障害児と接して教えられる宝物障害児とご縁で接するようになり、私は、アタマをユサユサと揺すられて、不要なものをドンドン落としていくことを 学んだと思います。 まず、生きているだけ、この世に存在してくれただけで、 どれだけすばらしいことなのか、ということ。 子どもが立派なことをしてくれなくたっていいから、 チラっとでもいいから、私に気持ちを向けてくれたときのうれしさ。 子どもの価値は、何を覚えた、テストの点数がどうだった、 どこの学校に入ったか、さらには、何歳で英単語を何個言えるとか、 そ~んなところには、ぜ~んぜんないんだ、ということです。 普通の親は、この気づきを何十年とかけて、人生の最後の最後に気づくのでしょう。 しかし、障害児は、私たちに、今すぐに教えてくれるのです。 「ビリッツけつ、向きを変えれば 先頭だ」 は、まさにこういうことを言っているのではないでしょうか。 実は、この世は、自分の力に依り頼む者を疲労困憊(ひろうこんぱい)させるようにできているのではないでしょうか? そう思いませんか? この疲れ果ててしまうプロセスにおいて、障害児は、いち早く、自分の力にではなく、自然の力、天の力に委ねることを示唆してくれているのではないか、と仮説を立ててみています。 自分の力を捨てきったときにこそ、最も弱くなったときにこそ、 本当の強さが表れてくるんだと、大胆に思えてきています。 ジャンル別一覧
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