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科学はイタズラだっちゃ! 受験も科学!      科学実験教室&家庭教師  宮城県大崎市

科学はイタズラだっちゃ! 受験も科学!      科学実験教室&家庭教師  宮城県大崎市

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2022.05.11
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連休から、さっぱり更新できなくてすみません。

私は何度も、教育の「押しつけ」のいやらしさと、危険性を書いています。

先日、森の声さんから、教育とは何かという羅針盤が必要だ、と

コメントをいただきましたが、

全くその通りだと思います。

 

教育とは何か、人は人をなぜ教育するのか?

人が教育されるとは、どういうころなのか?

 

これを根本から問いなおしていくと

近代国家が作ってきた「学校」というものの意味を

根っこから問い直すことになります。

 

近代国家の学校では、どんなにキレイ言を並べても

成績で子どもを評価する一定の尺度があります。

そして、それは、国家建設のために有益な基準につながっています。

(実は、その実態は、すごく薄っぺらなものなんですが)

 

その尺度から言えば、

知恵遅れなどのハンディキャップをもった子は、

役に立たない子という評価をどうしても与えられてしまいます。

(表立っては言ってはいませんが)

そして、福祉の世界に飛ばされてしまいます。

 

こんなのは、本来の教育ではないことは、明々白々です。

根っこから間違っています。

(と言っても、明らかだと思うのは、この科学寅さんだけ?)

 

学校は、これこれを学びなさいと、一定の課題を与えるわけです。

その選定自体に、大人の価値観や効果評価が、 当然入ります。

しかし、この全体、複雑にすべてにつながった「ホール」の宇宙において、

より善いカリキュラムの基準なんて、無限大にあるわけです。

 

少なくとも、子どもの数以上にあります。

それなのに、全国一律なんて、押しつけでないわけがないでしょう?

 

自然な人類の成長から観れば、

学校というのは、と~っても特殊な色眼鏡で

子どもを見るところです。

そして、大人たちは眼鏡をかけていることに気づきません。

これこそ、最大級の押しつけです。

 

なぜ、押しつけが危険なのか?

 

まず、押し付けられたものは、やる気を奪うからです。

また、一つの色眼鏡だけで、子どもを見ることは

子どもの潜在力を殺し、成長する力を奪うからです。

それぞれの子どもの固有の成長力に沿っていません。

 

偶然、(突然ですが)youtubeで、「特攻隊」の映像を見てしまいました。

讃美する人が多いんですね。

深く、深く考えさせられます。

 

あれを飛ばさせた指導者も、

乗り組んで行った若者も、

みんな近代国家の学校が作ったのです。

彼らの悲劇を無駄にしてはいけない義務を私たちはもっています。

(彼らに続けという意味ではありません!)

 

特攻隊は、決して、現代には関係ないこととは思えません。

 

一人一人の国民を幸せにするために、

国家を強くしようとしたはずが、

いつの間にか、本末転倒になってしまったのです。

 

国を守るのは、当然と言えば当然ですが、 

(単純な戦争反対は言いません)

国力が劣っていれば、特攻しかないという

何と貧困な単一発想しか浮かばない、

そういう教育を学校はしてきたわけです。

 

もし、本当の教育力があれば、

非常事態に際して、さまざまな解決策を出し、

また、多様な議論をしたはずです。

 

実際、戦争に負けて、日本は実質的に勝ったようなものです。

勝利の道は無限なのです。

 

押しつけを基本とする学校教育は、

優等生に、自分は「物事がわかっている」という錯覚を与えます。

これは、このように見るべきだ、と一つの基準をもって安心させてしまうのです。

 

学問の基本は何でしょうか?

それは「ソクラテス」の言うように

「無知の知」です。

自分は何も分かっていないことを認識することです。

だからこそ、いろんな意見を求めるのです。

自省をして、多角的な意見を求めるのです。

 

ところが、学校秀才になると、自分の判断に自信をもち、

それにとらわれ、多角的なものの見方ができなくなります。

そして、他人にも、それを「押し付ける」ようになります。

 

私は、明治国家が、軍備拡張に励んだことを非難はしません。

世界情勢から、日本の置かれた立場を考えれば

致し方なかった。

しかし、一つの成功体験から、単一思考になっていく姿

そして、そのお先棒をかつぐ「教育」

 

そもそも、(話は前後しますが) 教育は国家や政治と切り離されるべきことです。

教育は、人が人として生きる意味そのものです。

もちろん、国家の影響を拭うことはできません。

しかし、国家は、あくまで個人のサポートに徹するべきであって、

国家のためというテイストを出した途端に、おかしくなります。

「学問の独立」は、お題目ではありません。

重大な理由があるのです。

 

国家は、いろんな多彩な教育を自由に選べるようにサポートするだけでいいのです。

 

それは、結局、国家のためにもなるのです。

なぜか?

