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はた坊のブログ   家庭菜園を始めて20年目に(菜園に専念に)なりました

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2022.12.22
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カテゴリ:玉ねぎ










2021年
01月01日 たまねぎ  寒さでも たまねぎは あまり影響はなし 元気なり
01月15日 たまねぎ その後も okだなあ もみがら よく役にたっている
01月22日 たまねぎ なんとか 寒さも乗り越えつつある 雨もふったし元気なり
01月31日 たまねぎ その後も 無事に成育してきている まあまあ
02月06日 たまねぎ 追加の鶏糞をばらまいておいた
02月13日 たまねぎ m-34の畝で3種類の玉ねぎ 植えている これが一番おおきい
02月29日 たまねぎ どんどん 大きくなりだした 鶏糞をかけておいた
03月05日 たまねぎ m-34の畝の3つのたまねぎの分 まあまあ
03月19日 たまねぎ また 雨の前に 追肥をやっておいた 鶏糞をばらまいた
03月26日 たまねぎ m-34のもの まだ 小さいな まだ かなり時間がかかりそう
04月01日 たまねぎ 4月になったけど まだまだ 小さいなあ
05月26日 たまねぎ その後も 生育はあまりよくないなあ  トウだちしてきている
06月01日 たまねぎ 今年のサイズは ちいさいままだなあ 成育はよくない
07月15日 たまねぎ 昨年の赤玉 まだ 残っていたので 畝に転がしておいた

秋のたまねぎ
10月28日 hcで たまねぎの苗 かってきておいた  赤のたまねぎの苗
10月29日 hcで 早稲のたまねぎも 買ってきた ついでに g-07の畝に植え付けた
11月01日 赤たまねぎ その後 まだ 横になっている しはらく様子見なり
11月03日 早稲たまねぎ まだ 立っていない まだ 横だなあ
11月05日 赤たまねぎ こちらも まだ 横になっている
11月06日 早稲たまねぎ まだ 横になっているなあ
11月10日 赤たまねぎ ようやく 立ち上がりつつある
11月11日 早稲のたまねぎ  やっと 起き上がってきている よしよし
11月12日 赤たまねぎ こちらも 苗は うえ向きになってきている
11月13日 早稲たまねぎ  まあまあ 無事なり
11月14日 赤たまねぎ 元気なり 根本が やや 赤い  やはり赤たまねぎだなあ
11月16日 早稲のたまねぎ 苗も 立っている これでよし
11月17日 赤たまねぎ なえもしっかりと 立ってきている  これで よし よし
11月18日 赤たまねぎ もみがら 追加した  鶏糞をかけておいた 根っこも赤い 
11月20日 早稲のたまねぎ 元気に育っている
11月22日 赤のたまねぎ もみがら かけておいた 元気になってきている
12月05日 赤の玉ねぎ 元気で成育中  もみがら たっぶり かけている
12月15日 早稲のたまねぎ もみがらにかこまれて元気よく 育っている
12月16日 赤のたまねぎ こらちも もみがらで 保温されて 元気なり
12月30日 赤たまねぎ その後も 元気なり もみがら 役に立っている

2022年
01月05日 赤たまねぎ おおきさは 早稲のたまねぎより やや 小さいな
01月10日 早稲の玉ねぎ こちらの生育は 赤よりも やや伸びている
01月30日 赤たまねぎ 元気なり もみがらがあるので 良く育っている
02月06日 早稲たまねぎ  こちらも 元気に育ってきている
02月20日 赤玉ねぎ  こちらも まあまあ 成育してきている
03月01日 早稲たまねぎ かなり 成長がよくなってきている いい感じだなあ
03月06日 赤たまねぎ  やや 小さいけど  まあまあ 成育してきている
03月20日 早稲たまねぎ 成育はかなり良いなあ おおきくなっている
03月27日 赤たまねぎ こちらも 成育はよくなってきている まあまあなり
04月17日 赤たまねぎ すこし 膨らんできているなあ
04月18日 早稲のたまねぎ  こちらも 大きくなってきている
05月10日 赤たまねぎ もう 出来上がってきている  収獲もしてokだなあ
05月15日 早稲のたまねぎ  葉は もう よれよれになってきている 
05月16日 早稲のたまねぎ  いい感じにってきている 
05月20日 赤たまねぎ こちらも そろそろ 収獲できそうになってきている
05月25日 早稲のたまねぎ 収獲をしておいた
06月01日 赤たまねぎ これにて 終了なり  
06月10日 早稲のたまねぎ 残りを収獲しておいた

