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カテゴリ:サトイモ
2017年 01月02日 さといも 10回目の収穫をした あと 3回分は残っている 01月14日 さといも もみがら たっぶりで 保管中 あと3回分もみがらの中 01月15日 さといも のこり3回 今週にも また 収穫しよう 01月21日 さといも 11回目の収穫をしておいた 01月28日 さといも あと 2回分 あり 01月29日 さといも 12回目の収穫をしておいた 02月11日 さといも あと 1回分のみ 02月18日 さといも 13回目の収穫をした これにて 終了なり 02月26日 さといも 発芽は昨年は3月06日だった 今年は どうかな 03月20日 さといも まだ 発芽していない すこし 遅いなあ 04月08日 さといも 発芽してきている 春だなあ 04月15日 さといも 全面 発芽してきている これで 安心なり 04月22日 さといも 親芋 残しているので 発芽も速い これで 良し 良し 04月29日 さといも 親芋からの発芽なので 芽が でかいなあ 気分は 良い 05月03日 さといも 発芽は 順調である どんどん でてきている 05月05日 さといも 何本あるのかいな 15+10=25本くらいかな 多いなあ 05月07日 さといも 親芋を植え付けるのは 3年目である これは 効率が良い 05月08日 さといも 発芽は よそよりかなり早い 親芋の効果で 生育は良い 05月28日 さといも いつも通り にぎやかに 育ってきている 06月17日 さといも 梅雨になってから 元気になっている 水路の水が たっぶりだなあ 06月24日 さといも 追肥をしておいた すごい勢いで 大きくなりつつある 07月01日 さといも ジャングルのようになってきている 大きくなった 見事なり 07月08日 さといも ジャングルのようになり もう 鬱蒼と茂ってきている いつもの通りだな 07月09日 さといも 横にのばした里芋も 元気に 大きくなってきている 07月14日 さといも 元気は良い また 追肥をしておこう 07月22日 さといも 追肥をしておいた これで 良し 07月29日 さといも 横の分も通路にまで 伸びてきている 08月01日 さといも その後も 元気なり いい 感じ 08月19日 さといも サイズもでかい 葉もしっかりと 大きくなっている 08月27日 さといも まあ 今年も無事に生育している でかいなあ 09月16日 さといも もう 秋なので さといも すこし落ち着いてきている 09月23日 さといも 葉もおおすぎので カットして すこし 整理しておいた 芋はどうかな 10月01日 さといも 親芋を植え続けて 3年目だなあ 親芋 3年生となっている 10月15日 さといも もう 収穫できるが 葉が枯れてからにしよう 11月03日 さといも 今年も10回くらいに分散させて ぼちぼちと 収穫していこう 11月05日 さといも 1回目の収穫をした まあまあ 11月11日 さといも 寒さも厳しくなり 葉も 黄色になりつつある 11月23日 もみがら 大量にでた 里芋にも たくさん もみがら かけておいた 12月02日 もみがら 追加で もみがら どんどん かけておいた 2018年 01月01日 さといも 氷点下の気温がつづくので 葉は枯れて 下の地下の芋だけになった 01月09日 さといも その後ももみがらの下で 芋はそのまま保管中 そろそろ収穫しよう 02月04日 さといも 2回目の収穫しておいた 02月11日 さといも 3回目の収穫をしておいた 03月03日 さといも 残りは そのまま 種イモとして残っている 04月04日 さといも 発芽してきている 04月29日 さといも m-8のさといも どんどん 発芽して賑やかになってきた 05月12日 さといも かなり大きくなってきている たくさん発芽してきている 05月19日 さといも どんどん 成育してきている 大きくなってきている 05月26日 さといも 雑草とりをしておいた 葉も おおきくなりだした 06月09日 さといも もう 大きくなってきている 今年も大きく育ちそうだなあ 06月16日 さといも 目立つようになつて 大きくなりだした よし 空海 おべんきようその30 肖像 萬日大師(まんにちだいし) 高野山金剛峯寺蔵。室町・桃山時代の木像で、真如様大師の形を踏襲している。椅子式の牀座・水瓶・木履はない。「紀伊続風土記」によると、ある行者が、弘法大師の像を約30余年(約1万日)間にわたり、礼拝したところ、空海が現れて「万日の功・真実なり」と言って、東方を向いた。行者が夢から覚めると、像の首が左(東方)に向いていたという伝承から、その像が、「萬日大師」と称されるようになったという。[22] 北面大師(きたむきのだいし) 高野山三宝院蔵。鎌倉時代の木像で、真如様大師の形を踏襲している。椅子式の牀座・水瓶・木履はない。顔を右(北向き)に向けているので、北向大師という名称となった。顔を北へ向けているのは、高野山より北の方角にある、京都の御所、すなわち、皇城鎮護のために祈る姿を表しているとされる。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.06.23 03:50:35
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