戦時中の硬直的な単一思考が招いた悲劇を思い浮かべれば 

わかるように、

あの当時以上に、現代は、問題が複雑です。

何が正義かなんて、簡単に割り切れません。

多面的なものの見方ができること

すなわち、多様な考えの人材を豊富にもっていることこそ、

危機対策なのです。

すなわち国力なのです。

 

何が正しいのか、専門家でもわからないのですから、

人それぞれが、それぞれの天分において、

それぞれの道を歩むべきなのです。

 

そうでないと、みんなが同じ方向に歩むと、

「全滅」の危険性が増大するのです。

 

話は、最初の問題にもどります。

教育とは何か?

私もまだ、一言では言えません。

が、少なくとも、

ハンデキャップをもった子どもたちを、

劣った人たちと見る世界ではないことは、確かですね。

(キレイゴトではなくですよ)

福祉政策の問題にしている限り、

教育は教育とは言えないはずです。

 

当然、社会の金銭面からの尺度からも自由であるべきです。

 

確か、ねむの木の宮城まり子さんも、

この怒りから、思わず学園を作ったのでしたっけ。

 

私は、多様な意見の大切さに気づいてもらうために、

科学実験教室を今日もやっております。







Last updated  2022.05.11 11:09:15
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2022.05.10
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教師こそ、ストーリーテラーでなければならない、と思います。

子どもの「現実」を分析するのではなく、

子どもの未来の物語を、いくつも語ってあげるのです。

物語を創ってあげるのです。

 

実は、科学者もストーリーテラーです。

現実から、物語をつむいでいるのです。

 

しかし、物理理論と教室での物語が違うのは、

素粒子は科学者の物語りに影響されて、行動を変えたりしませんが、

教室では、生徒は物語に影響を受けて、

その行動を変えるところです。

 

教師の物語は、天気予報では良くないと思います。

子どもたちの統計上の予測、確率的な予測をしても

その子たちにとっては、実存的に意味が無いどころか、

害になるだけだと思います。

天気予報によって、雲はその動きを変えたりしませんが、

子どもは、どんどん変えていくのです。

ですから、予報自体が成り立ちません。

 

もともと可能性の無い子はいませんが、

たとえ、そう見える子でも、 

ほんのちょっとの可能性でもあるなら、

十分に語る意義はあるのです。

 

「素晴らしい物語」は、目の前のテストの100点より、

何倍も意義があります。

 

その子の人生の素晴らしさは、テストの評価とは比較にならないのです。

常に教師は、テストを突きぬけたところに

焦点を合わせておかなければなりません。

 

大丈夫です。

素晴らしい物語に焦点を向けることができたなら、

テストの結果もみるみる良くなります。

子どもが元気になるので、教師の評価も高まります。

 

しかし、テストに焦点を合わせても、

素晴らしい物語は生まれてきません。

 

テストに焦点を合わせると、どうしても点数を気にします。

点数が良くても、悪くても、です。

 

本当は、テストから、知恵を得ること、が重要なのに、

せっかくの知恵のきっかけを、

点数稼ぎのテクニックにしてしまうのです。

子どもの想像力の翼を折ってしまうのです。

 

指導者は、少なくとも、点数にとらわれないように気をつけるべきです。

そうじゃなく、子どもの思考の流れを褒め称えることに

精力を集中しましょう。

 

たとえ、正解でも不正解でもです。

たとえ、なげやりな解答でもです。

100のうち、1の思考が入っていたら、

それを顕微鏡で拡大して、ほめたたえましょう。

 

私は、悪いところを批判して、良くなった子どもを見たことがありません。

悪いところは、無視するのです。

そして、良いところだけを注目するのです。

 

さらには、可能性が見えない場合でも、

つまり、現実から切り離されているような物語でも、

無駄だと思わずに、素敵な話をしてあげましょう。

もし、子どもに、隠れた素敵な素質があるのなら、

その現実離れした話にも、きっと反応するはずです。

反応するかどうかは、教師の責任ではなく、すべて子どものタレントです。

 

ただ、教師の側からできることは、お話をすることだけです。

素敵なお話をしてもらった子どもの心には、

教師はずっと生き続けます。

しかし、点数の取り方を教えてもらっても、それっきりです。

 

これが、私が生徒と接して、つくづく感じてきたことです。

 







Last updated  2022.05.10 15:55:56
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2022.04.25
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「笑い」「踊り」「陽気」「感謝」のウィルスが現実に存在することを見てきました。
コロナを制するために、コロナ以上の勢いで伝播させるべきものは以上の中にあります。
私たちなりの「パンデミック」を広げて、それを武器として、新型コロナ・ウィルスと闘うのはどうだろう?

