わが子に最適な問題水準は?
ある教育心理学の学者が、幼稚園に通園している子どものお母さんを対象に、ある実験をしたことがあります。 お母さんが自分の子どもはこれができると思えば○、 まだできないと思えば×をつけるというものです。 一方、子どもに対しては、一人ひとりの子どもについてその項目が実際にできるかどうかを調べたのです。 その結果はどうだったと思いますか? 親バカはどのくらいだったと思いますか? お母さんたちの結果は、二つに分かれていました。一つは、自分の子どもの能力を正しく評価しているお母さんです。 もう一つは、お母さんが子どもの能力を過大に評価している場合です。 その反対の、自分の子どもの能力を過小に評価したお母さんは、ほとんどいませんでした。かなりのお母さんが、子どもの能力を実際以上に過大評価していたのです。ところが、問題は、これからです!二つのグループの子どもの能力を比較してみたのです。すると、子どもの能力を正しく評価したお母さんのグループの子どもの方が、過大に評価したお母さんのグループの子に比べて、高い能力をもっていたのです。どうしてでしょう?子どもを正しく評価できるということは、それだけ、密接に接してあげているから、という見方もできますね。でも、べったりついて、教育ママをしていても、子どもの能力を超えて、押しつけ的な環境を与えていると、子どもの能力は低下してしまうと考えられます。逆から言えば、子どもの能力を正しく評価できるお母さんは、毎日の生活の中で、子どもの能力に見合った環境を、知らず知らずのうちにつくっていた、ということなのです。能力に合った教育的環境とは、進歩のない、刺激のない環境という意味ではありません。 その子にとって、手を出したくなる、適度な難しさ、複雑さの環境という意味です。 そして、好奇心開発の秘密も、実は、そこにあるように思います。 その子の脳の世界のフィルターにひっかかるものでなければ、意欲も好奇心も湧きません。 しかし、簡単過ぎてもダメです。 ほとんど理解できるんだけど、ちょっと違う。ん?という感じ。アレ?っという感覚です。 こういうのがあると、思わず手をだしたり、調べてみたくなるんですね。 親バカは、子どもを信じるという意味で、とっても大事な、ある意味、子どもの魂の最後のよりどころとして大切なものであると思います。 しかし、毎日の教育環境をつくる上では、逆効果を生むことが多いようです。最も効果的な英才教育は、難しい問題を与えるのではなく、子どもの実力に見合った、ちょっと難しい問題を与え続けられるかにかかっているようです。それを判断するのは、親でも難しいものです。では、何で判断するのか?それは、子どもの行動です。子どもが好んで手をだすもの、喜んで取り組むもの。それを、先入観や思いこみのフィルター無しで、受け入れるのです。子どもをありのままに受け入れるんですね。そこから、スタートです。あくまで、モーターは子ども自身です。お母さんがモーターになってはいけません。お母さんは、良き、環境を作ってやるだけです。子どもが自主的に手をだすものこそが、最適水準なのです。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします