カテゴリ:保護者に対して
不登校の子は、ほとんどが、超マジメな子です。
私は、何人もの、登校拒否の生徒、児童とお付き合いをしてきましたが、 みんな正義感の強い 「こうすべき、ああすべき」、で物事を考える 学校や親にとっては、自慢すべき「良い子」でした。 この夏、自ら命を絶ってしまったN君も、物事を深く考え、自分を責めるタイプの子でした。 また、高校に行っても、やっぱり、ちょっとした摩擦に耐えきれず、 体が動かないT君も、正義感がバリバリ強い子です。 彼らは、ある意味、日本の教育界の理想としている「良い子」たちではないか!と思います。 それに対し、毎日、怒られ、怒鳴られ、「お前なんか、学校に来るな」と先生にも、友達にも、親にも言われ続けているイタズラっ子たちもいます。 そういう子は、不思議と無欠席だったりします。 私だったら、とうに「学校やめた!」と言っているのに、なぜ、そんなに打たれ強いのだろう?と思わざるを得ません。 この違いはどこから生まれるのでしょう? どっちの子が強いのでしょうか? 私は、不登校は、否定をしません。 学校に行かない自由が保証されていなければ、行く自由もありえないからです。 そもそも100%、学校に行くのが幸せな子たちだと断定する方が、アタマが狂っているとしか言いようがありません。 自発的な、前向きな登校拒否は、拍手をもって褒め称えたいと思います。 また、あまりにも、学校の環境が酷くて、緊急避難するしかない場合もあるでしょう。 しかし、本当は、学校に行って、友達と交流をもちたいのに、なぜか体が動かないタイプの子の場合、それは、教育上の悲劇としてとらえなければいけないと思います。 そういう子は、遊びがヘタです。決まったパターンの遊びしかできません。イタズラは、まず、しません。と言うより、できません。 私は、イタズラこそ、子どもの健康度を計る、バロメーターだと確信します。もちろん、きらきら輝く瞳をもってのイタズラです。 行儀が悪かったり、集団行動で迷惑をかけるのは、「思いやりのい欠如」であり、これは、別の面の教育上の問題です。 親の模範が悪かったりもします。イタズラ心のせいでは、ありません。 かえって、友達といっぱい遊べないと、思いやりの心も育ちません。 イタズラは、大きな意味での情報探索活動であり、実験活動です。 能動的に、外界に関わろうとする現れです。 私は、生命力そのものと密接に結びついていると思います。 ここのところを、深く掘り下げる必要があると感じます。 ……… 夕方、はてなランドで、有志による「表現あそびワーク」をしました。 演劇の役者の訓練法ですが、コミュニケーション全般の力をアップさせる、とっても有効で、楽しいワーク? ゲームの数々です。 これらの説明は、今、する気力がありませんが、何をしても許される、すべて正解である、という信頼感・安心感がなくては、成り立たないゲームです。 そして、この力が、すべての教科を支える根底にあることを思うとき、現代の子育てや教育の盲点が見えてきます。 風邪が流行って来ました。クラスの子も半数以上が風邪気味であると手をあげています。 宮城県にインフルエンザ警報が出されました。 私も流行に乗ってしまったようです。 夜の塾を何とかこなし、すぐに寝ました。 コメントの返事がすぐできなくて、ごめんなさい。 よかったら、ブチっとお願いします。 人気blogランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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おはようございます。
うちの方でも6年前、近所の中学生が高層マンションから飛び降りたことがありました。その子も、成績優秀、スポーツ万能、だったそうです。原因は上級生からのイジメとされています。 実は私自身が、小5の時、登校拒否を起こした子です。夫もそうです。不思議なことにその二人が教師となり、出会って結婚しました。だから、私たちは学校に行きたくない子の気持ちが何となくわかります。 私たちはそれぞれ家庭環境が原因でした。 確かに、いたずらっ子的な子は、学校に元気に来る子が多いですよね。でも、これからは解らないな、と思います。いたずらっ子自体が少数派で、いじめられているから・・・。 次男のクラスで見た光景はまさにそういう感じだったので(以前日記に書きました。「またやってしまった!2」)、その子が学校に来たくない!と言わなければいいな、と思っています。地域性もあると思いますけどね。 (2004.12.15 08:40:00)
麻倫子さん