このウィルスとの闘いは、長期戦になりそうです。
人々のネットワークもウィルスを広げます。
ウィルスと闘い続けるには、私たちは常にポジティブに、希望を持ちつづける必要があります。






Last updated  2022.04.25 11:07:13
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2022.04.23
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1962年タンザニアの全寮制の学校で、その少女たちのあいだで、笑いの集団発作が起こりました。原因は謎です。この笑いの伝染病は感染するのです。まるでコロナ・ウイルスのように。
この奇妙な笑いの発作は少女から少女へと伝染していきます。結局、159人中95人の生徒が抑えようのない笑いの発作に襲われます。6週間後、学校は閉鎖を余儀なくされます。しかし、笑いの集団発作はそれでも収まりません。この奇妙な「伝染病」は隣り村まで拡がり、217人にのぼる少女が苦しみます。そして、bukobaという人口8万人ほどの都市までも伝播し、さらに48人の少女に「感染」しました。

この「大流行」は収束までに1年半も要し、14校が閉鎖に追い込まれます。1000人以上の子どもがこの発作に侵されたといいます。
でたらめな話に聞こえるかもしれないが、これは真面目もマジメ。歴史的な事実です。
それに、この話の類題の話もあります。

この話は中世のものですが、「踊りのペスト」と言われる、どうにも止められない踊りの発作だ。

主に​​ヨーロッパ​​で見られた脈絡もなく突然踊り出し、踊りが感染し、死ぬか踊り疲れるまで踊るのが止まらない​社会現象​である。別名:​踊りのペスト​​(英語: dancing plague)、歴史的には St. Vitus' Dance とも呼ばれる。

何世紀も、老若男女関係なく何千人も影響を受けた。​麦角中毒​という説があるが、貧困からの逃避や、カルト宗教が原因などとも指摘されている​​​​​​​​







Last updated  2022.04.23 20:40:31
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2022.04.20
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大崎市では、市議会議員の選挙が先日ありました。
有力な新人も何人か出て、選挙戦は、ベテランの方々も足下に火が付いたようで、おつもになく盛り上がったようです。我が家でも、ある新人に頼み込まれまして、立て看板をおかさせていただきました。

ところが、選挙戦のあと、その看板を片付けに選挙事務所の人が来ません。
ただ撤去すればいいだけじゃありませんか?

できたら、「お陰様で、当選しました。」ペコリ。
これを言っただけで、候補者の印象は大幅にアップします。
これが、候補者には、合格しちゃった人には難しい。

意外なところに成功の切り札は隠れているものです。






Last updated  2022.04.20 17:14:45
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2022.04.15
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コッホはドイツの細菌学者1880年頃に世界中で難病として恐れられていた結核の原因物質を発見したと発表しました、






Last updated  2022.04.15 11:42:56
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2022.04.11
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​​

知的好奇心を育てるのは、お子さんの教育において最も大切だといっても過言ではありません。さまざまな物事に興味を持ち、大人に質問を投げかけ、自分で調べようという姿勢は、勉強に欠かせないもの。大人になってからも、次々に立ちはだかる問題を解決し、自ら道を切り開いていくうえでも、知的好奇心は必要不可欠です。

子どもの好奇心旺盛さを損なわず、新たな知識・体験にワクワクする気持ちを育ててあげるには、どうしたらよいのでしょうか? 図鑑を買い与える、博物館や美術館に連れていくなどは、子どもの知的好奇心を養う方法としてよく挙げられていますよね。

今回の記事では、そもそも「知的好奇心」とは何なのかを明確にしたうえで、子どもの好奇心を育てるための心構えを考えたいと思います。

知的好奇心とは

知的好奇心を育てる方法論の話をする前に、​「知的好奇心」の定義を明らかにしておきましょう。好奇心を主要テーマとして研究している西川一二氏(京都大学大学院研究員)らの論文「知的好奇心尺度の作成」(2015年)によると、好奇心には2種類あるのだそう​​

  • 知的好奇心(epistemic curiosity):知的活動を動機づける
  • 知覚的好奇心(perceptual curiosity):新奇な視覚刺激や聴覚刺激を動機づける


