一年の挨拶。
一年の挨拶。
本日は、母と叔母の逝去一年の祈りに
ご参加くださいましてありがとうございました。
振り返れば丁度一年前、母は胃がん手術の後めっきり弱り、透析の病院に再入院、
叔母は施設入所中で、全面的にお世話になっていましたが、透析先で昏睡状態に陥り、一旦県病に搬送され、その日のうちに透析の病院に移送されましたが、意識が戻ることなく、7月27日未明、息を引取りました。93歳でした。
その後母は、叔母が寝ていたベッドに移され、もう酸素マスクに引張られていましたが、3日後の7月30日午後11時45分.亡くなりました。85歳でした。
昔からとても仲良しで、どこに行くにも一緒でした。病気も同じ腎不全、母は8年、叔母は13年、亡くなった病室のベッドまで同じ窓際でした。いまだにあの時が、ついこないだのように思えてなりません。
一番悲しんでいるのは、長姉の伯母だと思います。 でも、姪の私の前ではそれを見せまいと、強がっているのです。
伯母にしてみれば私が、我が家の人間として、伯母のおメガネにかなう言動をしていない「こうあるべき姿」になり得ていないものですから
色々至らない点ばかりで怒られ、批判され、愚痴や嫌みを言われます。その度反論して、理屈の応酬になる事も、度々です。
何せ35年離れて暮らしてきたのが同居になったので、食い違いが多々あり、もしかしたら私は伯母にとって「招かれざる客」なのか、と思う事がありました。
母が入院中、見舞や介護認定等諸手続きで毎日バタバタしてた時「あんな何しに帰ってきたのさ!」と怒られた時は、とてもショックでした。大変だねとか、優しい言葉を期待していた私が間違っていたのか、
家族だから身内だから味方してくれると思っていたのは単なる甘えだったのか?! とても悲しかったです。
自分はまだまだ、お尻の青いハナタレ小僧なんだ。どうしたらそう言われなくなるのか、今も悩んでいます。
その伯母は、来年で3桁の大台になります。
足が痛い痛いと言いながら、病院行きを頑なに拒みます。心配してきいても、聞き入れません。お前なんかに頼るつもりは無い!という信念なのです。きっと。グチグチ言われるのが我慢ならず反論するとヒステリー呼ばわりです。だから黙ってしまいます。 それでもごく偶にですが、何か代わってやると「ありがとう」と言ってくれる事があります。何も言われないよりはいいかなと思っています。
2人の妹の分まで生きねば!という信念が
伯母の原動力であります。
あと百年は生きます!半分冗談、半分真剣に。何しろ昭和8年、働いた幼稚園が新築された時から歩んで参りました。歴史の一大証人であります。建具を一手に引き受けたのが父親(私には祖父)だと自慢します。
戦争中、空襲を免れた時いた場所は、当時県病だった等、我々が知らない時代の事を沢山知っています。ついこないだのように弁舌巧みに話すので、聞いてやってください。どうかこれからも、当地の歴史と共に歩んできた「レジェンド」伯母の名前 を、宜しくお願い申し上げます。