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カテゴリ:玉ねぎ
2021年 01月01日 たまねぎ 寒さでも たまねぎは あまり影響はなし 元気なり 01月15日 たまねぎ その後も okだなあ もみがら よく役にたっている 01月22日 たまねぎ なんとか 寒さも乗り越えつつある 雨もふったし元気なり 01月31日 たまねぎ その後も 無事に成育してきている まあまあ 02月06日 たまねぎ 追加の鶏糞をばらまいておいた 02月13日 たまねぎ m-34の畝で3種類の玉ねぎ 植えている これが一番おおきい 02月29日 たまねぎ どんどん 大きくなりだした 鶏糞をかけておいた 03月05日 たまねぎ m-34の畝の3つのたまねぎの分 まあまあ 03月19日 たまねぎ また 雨の前に 追肥をやっておいた 鶏糞をばらまいた 03月26日 たまねぎ m-34のもの まだ 小さいな まだ かなり時間がかかりそう 04月01日 たまねぎ 4月になったけど まだまだ 小さいなあ 05月26日 たまねぎ その後も 生育はあまりよくないなあ トウだちしてきている 06月01日 たまねぎ 今年のサイズは ちいさいままだなあ 成育はよくない 07月15日 たまねぎ 昨年の赤玉 まだ 残っていたので 畝に転がしておいた 秋のたまねぎ 10月28日 hcで たまねぎの苗 かってきておいた 赤のたまねぎの苗 10月29日 hcで 早稲のたまねぎも 買ってきた ついでに g-07の畝に植え付けた 11月01日 赤たまねぎ その後 まだ 横になっている しはらく様子見なり 11月03日 早稲たまねぎ まだ 立っていない まだ 横だなあ 11月05日 赤たまねぎ こちらも まだ 横になっている 11月06日 早稲たまねぎ まだ 横になっているなあ 11月10日 赤たまねぎ ようやく 立ち上がりつつある 11月11日 早稲のたまねぎ やっと 起き上がってきている よしよし 11月12日 赤たまねぎ こちらも 苗は うえ向きになってきている 11月13日 早稲たまねぎ まあまあ 無事なり 11月14日 赤たまねぎ 元気なり 根本が やや 赤い やはり赤たまねぎだなあ 11月16日 早稲のたまねぎ 苗も 立っている これでよし 11月17日 赤たまねぎ なえもしっかりと 立ってきている これで よし よし 11月18日 赤たまねぎ もみがら 追加した 鶏糞をかけておいた 根っこも赤い 11月20日 早稲のたまねぎ 元気に育っている 11月22日 赤のたまねぎ もみがら かけておいた 元気になってきている 12月05日 赤の玉ねぎ 元気で成育中 もみがら たっぶり かけている 12月15日 早稲のたまねぎ もみがらにかこまれて元気よく 育っている 12月16日 赤のたまねぎ こらちも もみがらで 保温されて 元気なり 12月30日 赤たまねぎ その後も 元気なり もみがら 役に立っている 2022年 01月05日 赤たまねぎ おおきさは 早稲のたまねぎより やや 小さいな 01月10日 早稲の玉ねぎ こちらの生育は 赤よりも やや伸びている 01月30日 赤たまねぎ 元気なり もみがらがあるので 良く育っている 02月06日 早稲たまねぎ こちらも 元気に育ってきている 02月20日 赤玉ねぎ こちらも まあまあ 成育してきている 03月01日 早稲たまねぎ かなり 成長がよくなってきている いい感じだなあ 03月06日 赤たまねぎ やや 小さいけど まあまあ 成育してきている 03月20日 早稲たまねぎ 成育はかなり良いなあ おおきくなっている 03月27日 赤たまねぎ こちらも 成育はよくなってきている まあまあなり 04月17日 赤たまねぎ すこし 膨らんできているなあ 04月18日 早稲のたまねぎ こちらも 大きくなってきている 05月10日 赤たまねぎ もう 出来上がってきている 収獲もしてokだなあ 05月15日 早稲のたまねぎ 葉は もう よれよれになってきている 05月16日 早稲のたまねぎ いい感じにってきている 