ではないと判断している 山本が搭乗していた一式陸上攻撃機を銃撃したP-38の武装はイスパノ・スイザ HS.404航空機関砲(口径20mm)と ブローニングM2重機関銃(口径12.7mm)であり、「小指頭大ノ射入口、右外眥ニ拇指圧痕大ノ射出口ヲ認ム」という検案記録通りであれば頭半分は吹き飛ぶはずである また田渕は後方で検死を行っただけで現場を見ておらず、蜷川から引き継ぎも行っていない 田渕自身も不審に思ったが深く追求できず、戦後、粗雑な書類で単なる形式処理であったことを認めている 実際に、田渕が山本の軍服を記念に保管しようとしたところ、渡辺が遺体から衣服を脱がすことを強い口調で禁止した はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.09.20 02:29:25
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