秋のたまねぎ
10月02日 たまねぎさんの植える場所の耕作を開始した
10月09日 もみがらいれて土を柔らかくしておいた 雑草とりしておいた
10月20日 g-07の畝のたまねぎの場所にマルチをつけて 上にもみがら 蒔いておいた
10月30日 hcで たまねぎの早稲の苗を100本 かってきた  
10月30日 hcで たまねぎ 晩生の苗も100本 買ってきておいた
10月30日 hcで たまねぎ 赤の早稲 苗がないので setうりのもの 50本 買っておいた
10月30日 hcで たまねぎ 早稲の苗も100本 買ってきておいた 即 畑に植えつけた
10月30日 g-7の畑の畝の場所に 赤たまねぎの苗も うえつけておいた
11月10日 g-07の畝のたまねぎ 晩生の苗 まあまあ 無事である
11月20日 早稲のたまねぎ 苗はまだ 小さいけど まあまあ 元気である
11月30日 たねまぎの苗 ちいさい 苗ばかりであまり大きくならないなあ まあ 様子見だな
12月01日 赤たまねぎ   まあまあ 生育はしてきている
12月05日 赤たまねぎ  その後も まあまあである
12月06日 晩生のたまねぎ こちらも まあまあである
12月07日 赤たまねぎ 植えた分は 全部 育っている まあまあ
12月08日 早稲のたまねぎ これも 植えた分は 全部 育っている 無事なり
12月09日 晩生のたまねぎ こちらも 苗は 全部が 無事に育ってきている
12月15日 晩生のたまねぎ 真ん中に植えているのて 畝が良いみたい 良く育っている
12月17日 早稲のたまねぎ もみがらの追加をして暖かくしておいた












ダグラス・マッカーサー     お勉強  その 057

フィリピン脱出

オーストラリアで
南西太平洋方面の連合国軍総司令官に就任したマッカーサーは、
オーストラリアには
フィリピン救援どころか、
オーストラリア本国すら防衛できるか疑わしい程度の戦力しかないと知り愕然とした。
その時のマッカーサーの様子を、
懇意にしていたジャーナリストのクラーク・リーは
「死んだように顔が青ざめ、膝はガクガクし、唇はピクピク痙攣していた。
長い間黙ってから、哀れな声でつぶやいた「神よあわれみたまえ」」
と回想している[112]。

フィリピン救援は
絶望的であったが、
マッカーサーはオーストラリアに脱出しても、
全フィリピン防衛の指揮権を残してきたウェインライトに渡すことはせず、
6,400kmも離れたオーストラリアから
現実離れした命令を送り続けた[103]。

それでも、
いよいよバターンが日本軍に対して降伏しそうとの報告を受けたマッカーサーは、
ウェインライトに
「いかなる条件でも降伏するな、食糧・物資がなくなったら、
敵軍を攻撃して食糧・物資奪取せよ。それで情勢は逆転できる。
それができなければ残存部隊は山岳地帯に逃げ込みゲリラ戦を展開せよ。
その時は私は作戦指揮のため、よろこんでフィリピンに戻るつもりである」
という現実離れした命令を打電するとマーシャルに申し出たが、
却下されている[113]。

アメリカ陸軍省は
ウェインライトを中将に昇格させ、
脱出したマッカーサーに代わって全フィリピン軍の指揮を任せようとしたが、
フィリピンは
複雑なアメリカ陸軍の司令部機構により、
南西太平洋方面連合軍最高司令官
(Commander IN Chief, SouthWest Pacific Area 略称 CINCSWPA)に
新たに任命された
マッカーサーの指揮下になったため、
マッカーサーは結局、
フィリピン全土が陥落するまで
命令を送り続けた[114]。



はた坊





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最終更新日  2022.12.22 10:54:19
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