05月20日 赤たまねぎ こちらも そろそろ 収獲できそうになってきている 05月25日 早稲のたまねぎ 収獲をしておいた 06月01日 赤たまねぎ これにて 終了なり 06月10日 早稲のたまねぎ 残りを収獲しておいた 秋のたまねぎ 10月02日 たまねぎさんの植える場所の耕作を開始した 10月09日 もみがらいれて土を柔らかくしておいた 雑草とりしておいた 10月20日 g-07の畝のたまねぎの場所にマルチをつけて 上にもみがら 蒔いておいた 10月30日 hcで たまねぎの早稲の苗を100本 かってきた 10月30日 hcで たまねぎ 晩生の苗も100本 買ってきておいた 10月30日 hcで たまねぎ 赤の早稲 苗がないので setうりのもの 50本 買っておいた 10月30日 hcで たまねぎ 早稲の苗も100本 買ってきておいた 即 畑に植えつけた 10月30日 g-7の畑の畝の場所に 赤たまねぎの苗も うえつけておいた 11月10日 g-07の畝のたまねぎ 晩生の苗 まあまあ 無事である 11月20日 早稲のたまねぎ 苗はまだ 小さいけど まあまあ 元気である 11月30日 たねまぎの苗 ちいさい 苗ばかりであまり大きくならないなあ まあ 様子見だな 12月01日 赤たまねぎ まあまあ 生育はしてきている 12月05日 赤たまねぎ その後も まあまあである 12月06日 晩生のたまねぎ こちらも まあまあである 12月07日 赤たまねぎ 植えた分は 全部 育っている まあまあ 12月08日 早稲のたまねぎ これも 植えた分は 全部 育っている 無事なり 12月09日 晩生のたまねぎ こちらも 苗は 全部が 無事に育ってきている 12月15日 晩生のたまねぎ 真ん中に植えているのて 畝が良いみたい 良く育っている 12月17日 早稲のたまねぎ もみがらの追加をして暖かくしておいた ダグラス・マッカーサー お勉強 その 057 フィリピン脱出 オーストラリアで 南西太平洋方面の連合国軍総司令官に就任したマッカーサーは、 オーストラリアには フィリピン救援どころか、 オーストラリア本国すら防衛できるか疑わしい程度の戦力しかないと知り愕然とした。 その時のマッカーサーの様子を、 懇意にしていたジャーナリストのクラーク・リーは 「死んだように顔が青ざめ、膝はガクガクし、唇はピクピク痙攣していた。 長い間黙ってから、哀れな声でつぶやいた「神よあわれみたまえ」」 と回想している[112]。 フィリピン救援は 絶望的であったが、 マッカーサーはオーストラリアに脱出しても、 全フィリピン防衛の指揮権を残してきたウェインライトに渡すことはせず、 6,400kmも離れたオーストラリアから 現実離れした命令を送り続けた[103]。 それでも、 いよいよバターンが日本軍に対して降伏しそうとの報告を受けたマッカーサーは、 ウェインライトに 「いかなる条件でも降伏するな、食糧・物資がなくなったら、 敵軍を攻撃して食糧・物資奪取せよ。それで情勢は逆転できる。 それができなければ残存部隊は山岳地帯に逃げ込みゲリラ戦を展開せよ。 その時は私は作戦指揮のため、よろこんでフィリピンに戻るつもりである」 という現実離れした命令を打電するとマーシャルに申し出たが、 却下されている[113]。 アメリカ陸軍省は ウェインライトを中将に昇格させ、 脱出したマッカーサーに代わって全フィリピン軍の指揮を任せようとしたが、 フィリピンは 複雑なアメリカ陸軍の司令部機構により、 南西太平洋方面連合軍最高司令官 (Commander IN Chief, SouthWest Pacific Area 略称 CINCSWPA)に 新たに任命された マッカーサーの指揮下になったため、 マッカーサーは結局、 フィリピン全土が陥落するまで 命令を送り続けた[114]。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.12.22 10:54:19
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