そうでしたか! これまで、強調されていたことが、少し理解できてきたような気がします。 イタズラは、私は生命力と結びついているような気がします。 イタズラを生み出す、母体について、掘り下げてみたいと思います。 ありがとうございました。 (2004.12.16 20:12:01)
寅さん、お風邪はいかがでしょうか?私が書き込みましたコメントに、返事など書いていただかなくも結構ですから、無理をせず、充分に身体を休めてくださいね。
>不登校の子は、ほとんどが、超マジメな子です。 >学校や親にとっては、自慢すべき「良い子」でした。 そうみたいですね。不登校問題の背景には、多岐にわたる社会的要因が複合しているそうですが・・・ >この夏、自ら命を絶ってしまったN君も、物事を深く考え、自分を責めるタイプの子でした。 私、このN君のことが書かれた日記を読ませていただいた時のこと、覚えています。・・・ショックでした。 寅さんの心に刻まれた傷も、どれほどのものかと思いました。 ・・・夜回り先生(水谷修先生)も仰っていました。「それだけはダメだ。」と・・・ 蓋をしてしまってほしくないと思いました。どんな背景があったのか?学校では全校生徒に対し、ちゃんとした説明がなされているのか?彼が存在していたこと、苦しんでいたこと、死を選んでまで伝えたかったこと、ちゃんと子ども達と大人が一緒に考える時間を共有できたのだろうか?ちゃんと、みんなで受け止めてあげられたのだろうか? ・・・読み逃げしておりました私は、しばらく悶々としてしまいました。決して好奇心からではないこと、わかっていただけますよね?(お風邪を召しているのに、さらに傷口を開くような書き込みをしてごめんなさいね。) >それに対し、毎日、怒られ、怒鳴られ、「お前なんか、学校に来るな」と先生にも、友達にも、親にも言われ続けているイタズラっ子たちもいます。 >そういう子は、不思議と無欠席だったりします。 私ね、「お前なんか、学校に来るな」の一言で、不登校になった子どもの話を聞いたことがあります。一人は先生(部活の顧問)からの一言、もう一人は友達からの一言。どちらも中学生の男子生徒です。 ↓つづく↓ (2004.12.16 21:47:42)
↓つづき↓
受け止める側のタイプにもよると思いますが、少なくとも“先生”は言ってはいけない言葉なんじゃないでしょうか?それでも、もし、言ってしまったとしたら、「あの言葉は、本心ではなかった。」と真っ直ぐに伝えてほしいと思います。何気ない一言が引き金となり、嫌な体験として“学校”と結びついてしまい、不登校になるケースも多いようですよ。 >しかし、本当は、学校に行って、友達と交流をもちたいのに、なぜか体が動かないタイプの子の場合、それは、教育上の悲劇としてとらえなければいけないと思います。 このタイプが圧倒的に多いんじゃないでしょうか?「行きたいのに、行けない。」という子が・・・・・どれほどの苦しみかと思いますよ。 >かえって、友達といっぱい遊べないと、思いやりの心も育ちません。 そう、コレなんですよね。私、学校の役割はコレなんだと思います。 “勉強するところ”と言う人もいるけれど、勉強だけなら、塾でも、家庭教師でも良いわけだし・・・ 私、形はどうであれ(学区内の決められた学校でなくても)、“学校”はどの子どもにも必要だと思っています。 複数の大人がいて、複数の子どもがいて、守らなければならない規律(約束)があって、その中で、共に学び、共に遊んで、お互いが違いを認め合って、思いやりの心を育てる場所・・・学校が“学校”であれば、自分の居場所を見つけられず不登校・・・なんてことには、ならないのではないでしょうか・・・ 不登校の原因は様々で、学校以外の問題が隠れている場合もあります。だから、なおさら、学校に“居場所”を用意できると良いですよね。 ・・・いつも長くなってすいません。どうぞ、お大事にしてください。 ありがとうございました。 (2004.12.16 21:49:59)
冬遍路さん
お気遣いありがとうございます。 私たち大人は、何気なく使っている言葉で、どれほど子どもたちを傷つけているか、はゾーっとするほどです。 私自身も、だいぶ使ってしまったと思い猛省しているところです。 そして、そういう言葉を出してしまう、大人にこそ、問題があるんでしょう。 この意味で、大人も子どもも、心の交流度合いで、判断する新しい尺度が、教育界に欲しいと思います。 (2004.12.17 11:41:34) |
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