データ分析力は教育者こそ必要
本日、私の家庭教師の生徒の一人が、東京の大学受験に出発します。7校ほど受ける長期戦です。注意すべき点がありすぎて、しかも、中学生の時から見ていた子なので、心配は尽きません。昨夜、伝えるものは伝えたので、あとは祈るのみです。ところで、今年のセンター試験には、統計の問題がドバっと出ました。私は予感をしていたので、みんなに、最後のチェックにすすめていたものですから、「ヤッタ!」とガッツポーズをしました。というのも、自分の学生時代の大学の講義で、難関と言われた割には一夜漬けで、何とか単位を取った経験があるので、これは狙い目だと思っていたからです。ところで、なぜ、ここにきて文科省は統計学に力を入れだしているのでしょうか?「統計学が最強の学問である」(西内啓)にもあるように、統計学の有効性が見直されているからに他なりません。最高の業績を上げているUSJのマネージャーも、データ分析を柱にしています。しかるに、教育の分野において、統計が軽んじられているのには、びっくりポンです。一億総教育評論家です。一人や二人の子どもの育成に成功したからと言って、他の子に応用できるわけではないのに、ありがたく人の話を聞いています。教育のように、バラつきが多い事象にこそ、統計が必要なのに、科学的データに基づいて意思決定をしている教育機関がほとんどありません。「教育学は科学になっていない」と私は思います。何でもかんでも科学にならなければいけない、とは思いませんが、子どもの教育は国家の最も重要な礎であるからこそ、金儲けのためのマーケティング以上の分析力と努力が必要なはずだと思います。統計を教育に生かす試みは、まだまだ未開と言っていいだけに、ほんのちょっと生かしただけで、これまで常識と思われていた教育セオリーの見直しにつながると思います。