​​​知的好奇心とは、たとえば、「いろいろなことを知りたい」「なぜこれはこうなのか、納得できるまで調べたい」というような気持ち。一方、知覚的好奇心とは、「おもしろい建物を見たら、入ってみたくなる」「物音が聞こえたら、出どころを確かめたくなる」という気持ちです。


今回着目するのは前者の知的好奇心。これは、さらに二つに分かれるのだそうです。

  • 拡散的好奇心(diversive curiosity):​新奇な情報を求める、方向性を定めない探索行動を動機づける​
  • 特殊的好奇心(speceific curiosity):情報の不整合に対し、方向性を定めた探索行動を動機づける
​​​「方向性」とは、具体的な目的のこと。「いろいろなことを知りたい」のように、具体的な目的のない好奇心が「拡散的好奇心」、「なぜこれはこうなのか、納得できるまで調べたい」のように、具体的な目的のある好奇心が「特殊的好奇心」です。​​​​​​​​​​​​​​​​

西川氏らの論文では、拡散的好奇心と特殊的好奇心の程度を測定する質問項目が作成されました。以下は、項目のうち一部を抜粋したもの。拡散的好奇心と特殊的好奇心の違いがイメージしやすいかと思います。

【拡散的好奇心】

  • 新しいことに挑戦するのが好きだ。
  • どこに行っても、新しい物事や経験を探す。
  • 特殊的好奇心】
    • 解答を理解しないと気持ちが落ち着かず、なんとか理解しなければと思う。
    • 予期しない出来事が起きたとき、原因がわかるまで調べる。

拡散的好奇心も特殊的好奇心も、学校での各種活動において、そして今後の人生において、とても重要なものです。拡散的好奇心が強ければ、引っ越しや進学・留学・就職などで環境が大きく変わったときでも動揺しすぎず、さまざまな知識や体験を得ようとするでしょう。そして、特殊的好奇心が強ければ、難しい問題に直面したときも「わからない、できない」で済ませず、なんとか解決しようと取り組めるはず。







Last updated  2022.04.11 13:39:56
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2022.04.09
カテゴリ:カテゴリ未分類
パスツールは、18世紀のイギリスの医学者であるジェンナーの考えた天然痘を予防する種痘法に、「ワクチン」ろいう名前をつけ、ワクチンが他の病気にも応用できないかと考えました。
研究の末、パスツールは狂犬病、ニワトリコレラ、炭そ病などのワクチン開発に成功しました。






Last updated  2022.04.09 10:07:18
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2022.04.07
カテゴリ:カテゴリ未分類
​フレデリック・グラント・バンティングは何を発見したの?

世界中の糖尿病患者を救った「インスリン」を発見したのです。

糖尿病は血液中の唐が増えてしまう病気で、昔は絶対に治すことのできない病気とされていました。
バンティングは、糖尿病は体内で作られるはずの物質が不足していることが原因であると考えました。
そして熱心に研究を続け糖尿病の原因と、治療に効く物質「インスリン」を見つけ出すことに成功したのです。この発見のおかげで、何百万人もの糖尿病患者の命が救われました。

バンティングはどうやって「インスリン」を見つけだしたの?​​

雑誌に載っていた「膵臓」に関する研究資料が目に止まったのです。そこには、「膵臓の管がつまると消化液がでなくなってしまう」と書かれていました。これを読んだバンティングは、消化液の出ない膵臓からなら、糖尿病を治す「未知の物質」を取り出せるかもしれないと思ったのです。






Last updated  2022.04.07 22:31:23
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​​病院やドラッグストアで購入しているくすりの99%近くは、実は50年ほど前には世の中に存在すらしていませんでした。今あるくすりのほとんどが、この50年あまりの間に新しく開発されたものなのです。

いろいろなくすりがつくられるようになった理由には、科学の進歩により病気んある原因や仕組みがわかってきたこと、くすりをつくるための知識や技術が発達したこと、そして、コンピューターをはじめとするすぐれた機械の誕生により、くすりづくりが効率的に行われるようになったことが考えられます。

生まれてからも育てられていくくすり​。
​​くすりは発売されたあとも、多くの患者さんに使われることによってさまざまな情報を得て、より安全な使い方の検討や、より使いやすいくすりへの改善が行われます。一度世の中に出たあとでも、くすりは日々育てられているのです。

くすりのこれから
​​くすりはこれまで多くの病気を治療する際に役立ってきました。しかし、まだ治療薬がない病気はたくさんあり、このような病気に対するくすりの開発が期待されています。また、今後お年寄りが増えていく日本にとって、お年寄りの病気を予防・治療するくすりをつくることも、とても重要になってきています。






Last updated  2022.04.07 15:19:00
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