子どもの脳は帰納的
大人と子どもの脳みその違いは、大人は、「演繹的」な考え方ができるのに対して、子どもは、論理的思考力を司る、前頭前野が発達してませんから大人のように、「こうあるべき」「こうあるはずだ」または、三段論法など理屈で理解しにくいことがあります。 では、どうやって、認識を深めているのかというと、体験の積み重ねによる「帰納的」な思考です。いろいろやっているうちに、何回も表れてくるもの、それを印象的に記憶に残すのです。 ですから、科学教室でも、法則の説明から入るのは、子どものためにならないと思います。一見、クイズの「あてっこ」みたいなものでも、関連する実験を、次から次と予想を立てながらこなしていくことにより、次第に法則の輪郭が浮き出てくるのです。そして、それを使えば、未知のこと、自分がまだ知らないことを正しく予言できるようになると、大感激が待っているのです。 よく、知らないことを説明できたり、解釈できたりする子がいますが、「説明」というのは、結構ごまかしがききます。聞きかじった知識を使って 何となくわかったような気持ちになって、気持ちがいいだけです。 そうじゃなくて、結果を「予言することができる」というのは、白黒がついちゃうことです。自己満足で、気持ちいいでは済みません。 こういう予言ができるようになるには、系統的に、あらゆる場合の体験や実験を感動をこめて経てこなければ、不可能です。 少なくとも、子どもらしく体で、原理原則をつかまえたとは言えません。 先生の言われた通りを憶えて、いつも正解を出す子がいます。しかし、私はこういう子は、自分の頭をスポイルしている可能性が高いと心配になります。 子どもは、自分に正直なら、(自分の頭で考えたら)間違うのが当然だからです。 単に親や先生から、「よい評価」を得たいためだけに勉強しているのではないでしょうか?そうだとしたら、極めて危険です。 幼児教育学者の平井信義教授は、「幼児や学童が、いつも素直で、いつもまじめに学習するという話しを聞く度に、私は身震いすることがしばしばある。真の子どもは、けっしてそのような姿を示さないから、そのような子は、単に仮面をかぶっているにすぎないのである。それを見破る目を、両親も先生も持たないと、じつに危険である」(雑誌「幼児開発」)とおっしゃってます。 特別に優等生ばかりのクラスがあります。そこで、寅さんの実験に挑戦してもらうとある問題では、だいたい全員正答になります。しかし、ある問題では、きれいに、全員間違います。普通は、半々くらいに分かれるのに。 これで優等生は、頭がいいのではないことがわかります。心理学者なのです。先生の心理を読むのです。問題の流れを読むのです。ところが、ひねくれ者の寅さんが、流れに沿わない、前の答えを使うと間違う問題を出すと、きれいにコケてくれるのです。 とんでもなく、やさしく考えるとわかる問題も、優等生ほど、よく間違います。だから、優等生からは、嫌われます。 子どもは、間違えてなんぼ、なのです。ここのところを見失わないで、指導していきたいものです。間違うことを怖れないように。さらに、一歩すすんで、間違うことを楽しむように。