カテゴリ:理想の学校に向かって
学校が面白くない原因の一つが、解釈の押しつけがあると思います。
たとえば、塩水で卵が浮くとします。 そこから何がわかるでしょう? 実は、何もわからないんです。 いろんな解釈が成り立ち得るのです。 塩水でなければ浮かないのか? 他の水溶液でも浮くのか? 水溶液以外でも浮くのか? 真水では本当に浮かないのか? 塩水でも、どんなときでも浮くのか? こんなにいろいろ考えられるのに、 たった一つや二つの事実から、 学校では、こう考えるんだよ、と教え込まれてしまうのです。 実は、科学をするとは、この世の法則を覚えることではありません。 全然違います。 たとえ、理科のテストで100点を取ったって、 科学の力がゼロだということが、往々にしてあるのです。 科学とは、事実から豊かな想像を膨らまして、 それが正しいかどうかを確かめるには、どうしたら良いかを考え、 そして試してみる。 その繰り返しです。 この陰には、様々な意見の人との自由な討論がなければありえません。 いろんな考えがありえることを、まず確認して、 それらの人をも納得させる実験は、どんなものだろうかと考えるのです。 ですから、どんな冗談っぽい意見でも、安心して発言できる風土が必要なのです。 それなのに、学校教育は、異色な発想を奨励する空気があるとは、 とてもとても言えません。 世の優等生は、先生が何を求めているかを先回りして、当てる能力に優れている子どもたちのことになっています。 こんなの科学でも何でもありません。 事実をいくら覚えても、科学する力には、全くならないのです。 これからの日本は、前例の無い社会です。 そんな中をこれから、子どもたちは、新しい道を自分たちの仮説でもって、 試して進んでいかなければなりません。 どの道がいいのか、先生が指導してくれているわけではないのです。 いろいろありえるのです。 総合が良いとか、厳しくしなければならないとか、 授業内容を高度にとか、いうよりも先に、 授業の空気を、何でも言えるものにしていかねければ 本当の人材を育成できないと思います。 そう考えると、日本の期待の星は、きっと日本の教育では 落ちこぼれているだろうことは、想像に難くありませんね。 だって、そういう自分のアタマで考える子にとっては、 教科書の一言一言が、「本当にそうだろうか」 「こうも考えられるのではないだろうか」と ひっかかってばかりなのに、授業はドンドンすすんでしまうからです。 そして、恐ろしいことには、優等生のノーミソは、あまりにも、 非科学的な思考スタイルに慣れてしまって、 社会に出てからも、科学することができなくなってしまうことです。
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