70年代一番ヤバいカップル
70年代一番ヤバいカップル
と言えば セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキン。「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」は公開エロである。歌からしてカンペキエロ現場。喘ぎ声がスゴイコとになってます、どうしたって現場を無理矢理見せつけられちゃってます。
たちまち放送禁止歌になったのはムリもない。
それから6年後の75年、ゲンズブールはホンモノでリベンジと、女房の全裸をスクリーンにぶつけた。
どうだ、オレのかあちゃん、イイべ?!
まだ20代の若いバーキンはショートカット。知的な顔立ちに不釣り合いな分厚い唇から大きな前歯が誘いかけてくる。ガリガリでギッスギスなボディーライン、見事なまでの貧乳、ぷりんとしたお尻を惜しげなくさらけ出す。カメラはそのまま、ゲンズブールの視点だ。撮影しながら悦に入ッてたんでないかと思われる。絶対。
だからシナリオなんてあってないようなものかと思いきや、ゲイのカップルと若い女性の三角関係が軸である。
そこから起こる歪みを何とかして解消しようともがく、バーキンが切ない。
場末の飲み屋で店主に罵倒されながら、鬱屈した毎日を送る。そこへ客として来た男性に、希望を見出そうとする。
だが、ゲイだからできないと言う。
自然な成行きを期待していたバーキンは戸惑い、だったら私を男性だと思ってと、
望まない体位に耐えて無理クリ受け入れようと試みる、が、
何度やっても苦痛の余り叫んでしまう。
トラックの荷台で、初めて結ばれ、安らぎを得たと思えたのに。ラストはまさかのどんでん返しに、えーっとなってしまった。彼の「彼」にあんな仕打ちを受けても、彼は彼を責めない。しかも縒りを戻してしまう。丸裸のバーキンは棄てられてしまった。
奇妙なタイトルの意味は?
「愛してる、僕も でもそうじゃない」
これ、
でも僕は君を愛してはいない、何故なら男しか愛せないからだ、と読めるし、
私は貴方を愛してる、でも女として愛してもらえないなら愛せない、とも読めそうだ。
75年の作品。まだ性的マイノリティは奇異な存在。2人がゴミ処理場で働く設定は、彼らの置かれた立場を如実に物語っている。ユダヤ系ロシア人のゲンズブールは、彼等に勝利の凱歌を掲げた事で、幼い頃から受けてきた差別への反骨心を突き付けたのでは無かろうか。
ラストタンゴインパリで、これに類似した場面があり、主演のマリア・シュナイダーが、事前に聞かされておらず屈辱だったと告白していたが、
これはどうだったんだろう?
合意の上だったのか?
バーキンはバッグの名前になったばかりでなく、センセーショナルな生き方も含め、存在がまるごとファッショナブルだったから、映画を先に見てなくてよかった。
3回結婚(007テーマ曲を書いたジョン・バリー、ゲンズブール、映画監督ジャック・ドワイヨン)、娘を1人ずつもうけたが、到底マネできない。。
この映画の時、既に娘(ケイト、シャルロット)が2人いたんだよねえ。。
ゲンズブールがタバコをボガボガ吸いながら、バーキンとイチャついて囁く「ボニー&クライド」2人は、実在した強盗犯の逃避行に自分たちを重ね合わし、センセーショナルなバカップルを地でいった。
もうこうなりゃ、演技と地の区別などつかなくなってて、実際の結婚生活は、ぐちゃぐちゃだったんじゃないだろうか? ゲンズブールの眼つきが、めちゃめちゃヤバいもの。アル中だったらしいから、別れた原因はDVもあったんじゃないのか? 勝手に推測
生き方が芸風に定着して仕舞うのって、オンオフの区別が出来なくなり、ある意味キツくないか?
ゲンズブールとは12年も続いたらしい。こんな変態とよく続いたもんだ。だからといって縁が切れた訳ではなく、91年に癌で62歳で死去する迄、会ったりはしていたらしい。
良くも悪くも、奔放な生き方には憧れないが、究極の自立した生き方ではあるんだろうな。